長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語 

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 <第三章 イルベッザの闇> 

(第二章までのあらすじはこちらから

(――引用――)


           『さすらいの唄』   作詞者不詳

      夢に浮かぶ ふるさと
      遠い春の日射しの
      ぬくもりも消え失せ
      ただ残った この唄

      捨て切れない想いも
      胸に秘めた涙も
      今は唄に託して
      今日もひとり さすらう

        旅路の その果てに
        待つ人はなくても

      幸薄いこの唄は
      夜の街を流れて
      明かり灯る窓辺に
      いつかたどりつくだろう




 統一暦百六十七年、酒場の流行り唄。
 曲は、北部の古謡をアレンジしたもの。
 魔物の脅威に怯える暗い世相の中、とある場末の酒場で、若い無名の歌うたいによって初めて歌われたこの歌は、当時、酒場にあふれていた北部からの避難民たちを中心に愛唱され、またたくまに口伝えであちこちの酒場に広まり、静かな流行となった。
 そのセンチメンタルな流浪の詞が、帰るべき故郷を失って都に流入し、苦しい下層生活を送っているものが多かった避難民たちの漂泊の心情に強く訴えかけ、もの悲しい北部の旋律が、彼らの望郷の念をいっそう掻き立てたであろうことは、想像に難くない。
 なお、作詞者と推定される若い歌うたいについてはルディという愛称が伝わるのみで、その本名、経歴など、詳しいことは知られていない。彼は、この年、イルベッザの盛り場に彗星のごとく現われ、半年ほどの短いあいだに、この曲を含む何曲かの歌を残して、再び忽然と夜の街から姿を消したという。

――『イルベッザ風俗史』(イルファーラン国立上級学校教授フェルドリーン著 統一暦二百三年発行)より。





 
 真冬のイルベッザに、雪が降る。ちょうど、春先の東京に降るような、湿った大粒のボタン雪である。
 うっすらと明るみ始めた、灰色の夜明け前。
 ひらひらと舞い落ちる雪は、ほの暗い路地の石畳に触れたと見る間もなく、透き通って消えていく。シャーベット状に溶けかけた雪が、すりガラスのように、まだら模様を描いて石畳を覆う。
 北部の人々が憧れを込めて『常春の都』と呼ぶという南の都イルベッザは、現実には常春とまでは行かないにしても、やはり、かなり温暖な気候であるらしい。真冬でも氷はたまにしか張らず、気温は、例えば東京に比べてもだいぶ高いようだ。
 ただ、冬場の降水量が多いので、暖かい割りに、雪が降る回数は多い。その雪は、べたべたと水分が多く、めったに積もることはなく、たいていはすぐに消える。みぞれまじりの雨がびしょびしょと降りしきることも多い。そんな気候が、ここでは毎年、冬至過ぎから冬の間中続くのだ。
 それで、冬のイルベッザは、たいていいつもぬかるんで、どことなく薄汚れている。
 路地裏のぬかるみでふと足を止めた里菜は、灰色の明け空を見上げ、落ちてくる雪のひとひらを掌で受け止めた。
 儚い淡雪は、手の中で、すっと薄れて消えていく。
 こうしてひとひらを眺めると美しいけれども、都会に降る雪は、やはりなんとなく汚れている。あらゆる産業が魔法で成り立っているこの世界には、『あちら』にあるような、工場とか公害とかいうものは無いのだが、一般家庭で薪を燃やして煙突から煙を出しているから、それで、雪が煤けているのだ。
 手の中で、煤けた雪が溶ける時、一瞬、なつかしい暖炉の匂いを嗅いだような気がして、里菜は目を閉じてみた。
 イルゼールのあの小さな家で暖かく燃える暖炉を、その前の見慣れた敷き物の上にミュシカと一緒に座っている自分を、想像したかったのだ。
 けれど、夢想はすぐに破られた。
「リーナ、何してるんだ。行くぞ」
 前を行くアルファードが、いつのまにか立ち止まって遅れてしまった里菜を振り返り、声をかけたのだ。
 いつものように夜中の魔物狩りを終えたふたりは、まだ眠っている家々の間の路地を抜けて、急ぎ足で宿舎へ引きあげるところである。
 剣を帯びたアルファードの左手には、薄汚い灰色のマントが一枚。今夜の収穫である。これを軍の事務局に持っていくと、その場で報奨金が出る。
 イルベッザの役人たちは、イルベッザ市民全般の例にもれず万事ルーズでアバウトだから、その仕事ぶりも極限まで非能率的でいいかげんなのだが、そのかわり、あらゆる手続きが、本当にこれでいいのかと思うほど簡便にできている。報奨金の支払いの手続きなど、まるでスーパーのレジでおつりをもらうみたいに、待つほどもなく終ってしまうのだ。
 もっとも、今はまだ事務局は開いていない。あとでアルファードが報告と手続きに行ってくれるだろう。

