長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語 

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 <第三章 イルベッザの闇> 

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十四(前)



 魔王のもたらした突然の夜が過ぎた後、治療院は、廊下から階段にいたるまで、怪我人や、まだショックで動けずにいる避難者たちで埋め尽くされていた。治療師たちは、そこら中に寝かされている患者をまたぐようにして、忙しく飛び回っている。
 あの混乱は、どれくらい続いたのだろう。
 おそらく、闇に包まれていたのは、せいぜい一時間以内だったろう。けれども、イルベッザを襲った災厄は、闇と魔物だけではなかった。
 里菜たち四人は、初級学校に続いて、構内の大勢の人が避難していそうな建物に、次々と明りを灯してまわった。遅くなった建物ほど、すでに魔物が押し入っていたりして被害が大きかったが、やがて、長かった『日蝕』は終り、魔物は姿を消した。
 が、太陽が戻っても、災厄は終らなかった。いくつもの小さな地震が次から次へと街を揺るがし、不気味な地鳴りが人々を怯えさせた。地震そのものはそれほど大きくなく、物的被害としては、いくつかの古い建物や石塀、避難民のさしかけ小屋、それに、例の崩壊寸前だった防壁の一部が崩れたり傾いたりした程度で、怪我人もほとんど出なかったらしいが、すでにパニックに陥っている市民に更なる恐怖を与えるのにはそれで十分過ぎた上に、この時本当に恐ろしかったのは、やっと明るくなった地上に<魔王の灰色の軍勢>が涌くように現われて、揺れる大地の上を無言で行進したことだった。
 この軍勢は、この時は、かつて北部でしたように街に火を放つことも、手にした鋤や鍬で人間を襲うこともしなかったが、彼らの中に死んだ身内や知人によく似た姿を見るだけで人々は正気を失い、突発的に理不尽な行動に出て余計な災難を引き起こしたものも多かった。
 さらに、地震が収まった後、太陽は現われたものの異様に赤く不吉に照り輝いていた空に、これまで都までは飛来したことのなかったドラゴンの凶々しい姿が、いくつも現われた。アルファードは、慌てふためいた<賢人の塔>からの依頼を受けて、とりあえず手近からかき集めた正規軍兵士の一団を引き連れて馬を駆り、ドラゴンを追っていった。
 その間、里菜はキャテルニーカたちと治療院に残されて、雑用係たちを手伝っていた。
 すべてが終ったらしい今、あたりはすでに夕暮れが迫って薄暗くなり始めているが、治療院の天井にはティーオとキャテルニーカの光球が明るく輝いている。
「こんなことなら、もっと早く僕の試作品をあちこちに配っておくんだった」と、ティーオはしきりと後悔していた。彼は子供のころからこうした光の球を浮かべることはできたのだが、それを誰にでも明るさを調節したり移動させたりできるものにしたいと工夫していて、その研究がまだ途上だったので、完璧を期して、実用化を伸ばしていたのだ。<賢人の塔>は、彼の試作品のおかげで、魔物の侵入を免れたという。
「そういえば、ティーオ、あなた、どうしてさっき治療院にいたの?」と、里菜が何の気なしにふと尋ねると、ティーオは、どういうわけか真っ赤になり、
「あの、あの、僕、今日は休めないような仕事が別になかったから、治療院が大変になるんじゃないかと思って、手伝いに……。それで、ついでにニーカを昼ごはんに誘おうかと……」と、蚊の鳴くような声で答えた。そのうろたえぶりに、研究所をずる休みでもしたのだろうかと里菜は思ったが、あわただしい時だったし、どうでもいいことだと思ったので、それ以上、追及はしなかった。
 治療院は、里菜たち四人が明かりを灯して回っている間に、一時は結構大変なことになったらしい。リューリや他の治療師たちの奮闘にもかかわらず、数体の魔物が中に侵入したのだ。内部にはティーオの明りがあったとはいえ、急いでいたので数は少なく、また、その明りも、近寄っただけで魔物が消えるというほど明るいものではなかったから、魔物は物陰を縫って紛れ込み、病室や廊下で患者を襲おうとしたらしい。
 それでも、患者の中には、軽い怪我や病気で退院間近だった兵士などもいたし、リューリを含めた腕に覚えのある治療師たちもすぐに騒ぎに気づいて駆け込んだので、一時はかなりの混乱になったものの、怪我人が数人出ただけですんだという。
 混乱の間中、里菜がずっと気にかけていたローイは、とりあえず無事だったようだ。治療院に戻って混雑の中でローイの姿を捜し出した時、その包帯が血だらけなのを見て、里菜は、彼が新たに瀕死の重症でも負ったかとぎょっとしたが、ローイは里菜の姿に気づくと、すぐに元気な声をかけてきた。
