長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第二章 シルドーリンの宝玉> 




 砂埃を巻き上げて、広い大通りをひっきりなしに馬車が通り過ぎる。その、蹄の音、わだちの音をかき消すように、人々のざわめきが高く響く。
 目の色も髪の色も様々な人々が、思い思いの衣装に身をつつんでせわしげに行き交う通りの端で、たった今脇道から出てきたばかりの里菜が、呆然と立ち尽くしていた。
 その肩を後ろからポンと叩いて、ローイが囁く。
「おい、リーナちゃん。プルメールでも言ったと思うけど、そうやって口開けて見とれるのはよせよ。お上りさん丸出しじゃねえか。スリに狙われるぜ」
「だ、だって、だって、ローイ……。馬車が、こんなにたくさん……。それに、馬に乗った人もいる!」
「やだなあ、あたりまえじゃん。ここはイルベッザ、国の都だぜ。前から聞こうと思ってたんだけど、あんたのいたトーキョーって都は、よっぽどさびれてたわけ?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……。とにかく、普通、街の中で、馬とか馬車とかは見ないの」
「じゃあ、みんな歩きなのか? まあ、とにかく、ぼんやりすんなよ。俺とアルファードが控えてなかったら、あんた、とっくに拐わかされて売り飛ばされてるぜ。でなきゃ、身ぐるみ剥がれてるか。まったく、これで軍隊入ろうってんだからなあ」
 ローイは呆れて肩をすくめた。
 どんなに呆れられても、里菜はキョロキョロせずにはいられない。なにしろ、初めて見る異世界の大都市なのだ。
 里菜たちが、この国の首都である南の都イルベッザについたのは、昨日の夕方、そろそろ日も暮れるというころだった。エレオドラ街道に続く東の門から市内に入った四人は、人通りも絶えかけた通りを急ぎ、一番最初に目についた宿に飛び込んだ。今のイルベッザでは、日が暮れてから街を歩くのは非常に危険なのだ。
 東の門は利用が少ないから、そこに続く通りも、古い通りではあるが、今はあまり賑っていない。それで、里菜たちが泊まった宿は、由緒あるエレオドラ街道の延長線上にありながらも、どちらかと言うと今いる大通りの裏道りといった立地条件だった。
 一夜明けて宿を出た一行は、今、初めて昼間のイルベッザの大通りの賑いに出会ったのだ。
 今やこの都も長引く不安に疲弊し、かつての活気と繁栄は損なわれつつあったのだが、それでも、こうして大通りの賑いを見ていると、雑然とした熱気が襲い掛かってくるようで、里菜は圧倒されて立ち尽くしていたのである。
 そんな里菜を、アルファードが苦笑しながら促した。
「さあ、行くぞ。見物は歩きながらでもできる」
 アルファードは里菜の背中に軽く手を回して、後ろから押すように歩きだした。
彼は普段、里菜と歩く時は少し離れて歩くのだが、この時ばかりは、里菜があんまりぼんやりしているので、迷子になったり、横あいからひょっと路地に引き込まれたりしないかと、本気で心配になったのである。
 アルファードと里菜の後ろから、ローイがキャテルニーカの手を引いて歩き出す。
 都会の喧騒が、たちまち四人を包み込んだ。


 南の都、首都イルベッザは、無秩序で雑然とした大都会だった。
 同じ大都市でも、興国の英雄ラドジール王によって一代で築きあげられた北の都カザベルが計画的な放射線状の街路を持ち、きちんと区画整理されているのに対し、気候のよい海辺の土地に古くから自然発生的に発達してきたイルベッザの市街では、きちんとしているのは、南北に走る、この中央の大通りだけで、あとの道路は縦横無尽、無数の細い路地が好き勝手に曲がりくねり、入り組んでいる。
 市街地を囲む防壁も、最初からそれを計画に入れて街を建設したというものではなく、すでに街があったところに、ある時の王がいきあたりばったりに強引に巡らせてしまった防壁であり、四方八方にアメーバのように広がりつつあった当時の街の形に合せて、うねうねと曲がっている。