 ふたりが『消した』魔物は、これで何体目になるだろうか。
 アルファードと里菜が軍に入ってから、およそ一月が過ぎた。
 そのあいだ、ふたりは、月が明るすぎる時期以外はほとんど毎晩のように、魔物を求めて夜のイルベッザをうろつき回った。
 魔物退治は、危険できつい、しかも深夜の仕事である。だから普通、この仕事をするものは、自主的にたくさんの休みをとる。普通は、週に三、四日働いて、あとは休むというものが多い。中には、十日に一日くらいしか働かないものもいる。いつ休んでいつ働くかは全くの自由で、ただ、その戦果を自分で事務局のほうに報告すればいいだけだ。いくら休んでいても、基本給はもらえる。
 ただし、基本給というのは、ほとんど無きに等しい金額であり、人間的な生活がしたければ、やはり魔物を倒さねばならない。それに、最近、半年の間に一枚も魔物のマントを持ってこなかったグループはクビになるという新しい規則ができた。そうでないと、ただ、屋根と食事にありつくためだけに、働く気もない食い詰めものが宿舎を占領してしまうからだ。今でも、実際、せめて半年間だけでもここで寝泊りさせてもらおうという魂胆で、仕事もせずにただ宿舎に住み着いている宿無しが何人もいる。
 そんな中で、このふたりの新人の真面目な働きぶりは、ほとんど異常と言っていいくらいだった。
 里菜は、内心では、そんなにムキになったように毎晩働かなくても、と考えていたが、憑かれたように魔物を狩り続けるアルファードに、そう言い出すことはできずにいた。
 里菜は、この新しい暮しに、すでに疲れ果てていた。肉体的な疲れよりも、むしろ精神的に参りかけていたのだ。
 昼夜の逆転した生活も辛いが、それだけでなく、魔物退治は里菜の心を蝕む。
 魔物退治は、本当に気の滅入る仕事だった。
 夜行性の獣のように夜ごと暗がりを歩き回って、魔物の気配を探り、探し出した魔物を『消す』。
 もちろん毎晩魔物に出くわすわけではなく、ただ一晩中夜の街を彷徨するだけのことも多いが、そういう夜のほうが、里菜にとっては、まだましだ。魔物が『消える』ところを見なくてすむ。
 けれど、里菜たちは、他のチ−ムに比べてかなりの高率で、魔物の存在を探り当ててしまう。里菜の短剣に込められた、不思議な力のせいだ。
 短剣の柄を飾るシルドライトが魔物の接近に反応して明滅することに里菜とアルファードが気づいたのは、魔物退治を始めてすぐのことだった。おそらく、防御の魔法の一形態なのだろう。この短剣を手に入れた時、アルファードは、それはずっと昔から里菜のために用意されていたものだろうと言っていたが、それを裏付けるように、この不思議な力が働くのは、短剣が里菜の手にある時だけだ。それをかざして、里菜は魔物を探知する。
 アルファードが最初に教えてくれた通り、魔物は、小柄な人間の形をした灰色の影のような存在だった。普通は実態があるように見えているが、何かの拍子に、ときおりちらりと後ろの景色が透けてみえたりすることもある。ほとんど音を立てず、声も出さない。むろん言葉もしゃべらない。
 そして、これもアルファードが言ったとおり、確かに彼らは、そんなに強くない。いや、他の人間から見れば十分強いのだろうが、里菜に魔法を消された上で、剣と剣とでアルファードと戦えば、まるで赤子の手を捻るように簡単に『消され』てしまう。アルファードの剣に、心臓のあるべきところを貫かれた彼らは、血も流さないし、悲鳴も、うめき声も上げない。ただ、雪のように溶けて、石畳の上にマントだけを残す。アルファードの後ろから、里菜はそれを黙って見守る。
 里菜は、今では、魔法を消すのに、それが使われる瞬間をいちいち狙う必要はなくなっていた。ヴェズワルで山賊に襲われた時に試してみた、あの方法――始めから、相手は一切魔法が使えないと決めつけてしまうという方法は、ちゃんと成功していたのだ。里菜は魔物が現われた瞬間にそれを念じて彼らの魔法を封じ、あとはアルファードの後ろで、短剣を抜いて自分の身の安全にだけ気を配りつつ、彼が剣を振るうのを眺めているだけでいいのだ。
 けれども里菜は、それが嫌だった。
 魔物とアルファードは、たしかに公平な条件で、剣と剣とで戦っている。が、里菜には、自分が魔物を見つけ出し、魔物から武器を取りあげて無力にしておいて、それをアルファードに獲物として投げ与えているようにも思える。魔物を『消す』たびに、里菜は、なんとも後味の悪い思いをする。
 アルファ−ドの後ろにぼんやりと立ちつくし、自分はいったい何をしているのだろう、なぜ、何のためにこんなことをしているのだろうと、ふと思ったりする。
 一方、アルファードは、そういうふうには全く感じていないらしい。どういうわけか、アルファードはこの仕事にひどく打ち込んでいる。
 それはもちろん、魔物退治は、市民の生活を守る、大切な仕事だろう。多少気分が悪くても、誰かがやらねばならぬ汚れ仕事といえるかもしれない。
 そうは思っても、里菜は、どうしても、この仕事に誇りややりがいを感じられない。
 里菜の心の奥に、『魔物など、多少消してもどうにもならない』と言った、魔王のあの言葉が、わだかまっているのだ。
 自分たちのしていることは、本当に意味のあることなのだろうか。里菜は、その確信が持てずにいる。だいたい、こんなに大勢の人が、もう、長いこと、夜ごとに魔物を消して歩いているのに、魔物が減っているとは思えないではないか。
 そのことに気がついているのは、たぶん里菜だけではないだろう。けれど、たぶん、誰ひとり、それを口に出したり認めたりする勇気がないのだろうと、里菜は思う。自分たちにできる唯一の抵抗であるこの仕事を、まったく無駄な、無意味なものだと認めてしまったら、人々はすべての希望を失ってしまうだろうから。

