長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語 

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 <第三章 イルベッザの闇> 

(第二章までのあらすじはこちらから


二(前半)



 あの日、跳ね橋を渡った里菜とアルファードは、通りすがりの学生らしき青年に道を尋いて軍の事務局にたどりついた。城の敷地は結構広くて、あらゆる国立施設と、その職員の宿舎や食堂などが立ち並び、ちょっとした街になっている。いわば官庁街なのだが、その言葉から想像するような整然としたところではなく、城の外の街と同様、どうにもこうにも無秩序でごちゃごちゃしたところだ。
 手続きは、ほんとうにこれでいいのかと思うほど簡単だった。後で知ったところによると、いくらいいかげんなイルベッザとはいえ、最近、特殊部隊の入隊手続きが特にずさんになったことは有名で、魔物が志願してきても入隊させてしまうだろうと言われているそうだ。
「あー、出身地と名前、年令。言っとくが、十六才未満は入れないよ」と、里菜を一瞥しながらぼそりと言う初老の事務官に、アルファードが短く答える。
「イルゼールのアルファード、二十二。同じくリーナ、十七」
「リーナ? エレオドリーナでもファルリーナでもなくて、ただのリーナかね?」
「はい」
「……まったく、近頃の若い者の名前ときたら、いいかげんで困る。で、家族は、あるかね? つまり、万一あんたらが死んだ時、連絡しなきゃならないところは。そうそう、仕事で死んだら、見舞金が出るからね。まあ、ほんの気持ち程度だけどね。その見舞金を受け取る人は?」
「ふたりとも家族はいませんが、万一の時はイルゼール村の世話役に連絡と見舞金の支給をお願いします」
「ほうほう、なるほどね。家族がないなら、結構。私はね――これはもちろん越権行為なんだが――、志願者に家族がいる時は、いつも、なるべく入隊をやめるようにと忠告するんだよ。個人的な老婆心でね。で、君たちは、武器や防具の貸与を希望するかね?」
「いいえ」
「仕事はこのふたりで? なんなら、他にもチームを組む相手を紹介するが」
「結構です」
「宿舎への入居は?」
「希望します」
「じゃあ、あとで宿舎の場所を教えるから、それぞれ、この書類を持って行って、宿舎の管理人に渡しなさい。それから、仕事のやり方と報酬の仕組み、各種の規則だが……」
 こうして、ひととおり簡単な説明を受けたら、それで終りである。
 が、その後、事務官は、しばらく考えて付け加えた。
「ところで、そっちのあんた……、アルファードって言ったな。イルゼールのアルファードという名には聞き覚えがあるような気がするんだが……。もしかして、あんた、前回の武術大会のチャンピオンの、あの<ドラゴン退治のアルファード>じゃないのかね?」
 アルファードが、そうだと答えると、事務官は突然慌て出し、『ちょっとそこで待つように』と言い置いて、どこかへ飛び出していってしまった。アルファードと里菜は、しかたなく、外で待たせていたキャテルニーカも連れてきて面接室で座って待っていたが、そのうち事務官が息を切らせて戻ってきたかと思うと、得意満面の手柄顔で言った。
「ちょっと一緒に来てくれないか。<賢人>ファルシーン様が、お会いになりたいと言っている。……なんだね、その子供は? えっ、孤児? まあ、いい。とりあえず、一緒に連れておいで。働き口を探してる? それじゃ、運がよければ、その子のこともファルシーン様がうまく取り計らって下さるかもしれんよ」
 こうして、里菜たちは、わけもわからぬままに事務官に連れられて、城の正面広場を横切り、門番もいなければ受付もない開けっ放しの通用門のようなところから奇妙な城に入っていくはめになったのだ。
 薄暗くひんやりとした長い廊下を、勝手知ったる様子で、事務官はすたすたと進んでいく。
 天井を見あげると、ところどころに奇妙な光の玉が浮かんでいる。キャテルニーカの出した光球ほど明るくも大きくもなく、あれより温かみのある色あいだ。さすが<賢人の塔>、村では見たこともない高度な魔法である。
 それにしても、いったい何が起こったのか、里菜は呆然とするばかりだ。
 この<賢人の塔>というのは、日本で言えば国会議事堂、アメリカで言えばホワイトハウスか何かにあたるはずの建物ではないだろうか。それを、こんなふうに、いきなりずかずかと入り込んでいいものだろうか。いくらなんでも気軽すぎ、開けっ広げすぎるのではないだろうか。
 曲がりくねった廊下を、あちらに折れ、こちらに折れして歩き回ったあげく、事務官がノックをして開けたのは、ごく簡素な小部屋のドアだった。長いらせん階段を登ったところだから、あの奇妙な塔のひとつに位置する部屋なのだろう。
 中にいたのは、襟ぐりに金の模様の入った長い純白のローブに身を包んだ、三十代半ばと思われる赤毛の女性だ。何もかも見通すようなまなざしと意志の強そうな口元を持つ知的な美人で、きりりと姿勢を正したその姿は、いかにも行動力と活力を感じさせ、ちょっとただものではなさそうな威厳がある。
 背丈は普通だが、女性にしては骨太の、しっかりした体格で、こちらへやってくる足取りのきびきびした無駄のなさから、アルファードは彼女を軍人上りだろうと踏んだ。
「ファルシーン様、お待たせしました。イルゼールのアルファードと、一緒に入隊したイルゼールのリーナ、それからこの子供は、途中で拾ってきた孤児で、働き口を探しているそうです」
 相変わらず得意げに事務官が言うと、その女性――<賢人>ファルシーンは、気さくな笑顔で答えた。