 しかも今では、森が迫っている東と海が迫っている西、大河シエロ川に接している南はともかく、街道沿いの平坦な北側には防壁を越えてさらに街が広がり、もう、どこまでがイルベッザでどこからが隣町なのかもわからないような状態だ。
 もちろん、市門は常に開けっ放し、門衛もいなければ検問もない。
 ついでに言えば、この無意味な防壁が崩れかけていても誰も修理しないので、防壁にもたれかかるように立ち並んだ小さな貧しい家々は常に瓦礫に埋れる危険にさらされているが、誰もがそんな現実は見て見ぬふりで、平気でそこに住み続けている。
 この、いいかげんな楽天性、いきあたりばったりなおおらかさこそが、温暖で穏やかな気候に恵まれたイルベッザの民の市民性なのである。
 そんなイルベッザであるから、町並みも、もちろん雑然としている。例えば古都の矜持高いプルメールの街では、古い石造りの家々が整然と立ち並び、新しい建物もほぼ同じ様式でまとめられて落ち着いたたたずまいを見せているのに対し、イルベッザの建物は、古いもの新しいもの、石造りのもの木造のものなどが雑然と混じりあい、その建築様式も、建てた人の気まぐれやその時々の一時的な流行にあわせて、てんでバラバラ、まるで統一感がない。
 そんなゴチャゴチャとした町並を、さらにゴチャゴチャにしているのが、北部からの避難民の仮小屋である。
 おどろいたことに、彼らは、そのへんの家の壁や塀を勝手に利用して、丸木や廃材をいいかげんに立てた柱の上に板切れやら皮の敷き物やらひどいときは古マントなどを渡して屋根にしたみすぼらしい差しかけ小屋をつくり、そこに住み着いてしまっているのである。さすがに大通りにはそれはないが、すこし脇道に入ると、そういう差しかけ小屋が著しく通行を妨げていたりして、市民の苦情のもとになっている。
 しかし、避難民たちに住居を斡旋してやることもできない<賢人会議>は、自らの無為無策を棚に上げて彼らに強く立ち退きを迫るなどということはできず、見てみぬふりで差しかけ小屋を放置しているのが現状である。
 だいたい、<賢人会議>は、大量の避難民の流入というこの非常事態に対処できるだけの力を、権限という点でも、財力という点でも、持っていないのである。一応は国の中央政府である<賢人会議>も、今ではすっかり弱体化し、その実態はほとんどイルベッザの市議会にすぎないのだ。
 こんなにも弱体な政府が今だに転覆もせず、百年以上も世界の統一を保ってきたというのがこの世界の不思議なところで、これはこの国の人たちにとってもやはり謎であり、『イルファーラン七不思議』の筆頭に数えられている。この、『七不思議』の内容は、地方や話す人ごとに異なっているのだが、唯一、この筆頭の謎だけは、どの地方のどんな社会階層の人にも、必ず七つのうちに数えられるのである。
 そもそも、戦乱の時代に、こんないいかげんな国民性を持つイルベッザ王国がこの世界の覇者となったこと自体が不思議といえば不思議なことなのだが、それは、アルムイード王という傑出した指導者がちょうどいいタイミングで現われ、また、それに魔法使いユーディードという非凡な軍師がついたおかげである。
 この、イルゼール出身の魔法使いユーディードの存在が、通常はあまり交流のないイルベッザ地方とエレオドラ地方に、戦乱の時代に共に戦ったものどうしという連帯感を残し、ひとくくりに『南部』と言えるような結び付きをもたらしたのである。
 それに、もともと、やはり同じ南部どうし、このふたつの地方の人々は、交流は少なくても気質的に似ているのだ。――つまり、どちらもおおらかで楽天的、かつ、いいかげんでいきあたりばったりであるという点が、共通しているのである。
 一方、この国の北部の人々は、里菜から見るとやはりいいかげんだが、それでも、よりルーズで好き勝手な南部の人々と比べると勤勉で几帳面で、概して集団主義的傾向が強い。厳しい自然を生き抜くために、そうならざるを得なかったのだ。
 もし、この国を統一したのが北のカザベル王国だったら、この世界のその後の歴史はまったく違ってきただろう。まだ議会制などは生れておらず、強大な王のもと、専制国家のままでいたかもしれないし、そうでなくても、もっと中央集権的な国になり、そのかわりあらゆる組織がもっときちんとしていただろう。
