長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語 

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 <第三章 イルベッザの闇> 

(第二章までのあらすじはこちらから


十三(後)



 闇の中、あちこちで戦闘や逃走が始まった。
 悲鳴や剣戟の音が上がり、流れ星のように飛び交う火の玉が、一瞬、闇を照らしては消える。ときおり、その火の玉の飛んだ先で、それとは別の青白い炎――魔物が燃える炎――が、ぱっと燃え上がる。
 だが、それは、戦いというより、魔物たちによる一方的な人間狩りだった。
 同じ闇でも、これが夜なら、人間たちは最初から角灯などの明りを用意しているはずだが、今はそれもない。人々が投げる火の玉は、通常、一瞬で消え、照明代わりにはならない。表に残った人々がみな魔物退治を業とするものでもなく、その多くは、逃げ遅れ、武器も持たず、恐怖に混乱した一般人だ。魔物に襲われなくても転んだりして怪我をするものもいるだろうし、真っ暗闇の中で、おそらくはかなりの数の同士討ちもおこっているのだろう。
 けれども里菜たちも、まわりのことをそうそう気にかけていられなかった。ふたりにもたちまち四方から魔物が襲い掛ってきたのだ。
 アルファードは最初のいくつかの攻撃を、耳と勘を頼りに剣で払いのけながら、合間をぬって、手探りで里菜を自分の背中に回した。
「リーナ、俺と背中合わせになって短剣を構えていろ。俺の背中から絶対離れるな」
 里菜は目を閉じた。こんな闇の中でへたに目を開けて自分の貧弱な五感に頼ろうとするより、むしろ、何も見ようとせず、何も考えずに、護りの短剣にこめられた不思議な力にすべてを委ねた方がいいと思ったのだ。
 アルファードの体温を背中に感じながら立ち尽くす里菜の手を操って、短剣が勝手に動き出した。
 この、闇の中の襲撃が、いつまで続くのかは分からなかった。日蝕の闇ならほんのひとときのはずだが、すでにかなりの時間が経って、太陽が再び現われる気配は全くないのだ。
 闇の中で、目をつぶり、音と気配だけを聞いている。ときおり、魔物の剣が間近で風を切る。アルファードの躍動が空気を震わせて背中に伝わってくる。閉じたまぶたの裏に、幾度か、魔物が燃える炎が映った。
 どのくらい短剣を振るっていたのかわからない。たぶん、ほんの数分間のことだったのだろう。ふいに、まぶたの裏が赤くなった。魔物が燃える時の一瞬の閃光ではなく、またたきもゆらめきもしない確固とした光の気配だ。
 同時に、よく響く高い声が、騒音の間を縫って耳に飛び込んできた。
「リ−ナお姉ちゃん! アルファードお兄ちゃん! こっち、こっちへ来て!」
 目を開けて見たのは、治療院の玄関先に、いつかと同じ青い光を頭上に頂いてすっくりと立つキャテルニーカの小さな姿だった。その隣に、リューリと、手に手に武器を持った数人の男性職員、それになぜか、例の天才少年ティーオがいる。玄関は、魔物の侵入を防ぐため、すでに閉ざされているらしい。
 キャテルニーカの青い光球に照らし出されて、治療院の前だけは昼のように明るくなっていた。同士討ちをしていたものはあわてて止め、どちらへいったらいいかわからずに逃げ惑っていたものたちも、いっせいに玄関に向かって殺到した。
「みんな、早く中へ!」
 リューリが叫び、男性職員が玄関を開けて人々を中に入れてやっている。ちらりと見えたドアの向こうは、昼のように明るい。ありったけのランプや蝋燭を灯してもあれほど明るくはならないはずだから、キャテルニーカはたぶん、自分の頭上にでなくても、光球を残して、浮かべておけるのだろう。
 里菜とアルファードは、いつのまにか治療院からだいぶ離れたところまできていた。キャテルニーカの青い明りはそれでも届いていたが、その明るさにもかかわらず、魔物たちは、消えもせず逃げ出しもしなかった。
「こっちへ来て! あたしとティーオを連れに!」と、キャテルニーカが叫ぶ。
 アルファードは、魔物の攻撃の隙をついて振り向きざまに、
「ちょっと失礼する」と告げ、里菜の目の前でぐっと身を沈めた。