「おお、リーナちゃん! あんたら、大活躍だったんだってなあ。ちきしょう、俺も、こんな身体じゃなければ、もっと華々しい大手柄をたててやったのに。手伝ってやれなくて残念だったよ」
「ローイ! それはいいけど、あなたのその怪我……!」
「あ、これ? 大丈夫、大丈夫。ゆうべの傷が開いただけだよ。たいしたことないさ。こっちも、まあ、いろいろあったんだぜ。魔物が、俺のいた病室にも入って来てさあ。でも、心配御無用。全部このリュリュちゃんがやっつけてくれたからな! いや、もうリュリュちゃんの強いのなんのって……!」
 ちょうど巡回に来たリューリを指差して、ローイは興奮の面持ちでまくしたてた。
「俺、感動しちまったよ! そりゃもう、すげえんだ。舞うように美しい優雅なフォームで強力な火の玉を投げまくり、ひとっつも外さねえ。かっこよかったあ! もう、俺、惚れたよ、惚れた! 惚れちまったぜ!」
「リューリって、そんなに強かったの?」と、目を丸くする里菜に向かって、リューリは腰に手を当てて豊かな胸を反らしたお得意のポーズで、
「そうよ。『火の玉リューリ』のあだなは、だてじゃないのよ。魔物ごときに、あたしの患者に手を出させてたまるもんですか!」と、鼻息も荒く言い放った。大暴れの名残で、まだ相当、気が昂っているらしい。 
「『火の玉リューリ』って、髪の毛が赤いからかと思ってた」
「それもあるけど、あたしは火の玉が昔から得意だったのよ。それで『火の玉リューリ』なの。実は喧嘩で火の玉使って停学くらったこともあるんだ。ああ、ひさびさに思いきり火の玉投げられて、すっきりしたわ!」
「へええ、そうなんだ……」と感心する里菜に、ローイが我が事のように自慢した。
「そうさあ。下手すりゃ、俺のリュリュちゃんはアルファードより強いぜ」
「ちょっと、なんでいきなり『俺の』になるのよ。ずうずうしいわね! だいたい、そのリュリュちゃんっていうの、いいかげんやめてよね」と、リューリはローイを睨んでから、付け加えた。
「でも、アルファードといえば、あたし、彼のこと、見直したわ。ただ無駄にかさ張って偉そうに場所塞いでるわけじゃなかったのね。そりゃあ強いのは知ってたけど、いくらガタイがでかくても力が強くても、ああいう時って、役に立たないヤツは役に立たないものよ。その点、彼は立派だったわ。筋肉バカかと思ってたけど沈着冷静だったし、見かけ倒しじゃないっていうか、だてにでかい図体でのさばってたわけじゃなかったっていうか。並んで戦ってみたい、それだけの価値がある男だと思う。これって、あたしの、最大級のほめ言葉なのよ。こんなこと、滅多に言わないのよ。ありがたく思ってね。リ−ナ、あなたの目、思ってたほど節穴じゃなかったのね。……あら、おしゃべりしてる場合じゃなかったわ。さ、治療よ、治療。怪我、見せて」
 リューリはローイの包帯を解いて傷を調べ始めた。
 ローイの傷口が開いたのは、左肩に深い傷を追っているにもかかわらず、なんと弓を引いたからだそうだ。ローイの病室は二階だったのだが、彼は同室のものに窓のそばまで連れ出してもらって、そこから魔物を矢で射まくったらしいのだ。
「俺、最低五体はやっつけたぜ!」と自慢するローイに、
「まったく、無茶するわよねえ。よりによって、肩だの背中だのに怪我してる人が弓を引くなんて。傷がすっかり開いてるじゃない」とリューリが傷を調べながら呆れた。
「だって二階の窓からじゃ、遠すぎて火の玉はあんまり役に立たないから、弓でやるしかねえじゃん。それに、二階の窓から、下にうじゃうじゃしている魔物を狙い撃ちなんて、射手にとっちゃ、ずいぶんとおいしい状況だぜ。これを放っておけるかい」
「まったくしょうがないわね。まあ、たしかにあなたは入院患者の中ではたぶん一番役にたってくれたけど。それにしてもあなた、つくづく頑丈に出来てるわね。殺しても死なないんじゃない? だいたい、こんな怪我してて、よく弓が引けたわね。相当痛かったでしょうに。どこからそういう力が出てくるわけ?」
「うん、自分でもよくわかんねえや。まあ、火事場のばか力ってやつだなあ」と、ローイはへらへら笑っていた。
 もう一人の『火事場のばか力』は、夕方も遅くなった頃にドラゴン退治から戻ってきた。後で聞いた話によると、市内を西に東に駆け回って何頭ものドラゴンを退治したり追い散らしたりしてきたのだというが、幸い大きな怪我もせず、一見したところ、それほど疲労困憊疲の体にも、また、勝利に昂ぶっているようにも見えず、いつもどおりの平静さで、何事もなかったような顔をしていた。