 アルファードは里菜の前に立って、迷いのない足取りで路地を抜け、人気のない大通りを歩いていく。青ざめた明け方の街に、足音だけが小さく響く。
 里菜は黙ってついていく。夜が明け始めた今も、里菜の心は、真夜中のイルベッザの闇を彷徨っている。
 闇の奥から、ふいにローイのやさしい声が、里菜の胸に呼びかける。
『……なあ、リーナちゃん、魔物はアルファードにまかせとけよ。あんたは俺と一緒に託児所やろうよ、な……』
(でも、ローイ。アルファードは、あたしがいないと、この仕事、できないの)
 心の中で思わず答えてから、里菜は、忘れようとしていたことを思い出してしまう。
(それに、一緒に託児所をやろうにも、今、あなたがどこにいるのかさえ、わからないじゃないの……。ローイ、どこにいるの? 無事でいるの?)
 そう、ローイはいないのだ。跳ね橋の前で別れたあの日から、彼は、里菜とアルファードの前から姿を消し、一切の消息を絶ってしまった。
 あの日、入隊と宿舎への入居の手続きを終えたふたりがいったん宿に戻った時には、ローイはまだ戻っていなかった。宿の主人に伝言を頼んで帰ったふたりのもとに、それから何日たっても、ローイからの連絡は入らなかった。
 それきり、彼の行方は知れない。
 最初の一週間くらいは、里菜たちも新しい生活に慣れるのに忙しく、あわただしい日々を送っていたので、ローイのほうも、きっとまだ新しい落ち着き先が決まらないか、あわただしくて連絡どころではないのだろうと思っていた。
 一週間を過ぎると、アルファードも、いくらなんでも連絡が遅い、何か事件にでも巻き込まれたのではないか、と、心配しはじめた。
 そこで、いま一度、宿に行ってみると、ローイはとうに引き払った後で、宿の主人は、アルファードの伝言は確かにローイに伝えたと言うが、ローイの行き先など、もちろん知らなかった。
 その足で尋ねた例の職業斡旋所でも、ローイの足取りは掴めなかった。
 その後もアルファードは、仕事の合間に、それなりに手をつくして彼を探してはいるらしい。
 昨日の昼間も、一人でどこかへ彼を探しに出掛けていたようだ。
 けれど、里菜に何も言わないところを見ると、やはり手掛かりはなかったのだろう。
 アルファードも里菜も、最近ではもう、お互い、あまりローイのことを口に出さなくなった。今はただ、心の中で彼の無事を祈るだけだが、無事なのに連絡がないということは故意に行方をくらましたということだから、それはそれで気懸りには違いない。
 大都会では、人ひとり行方をくらますなんて、簡単なことだ。しかも、ここはイルベッザ。東京などとは違う。もともと戸籍だの住民票だのがあるわけでもなく、出るも入るもチェックなし、大量の避難民が急速に流入した今となっては、おおよその人口さえ誰にもわからない、いいかげんな国のいいかげんな街なのだ。
 里菜は心の中からローイの面影を振り払い、アルファードに続いてあの日と同じ跳ね橋を渡りながら、毎日見ても見慣れない奇妙な塔の群れを仰ぎ見た。