 と、思うと、里菜の体が、腹を支点に下から掬い上げられて、ふいっと宙に浮き、気がつくと里菜は、アルファードの肩の上に荷物のように担ぎ上げられていた……らしい。後で思えばそう分かったというだけで、その時はただ、頭を下に宙に浮いたワケの分からない状態としか認識できず、動転した里菜は、水から揚げられた魚のようにバタバタと暴れた。
 アルファードはそれを難なく押さえ込み、
「すまない。ちょっと我慢していてくれ」と言うなり、肩に担いだ里菜を左手で支え、右手に低く構えた剣で前に立ち塞がる魔物たちを切り伏せながら、治療院に向かって走り出した。今は魔物を消すことが目的ではなく、とにかく道を開けさせればいいので、普段の正確な突きではなく、薙ぎ払うような撫で切りである。
 里菜はもう、ものを考える余裕も無く、ただ、振り落とされないように必死でアルファードの服を掴んでいた。なんだか変なかっこうで頭が下になっているのだが、自分がどういう態勢になっているのかも、アルファードのどこにどう掴まっているのかも良く分からない。その状態で右に左に振り回されるのは、天地がひっくり返ったような、目の回る体験だ。
 そんな中、頭の上でアルファードが、
「なるほど、火事場のばか力とは、このことか……」と、妙に冷静に、ぼそっと呟いた声が聞こえて、里菜は状況も忘れて吹き出した。
 アルファードは、肩に担いだ里菜の体重も立ち塞がる魔物もものとはせず、競技場を疾走する短距離走者のようにあっという間に治療院に駆け戻ると、床に膝を付き、里菜をそっと降ろした。平衡感覚が狂ってくずおれかけた里菜を、駆け寄ったティーオが支えて座らせる。
「アルファードお兄ちゃん! あたしとティーオを、初級学校に連れていって!」
 白衣姿のキャテルニーカが、アルファードに飛びつくようにして訴えた。
「魔物が、建物に侵入しようとしているわ。ティーオの明りがいるの。あたしのは、明るいけど、ただの目眩ましみたいなものだから、魔物は追い払えないの。ここはもう、ティーオが明りをつけたから、大丈夫。学校が心配。あと、できれば他にも、人が大勢集まっているような建物に、なるたけ明りを灯して回りたいの。その途中はあたしが足元を照らせば、早く走れるし、戦いやすいでしょ? それに、あたしの明りも、外に置いておけば、魔物は追い払えなくても、みんなが逃げたり戦ったりしやすくなるし」
「わかった。ニーカ、それじゃあ、君は俺が肩車しよう。俺は片手しか使えないから、後は君が、俺の目を塞がないように気をつけて自分でつかまっていてくれ。リーナ、立てるか?」
「はいっ!?」
 いきなりきびきびと声をかけられて、里菜は一気に放心状態から浮上した。
「ティーオ、リーナ、君たちは、俺の後ろにぴったりついて走るんだ。ティーオ、君は、左利きだな。それなら、君は左後ろ、リーナは右後ろだ」
 小柄なティーオは自信なさそうに口ごもった。
「はい、でも、僕、その……。剣も火の玉の攻撃も、あまり得意じゃないんです」
 初級学校時代、武術は、幼少のころから天才の名をほしいままにしてきた彼の唯一の苦手教科で、特に火の玉の攻撃魔法は、宙に浮く火の玉の照明という他の誰にも真似できない技を持っていながら、十一の時まで一切使えなかったのである。
「ティーオ、大丈夫だ。このリーナは、魔物が魔法を使うのを封じることが出来る。だから魔物は火の玉ではなく剣で攻撃してくる。君のほうは魔法が使えるから、絶対有利だ。剣より火の玉の射程の方が長い。それに、正面の魔物はみんな俺が受け持つ。君たちは自分を守るだけでいい」
 アルファードの励ましに、ティーオは緊張の面持ちで頷いた。
 リューリがティーオに、たぶん入院患者の持ち物を拝借してきたのだろう小振りの剣を手渡しながら、力強く請合った。
「じゃあ、アルファード、そっちは頼むわね。こっちのほうは、任せといて。大丈夫、あたしは魔物を、これ以上、ここに寄せ付けやしないから」
 リューリは自信たっぷりに言い切ったが、どうやらそれは実力に裏付けられた自信らしい。里菜はじっくり見学する余裕もなかったが、四人が打ちあわせしている間にも玄関目がけて押し寄せてくる魔物たちを、彼女は片っ端から、素早く的確な、流れるような動作で投げた火の玉で、ほとんど一人で片付け続けていたのだ。