 とにかく、この世界では、アルムイード王が世界を統一し、その後、比較的穏やかな無血革命によって王制は廃され、<賢人会議>が生れ、そしてその<賢人会議>は、長い平和と勝手な国民性の中でどんどん弱体化し、今では統一国家とは名ばかりの、戦乱以前の状態に逆戻りしてしまったわけだ。
 それでも今だに<賢人会議>が打倒されないのは、それがあまりに弱体で権威がなさすぎるので打倒する必要もないからだと言うものもいるが、要するに、もともと争いを好まないこの国の人々は、長い戦乱の世にすっかり懲りていたのである。形骸化した政府を倒してもういちど戦乱の世に戻るよりも、たいした役にもたたないが邪魔にもならない飾り物の政府を戴いて、あたりさわりなく暮すほうを選んでいるのだ。
 この、たよりない<賢人会議>が政務に携わっている場所が、都の中心に聳え立つ旧イルベッザ城だ。威風堂々たる石造りの古城で、文化財としては価値のあるものだが、あまり実用的とはいえない、使いにくい建物である。
 彼らが今だにこんな遺跡のような建物を庁舎に使っているのは、単に財政難、用地難のためだ。
 今では<賢人の塔>と通称されるその古い城は、かつては広大な広場や庭園であった敷地内にありとあらゆる公立施設を無秩序にひしめかせており、軍の事務局や宿舎も、治療院も、すべてそこにある。四人が、都に着きしだい真っ先にそこへ行くつもりで長い旅をしてきた、その目的地なのだ。
 けれど今、そこは四人の共通の目的地ではなくなっていた。
 ローイはもう、そこへ行く理由を失っていたのである。
 そのことはみんな、今朝から知っているのだが、いよいよ別れるところまでは何もないような顔でいようと示し合わせたように、誰もそのことを口に出さずにここまで歩き続けてきた。
 四人の行く手に、<賢人の塔>が見えてきた。近付くにつれてあきらかになる、その威容に――というより、異様な形に――、それまでもキョロキョロしどうしだった里菜は、またまた唖然としていた。
 それは、何というか、とにかく異常な形の城だった。
 城の下半分は前方の低い建物に遮られて見えないが、そこからにょきにょきと生えている無数の塔は、遠くからでもよく見える。それらの塔は高さも太さもまちまちで、ひとつひとつ好き勝手な形をしており、しかも、それぞれが、奇妙に曲がりくねった空中の渡り廊下で複雑に繋ぎあわされている。これで材質が石でなく、金属か、ガラスやプラスチックのような素材だったなら、城というより、古いSFに出てくる謎の巨大機械といった趣だろう。
 けれども、この奇妙な空中都市が、金属製でも特殊ガラス製でもなく、すべて重たげな石造りなのがよけい不思議なところで、どうやって石であんな渡り廊下を作って空中を走らせることができるのか、里菜には見当もつかない。見当もつかないが、おそらくは何か特殊な魔法が関わっているのだろうとは思う。実際その通りで、それらは、今では失われてしまった古い時代の魔法技術の粋なのである。
 イルベッザ城がこのような異様な姿をしているのは、単に、歴代城主の無計画な性格のためで、別に、この世界の城はみなこういうものだというわけでもなく、個性的な建築家の芸術的感性の現われでもない。高度な魔法技術があるのをいいことに何世代にも渡っていきあたりばったりの無理な増改築を強引に続けてきた結果、こんなことになってしまったのだ。
 しかし、それはそれで、なかなかに歴史を感じさせる重厚で威圧的な趣を醸し出してもいると言えなくもない。
 だから、実際には、歴代の王に代表されるイルベッザの民の場当り的な気質を象徴しているに過ぎないこの建物も、里菜のような事情を知らないよそ者には、この世界の文明の高度さと<賢人会議>の権威の象徴のように見えて、畏怖の念さえ呼び覚ます。
 里菜が、我を忘れてその塔の目を吸い寄せられたままアルファードに誘導されて歩いているうちに、四人はいつのまにか城の入り口の跳ね橋の前までやってきていた。
 そこで里菜は、ローイの声に、はっと我に帰った。
「じゃあ、俺はここで。あんたらも、せいぜいうまくやれよ。リーナちゃん、元気でな」