 里菜とアルファードは、まだ閉まっている軍の事務局や各種の官庁の前を過ぎ、宿舎が雑然と寄り集まる一角へ向かった。途中、治療院に出勤する早番の治療師ひとりと、仕事を終えて帰ってきた特殊部隊の仲間の一組に会って、無言で挨拶を交わす。
 宿舎の前でアルファードと別れた里菜は、足音を忍ばせて自分の部屋に滑り込んだ。
 宿舎の部屋は、三段ベッドの六人部屋で、左右の壁に作りつけたベッドの他には壁の厚みを利用した棚がひとり一段あてがわれているだけの、まるで寝台車のような細長いスペ−スだ。が、同室者それぞれの勤務時間が不規則なこともあって、ここは本当にただ寝るだけの部屋だから、持ち物の少ない生活に慣れた今の里菜にとっては、特に不自由はない。
 里菜のベッドは一番上の段だ。梯子を登る前に、里菜は自分のベッドのすぐ下の段を覗き込んで、そこに猫のように丸まっている小さな愛らしい姿を確認し、そっと微笑んだ。
 薄暗がりでも輝くような金の巻き毛と、あどけない寝顔。里菜の御守りの宝石、小さな黒い守護天使、キャテルニーカだ。
 キャテルニーカは、子細あって<長老>ユーリオンの口添えを得たことも幸いして、希望通り治療師見習として治療院に働き口を得、働きながら学校にも通えることになった。しかも、運よく、里菜と同じ宿舎の、ちょうど二人分空いていた同じ部屋を割り当ててもらえたのだ。
 奇妙なことに、軍と治療院は、宿舎を共用しているのである。といっても、それは女子宿舎だけの話なのだが、どうも、宿舎の定員を無駄なく使い切るための便宜上の組みあわせで、そういうことになっているらしい。最近急に特殊部隊の人数が増えたので、これまで正規軍と同じ宿舎にいたのが入りきれなくなり、かといって女性はどうしても新しく宿舎を建てなければ入らないというほど多くはなかったので、それならどこへでも余裕があるところへ入れてしまえということになったのだ。特殊部隊と治療師はどちらも勤務時間が不規則というのも、この組みあわせの理由のひとつだという。
 キャテルニーカは、里菜が仕事から戻る時間にはまだ寝ていて、里菜が起きるころにはもう学校に行っている。その後夕方遅くまで働いてくるから、そのころには今度は里菜のほうがまた仕事に出ていて、起きている彼女と顔を合せることは滅多にない。それでも彼女の存在は、里菜にとって、大きな慰めだ。
 里菜はしばらく梯子に立ってキャテルニーカの無邪気な寝顔を見つめていた。眠るキャテルニーカを見ていると、今まで歩いてきたあの闇も、さっき『消して』きた魔物も、みんな幻だったように思えて、いつもほっとする。里菜は、そっと手を伸ばして、キャテルニーカの柔らかな髪に触れてみた。そうすると、あの旅の日々に彼女がいつも地面に頬を寄せて聞いていた『地面の声』が、里菜にも微かに聞こえるような気がして、不思議と心が安らぐのだった。
 里菜はひっそりと自分のベッドに潜り込んで、うっかりすると目の裏に浮かんでくるさっきの闇の記憶を追い払うために、なるべく楽しいことを――けれど、村のことを思い出すとかえって辛いから、ここであった楽しいことを――思い出そうとした。
 そう、今は疲れているから暗い気分だけれど、ここでの生活も悪いことばかりじゃなかった――。あたしたちは、あの塔に登って、この国の政を司る<賢人>たちと会い、親しく言葉を交わしたし、彼らの長である<長老>ユ−リオンとは、その後、一緒に食事までした。<長老>は、ちっとも偉そうにしない――というより、本当にたいして偉くもなさそうな――気さくな人で、その夜は、とても楽しかった。それに、同じ年頃の友達もできた……。
 狭いベッドの中で、里菜は、記憶を手繰った。

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