「さ、行って! 後はあたしにまかせて。……魔物ども! あたしの患者には、指一本触れさせやしないわよ!」
 叫びながら次々に火の玉を繰り出すリューリの勇姿に、窓に鈴なりになっていた入院患者たちが腕を振り回して声援を送った。もっとも彼らも、そこでただ高みの見物をしているわけではなく、明るくなった路上の魔物目がけて、窓から火の玉を投げたり弓を引いたりしているのである。入院患者には兵士も多く、怪我や病気の軽いものは武器を手に玄関の中で魔物の侵入に備えたり、こうして窓ぎわから援護攻撃をしているのだ。
 リューリの頼もしい言葉を背に、最小の陣形を整えた小さな部隊は、ふたたび路上に飛び出した。
 キャテルニーカを肩車した先頭のアルファードが、肩の重荷をものともせず、行く手の魔物を押し退け切り払って道を開く。後に続く小さな二人は、アルファードが切り開いた道を、ときたま横から襲って来ようとする魔物から身を守りながら駆け抜ける。
 キャテルニーカは驚異的な身の軽さとバランス感覚を発揮してアルファードの肩の上で器用にバランスをとり、時々下方の魔物に火の玉を投げつけてアルファードを援護しながら、合間合間に頭上に手を差し上げて、次から次へと青い光球を浮かべ続けた。
「みんな、もう大丈夫よ! ほら、光が見えるでしょう。治療院へ逃げて! あそこへ行けば、魔物を退ける明りがあるわ!」
 キャテルニーカのよく通る声に、やみくもに逃げ惑い、あるいは同士討ちをしていた人々も我に返り、視界が戻った中を治療院に向かって走り出した。
 嵐の中の船のように揺れるアルファードの肩の上で、キャテルニーカは落ち着き払って堂々と背筋を伸ばし、金色の巻き毛を後光のように顔のまわりにたなびかせている。その、光り輝く小さな白衣の姿は、イルベッザの春分の祭りで山車のてっぺんに乗って花を振りまきながらパレードの先頭を行く、幼い<春の女王>を思わせた。
 小さな女王を頭上に押し立てた時ならぬ光のパレードは、闇に明りを灯しながら、石畳の構内を駆け抜けた。
 初級学校では、閉ざした門の前に若い教師や守衛役の兵士たちが立ち並んで必死に魔物を食い止めようとしていたが、光球を頭上に頂いた四人の姿を見、キャテルニーカの毅然とした言葉を聞くと、とっさに門を開けて彼らを通してくれた。
 校舎の中では、教室ごとに、老教師や女教師たちが怯える子供たちを抱き寄せて暗闇の中で震えていた。
 アルファードの肩から降りたキャテルニーカは、ところどころに青い明りを投げ上げながら、ティーオと並んで教室から教室へ走り回った。教室ではティーオが、暖かな色合いを帯びた小さな光球を慎重な手つきで灯していく。外の乱戦の中ではキャテルニーカが手っ取り早い照明を残してきたが、彼女の光球には魔物を退ける力はないので、これは、ただ、視界が利くようにすることで人々のパニックを収め、逃げ道を教える役に立つだけの、応急処置のようなものだ。一方、ティーオの光球は、キャテルニーカのものよりずっと小さく暗くて外の広い場所を十分に明るく照らし出すことができないし、キャテルニーカのように素早くいくつも浮かべることもできないが、そのかわりに、魔物を退ける力がある。一部屋に一つずつでも灯していけば、少なくともその教室から魔物を締め出すことは出来そうだ。
 ほとんどの教室に明りを灯し終ったころ、門が破られ、魔物が雪崩れ込んできた。
 が、廊下を進んできた魔物たちは、明かりを恐れて教室に入ることが出来ず、勢いに押されてうっかり教室に飛び込んでしまった魔物も、すぐに消えこそしなかったものの、あわてて逃げ返ろうとした。どうやら、ここはもう安全だ。
「みんな、教室から出ないで。この明りの下にいてね!」と、キャテルニーカが教室の中の人々に言葉をかけてから、四人は、次の建物に明りを灯すべくふたたび陣形を整え、魔物を蹴散らしながら学校を飛び出した。


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掲載サイト:カノープス通信
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