 キャテルニーカに傷を治療してもらうために服を脱いだアルファードの胸の辺りにいくつも痣が出来ているのを見た里菜は仰天したが、それが、さっき肩に担ぎ上げられた時に自分の膝が付けたものであると知って、盛大に赤面した。どうやら自分はアルファードの胸側に脚を、背中側に頭を垂らした無様な格好で担がれながら、動転のあまり事態を飲み込めずにさんざん脚をばたばたやって、アルファードの胸や腹を強かに打ち付けたらしい……。その時の自分がどんなに無様であられもない姿だったかは、考えたくもない。しかも、そういえば、その時、アルファードの左手は、自分のお尻か太股を無造作に押さえ込んでいたのではないだろうか――。
 里菜は、あまりの恥ずかしさと申し訳なさとに顔から湯気が出そうな勢いで小さくなって謝ったが、アルファードのほうは全く気にしていない様子だった。あくまで非常事態の救出行動とそれに伴うちょっとした犠牲として割り切って理解しているらしい。
 キャテルニーカも、傷の手当をしながらアルファードに謝っていた。
「さっき、あたし、重かったでしょ。ごめんね。首、痛くない?」
 アルファードは、真面目な顔で肩を回してみてから答えた。
「ああ、初めは、小鳥が止まったみたいに軽いと思ったが、ずっと担いでいたら、どんどん重くなってきた。明日は肩凝りで首が動かなくなるかもしれない」
「もし、そうなったら、明日また、治療院へ来て。完全には治せないと思うけど、少しは首が動かせるようにしてあげるから」
 キャテルニーカが言うと、となりで薬草を調合していた年配の治療師が、忙しいはずなのに妙にのんびりと口を挟んだ。
「そうだよねえ、肩凝りとか腰痛とか、そういうのには案外、魔法が効かないんだよね。そのかわり薬草の湿布とか、マッサージとか、そういうのもあるからね。君は若いんだから、そういう治療も、きっと効きめが早いよ。いや、いや、若いって、いいねえ……」
 この、なんだか呑気な会話を聞いているうちに、里菜はなんとなくおかしくなって、くすくす笑い出し、笑いが止まらなくなってしまった。
「お姉ちゃん……。何、笑ってるの? 大丈夫?」と、怪訝な顔をするキャテルニーカに、里菜は、
「う、うん、ごめんね……。あのね、こうやって肩凝りの心配なんかしてられるのは、あたしたちのだれもたいした怪我をしなかったからだって思ったら、なんだかほっとしちゃって、それで笑いが……」と答えて、しまいには涙を浮かべ、くすくす笑い続けた。
 けれど、里菜も、いつまでも安堵に笑ってはいられなかった。治療院に次々と運ばれてくる噂は、良くないものばかりだった。
 患者の一人がもたらした情報によると、あの闇の中で海岸沿いの低地帯を津波が襲い、下ファルド地区を中心に壊滅的な被害を与えたという。といっても、住民のほとんどは異様な引き潮を見てすでに避難しており、死者は出ていない模様だということだが、家々や係留中の船はほとんど流されたらしい。また、市街に出ていた軍隊の一部が<魔王の灰色の軍勢>と、もろに鉢合せして、その混乱の中で、どういうわけか同士打ちを始めてしまい、一個小隊がほとんど壊滅してしまったという噂もある。
 この日の被害の全貌がある程度はっきりするのはこれから何日もたってからなのだが、どうやら、直接、魔物やドラゴンに殺されたり傷を負わされたりしたもの、地震や津波の被害者は、ごく少なかったらしい。魔物は多くの人々に刻印を与えはしたが、積極的に人間を殺したり傷つけたりする意志はなかったようだ。ひどかったのは、パニックによる二次的な人災だったのだ。
 次々にもたらされる悪い噂の中で、里菜は、雑用係のフェルドリーンが、上級学校から治療院に向かおうとしていて日蝕の騒ぎにまき込まれ、刻印を受けたことを知った。
 穏やかで生真面目な丸顔に丸い目、灰色の小鳩のような静かでやさしいフェルドリーン。里菜と彼女は、時々昼食を一緒にとるだけのつきあいだったのだが、この、おとなしく控え目な年下の友人が、里菜はとても好きだった。
 その後で更に明らかになった魔王の所業のなかで、里菜が特に許せなかったのは、魔王が直接手を下したのではないとはいえ、多くの幼い子供たちに怪我を負わせたり刻印を与えたことだった。構内の初級学校では、里菜たちの活躍のおかげで大きな被害は出なかったのだが、市内の他の学校には魔物が乱入したところもあったし、また、騒乱の中では、子供や老人といった弱者に被害が集中したのだ。
 床に目を落して身を震わせている里菜に、キャテルニーカが静かに歩み寄った。
「お姉ちゃん。憎んじゃ駄目。自分も、他の誰かも、憎んじゃ駄目よ」
 そう言ってキャテルニーカは里菜の頭にそっと両手を触れた。

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掲載サイト:カノープス通信
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