「……ローイ! どうしても、行ってしまうの? ねえ、今からでも考え直さない? 一緒に軍隊に入りましょうよ、ね?」
 思わず縋りつこうとした里菜から、ローイはすっと身をかわした。
「おっと、リーナちゃん、その話はもう済んだはずだろ? 俺は俺の道を行くさ。だからと言って何も別の街に行くわけじゃねえんだ。同じイルベッザにいるんだからさ、まあ、いいじゃねえか、な。お互い落ち着いたら連絡取り合って一緒に飯でも食おうぜ。そうそう、アルファード、あとで、あんたらの連絡先を宿に言付けするの、忘れないでくれよ。俺、どういう話になっても、とにかく今夜は一度、宿に戻るからさ。じゃあな」
 そう言って、ローイは、片手を上げて軽い別れの挨拶をしながら、さっときびすを返すと、たちまち人混みの中に紛れていってしまった。
 その背の高い後ろ姿を、目を凝らして追い続けようとする里菜の後ろで、アルファードが言った。
「リーナ、行こう。そんなふうに見ていても、ローイは戻ってこない。やつは一度言い出したら、どんなに止めても無駄なんだ」
 ただ一人の友達が、親友が、自分の前から去っていくというのに、アルファードの態度はあっさりしていて、一見冷たくさえ見えた。だが、その落ち着いた声の裏に、計りしれぬほど深い喪失感が込められているのだろうと、里菜は思った。
 里菜には見るなと言ったくせに、アルファードのまなざしもまた、ローイの後ろ姿を求めて、彼が去っていった人混みに注がれていた。きっと、アルファードは、そんな自分に言い聞かせるために、里菜に言葉をかけたのだ。
 ローイの行く先は、この近くにあるはずの民間の職業斡旋所のはずである――。


 それは、まさに青天の霹靂だった。
 今朝、宿の食堂で朝食を食べながら、ローイは突然、宣言したのである。
 軍隊に入るのはよした、今日、これから他に仕事を探しに行くつもりだ、と。
 彼は、こうも言った。
 軍隊なんて最初からあまり気が進まなかったのだが、他にあてもないし、とりあえず入ってみてもいいかと考えてアルファードの提案を承知したのだ。けれど旅の間によくよく考えてみたら、やっぱり自分に軍隊は向かないと気がついた、と。
 無論、アルファードと里菜は、ローイを引き止めた。特にアルファードは、食事の後、里菜とキャテルニーカを残してローイをどこかへひっぱって行き、さんざん説得を試みたらしい。
 が、アルファードの必死の説得も、ローイの心を変えることはできなかった。
 里菜は里菜で、ローイが急にこんなことを言い出したのは自分のせいではないかと考えて胸を痛めていた。
 あのプロポーズ以来、ローイは一貫して全く何もなかったように陽気に振る舞っており、里菜もなるべくそれに調子を合せていた。けれどこの時、里菜は、ローイが想像以上に傷ついていたのではないかと、恐れにも似た思いで考えたのだ。
 ローイの説得に失敗したアルファードは、諦めて、自分と里菜とキャテルニーカの宿代を精算しに行った。
 ローイは、まだしばらくはこの宿に滞在することになるだろうと言っていた。金はまだ残っているから、当面はこの宿に滞在しながら職を探し、職が見つかったら、そこに住み込むなり近くに部屋を借りるなりして、宿を出るという計画だ。だから、アルファードと里菜が自分たちの連絡先とキャテルニーカの行先をすぐに宿に言付けてくれれば、ローイのほうでも、新しい住みかが決まりしだいアルファードに連絡を寄越すという約束になった。
 アルファードが居なくなると、すぐに、里菜は食堂の隅にローイを引っ張っていった。
「ねえ、ローイ。もしかして、あたしのせいなの? あたしと、そのう、あんなことがあったから……?」
 恐る恐る里菜が尋ねると、ローイは、子供にするように里菜の頭を撫でた。里菜の頭はローイの胸のあたりまでしかなかったので、そんなふうにすると本当に大人が子供の頭を撫でているようだった。
 ローイは、笑いながらこう言った。
「違う、違う。そりゃあ、考えすぎだ。何もあんたのせいなんかじゃねえよ。さっきも言ったろう? やっぱり俺にゃあ、軍隊は向かないと思うんだよ。俺、そんなむさくるしい重労働は御免なんだ。何かもっとおもしろおかしい仕事でも探すからさ」
「でも、ローイ……、ローイ……」
 どう言っていいかわからなくて、里菜がうつむいて言葉に詰まっていると、ふいにローイが里菜の顎に手を添えて顔を仰向かせ、真顔で里菜の目を覗き込んだ。
 思わぬ行動にとまどいながら、とても高いところにあるローイの真面目な顔を見上げて、里菜はなんとなくドギマギして、また赤くなってしまった。慌ててローイの顔から目をそらすと、今度は、顎先からすっと放れたローイの長い指が、武骨に荒れているものの思いがけず繊細な、綺麗な形をしていることをふいに意識して、またドキッとしてしまい、そんな自分にうろたえた。今は、そんな場合ではないのに――。
 ローイが黙って自分と向き合ってくれていて、今なら耳を貸してもらえるだろうこの短いチャンスに、何かローイを引き止めるようなことを言わなければと思うのだが、頭が混乱して、どうしていいかわからない。
 今、引き止めなければ。何か、言わなければ――。でも、自分に――ローイの想いに応えてあげられない自分に、ローイを引き止める資格があるのだろうか――。
 小さく開きかけた口が言葉を捜しあぐねて、声にならない想いだけが徒に唇を震わせた。
 ローイは、顎から放した指先を、今度は、慈しむように里菜の頬に沿って滑らせて、ほんのしばらく、そのままで里菜を見つめ、それからそっと手を離して言った。
「リーナ……。引き止めてくれるんだな。嬉しいよ。でも、ごめんな。俺、やっぱり、他の仕事を探す。なに、いつでも会えるさ、な? 俺は、どこか俺の場所で、あんたの幸運を祈っていてやるから、あんた、頑張れよ」
 そしてそのまま、さっさと、キャテルニーカがひとりで待っている元のテーブルに戻ってしまい、里菜が慌てて追い付いたころには、ちょうどアルファードも戻ってきて、話はそれきりになってしまったのだ。


 そして、今。
 ローイは道を分かち、里菜の前から失われた。
 とはいえ、喧嘩別れをしたわけじゃ無し、ただ同じ街で別々の仕事に就くというだけのことで、ローイが言うとおり、会おうと思えばいつでも会えるはずだ。
 それなのに里菜の胸に、どういうわけか、ここでローイを見失ったらもう会えなくなるのではないかという不安な予感が広がっていた。
(ううん、ローイはイルベッザにいるんだもの、これからもいつでも連絡が取れて、そうしたければすぐに会うことも出来るはずよ)
 自分にそう言い聞かせて、里菜は、ローイが消えた人混みから、イルベッザ城へと目を移した。
(あの不思議な塔の下で、新しい生活があたしを待ち受けているんだ……)
 その時、里菜は気づいた。
 旅が終ったのは、昨日、市門をくぐったときではなく、今、この、下ろしっぱなしの跳ね橋を渡った時こそ、自分たちの旅の日々の本当のおしまいなのだと。
 ――ローイが、行ってしまった。キャテルニーカも、どうなるかわからない。頼みのアルファードとさえ、これからは、今までのように一つ屋根の下で暮すことはできなくなる――。
 里菜の心に、感傷と不安が沸き起る。
 実を言うと、里菜は、すこし前まで、なんとなくイルベッザでも今までどおりアルファードと暮せるような気がしていた。もちろんアルファードは、最初から軍隊では宿舎に入ること、宿舎が男女別であることを里菜に話していたし、里菜もそれは頭では分かっていたのだが、それにもかかわらず、心のどこかで、里菜はそれを信じていなかった。
 イルベッザに辿り着き、新しい生活が現実味を増してきた時、里菜はあらためてその事実に思い当って、愕然とした。なんとなく、アルファードに騙されたような、裏切られていたような気さえした。
 だが、もちろん、アルファードが悪いわけではないと、わかってはいるのだ。
(そう、今が本当の、旅の終り。これからは、みんな変わってしまうんだわ)
 里菜はアルファードに背中を押されて、キャテルニーカを手を引き、水の枯れた掘に架かる跳ね橋に向かって足を踏み出した。

(── 第二章・完 第三章に続く ──)

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