「ありがとう、グード。ずっとまえに頼んだこと、ちゃんと覚えててくれてうれしいわ。そのうち何か御礼をするわね」
 軽く礼をして出ていった事務官の嬉しそうな顔を見て、里菜は、このふたりの立場からして彼はこれで昇進でも約束されたのかと想像したのだが、後で知ったところによると、ファルシーンの御礼というのは手作りの焼き菓子だったそうだ。後で里菜たちとも親しくなったこの事務官は、この後何か月も、『ファルシーン様のお菓子がとてもおいしくて孫たちが大喜びした』と、会う人ごとに嬉しそうに自慢し続けたらしい。
 ファルシーンは、三人の客人に、にこやかに椅子を勧めながら、自分も向かいの椅子に座って言った。
「いきなり呼び出してごめんなさいね。私は<賢人>ファルシーン。シーンと呼んでくれていいわ。私は軍務を担当しているから、これからはあなたたちの大親分ってことになるのね。あ、でも、堅くなることはないのよ。今日は個人的なお客として、あなたたちに来てもらったの。アルファード、あなたが軍に入ってくれてうれしいわ。実はね、ずっと前からあなたにどうしても会いたいって言ってる人がいて、もしかしたらあなたが軍に志願してくるかもしれないから網張っといてくれって頼まれてたのよ。もちろん、私も会いたかったしね。使いをやったから、たぶん、もうすぐ来るわ。楽にして待っててね。今、お茶、いれるから」
「はあ……。どうも……」
 いきなり嬉しそうにまくしたてられて、完全に圧倒されたアルファードは、ぼそりと答えた。
 別にファルシーンが<賢人>だから緊張していたわけではなく、彼は実は、子供も苦手だが女性も全般に苦手で、特に、こういう、見るからに頭がよさそうで行動力がありそうな、はきはき、きびきびした女性は、変に女っぽく色気の過剰な女性や、やたら勝ち気な、いわゆるじゃじゃ馬タイプの女性と並んで、最も苦手とするタイプなのだ。要するに、たぶん、自分が押され気味になりそうな女性は敬遠したくなるという情けない心理なのだろうと、自分でも薄々わかってはいるのだが、わかっていても苦手なものは苦手なのだからしかたがない。
 が、運がよいことに、アルファードは、この、苦手なタイプの女性と、これ以上差し向いで話をせずに済んだ。
 ファルシーンがお茶を持って戻ってくるより早く、あわただしいノックとともにドアが開いて、ファルシーンと同じ、時代がかった白いローブを着た男性が入ってきたのだ。
「シーン! アルファード君だって? 本当かい! あ、いや、これはこれは、アルファード君、失礼。おや、なんだか、かわいらしいお嬢さんたちも一緒じゃないか。ああ、いや、立たなくていい、そのままで」
 そういいながら、白服の男は、勝手に向かいの椅子に腰を降ろした。
 年の頃は、やはり三十半ばというところ、海のような深い青色の瞳、首の後ろでゆるく束ねたつややかな黒髪、色の白い知的で端正な面だちの、やや小柄で華奢な感じの男性である。
 華奢ではあるが貧弱な感じはなく、何か、身体つきを越えたところで大きさを感じさせる、これまた、ただものではなさそうな人物だ。ずいぶんとそこつな登場をしたにも関わらず、どういうわけか、動作の端々まで品位と落ち着きが漂っているように見える。品のある人というのは何をしていても上品なのだと、里菜はちょっと見とれてしまった。三十半ばというと里菜から見れば完全に『おじさん』だが、このおじさんは、ちょっとかっこいいかもしれない――。
 そこへちょうど、部屋の奥からファルシーンが、五人分のお茶を盆に載せて出てきた。
 この国では、<賢人>ともあろう人物が、平気で自分でお茶を出すものらしいと、里菜は感心し、それから、いや、もしかすると、それはやっぱり普通のことではなく、この人だけが特別気さくでマメで軽々しい、型破りな人なのかもしれないと思い直した。が、この国ではどんなに偉い人でも男女を問わず平気で自分でお茶をいれるというほうが真相だと、後になってわかる。格式ばらない人たちなのだ。
「リオン、アルファードは今日から私の部下なのよ。うらやましいでしょう! こちらの娘さんはリーナ、特殊部隊でアルファードとチームを組むのよ。で、こっちの小さいお嬢さんは孤児なんですって。ここで働き口を探しているそうよ。後で話を聞いて、うまく取り計らってあげてくれない? ……アルファード、リーナ、こちら、<長老>ユーリオンよ」
 里菜は、それこそのけ反った。これが――この、確かに品はあるが貫禄には欠ける、まだまだ若い男の人が、<長老>だとは。里菜がばくぜんと想像していた<長老>――いかにも老賢人然とした白髪白髭の、知恵の固まりのような超俗の老人――とは、えらい違いである。これなら、あの、不運なゼルクィールのほうが、よっぽどそれらしい。
 アルファードも、目の前にいるのが<長老>だというのには少々驚いたようだが、長老が意外と若いことは知っていたから、すぐに気を取り直して、とりあえず、座ったまま軽く礼をした。
「長老様……」
 とたんに<長老>は、顔をしかめて手を振った。
「ああ、アルファード君、<長老>はやめてくれたまえ。何だか自分が急に年寄りになったような気がする。リオンでいい、リオンで。『様』も、付けなくていいからね。リーナ君、君もだよ。若い綺麗な娘さんたちには、特に絶対、私のことを<長老>とは呼ばないで欲しいものだ。
 まあ、<長老>というのは、単なる役職名だからね。別に年寄りということじゃない。言っておくが、私はまだ三十五だ。<賢人>の中でも、このファルシーンとならんで最年少なんだ。
 だから<長老>を押し付けられたのさ。<長老>は雑用が多くて、元気な若い者でないと勤まらないとか言われてね。先代までは、その名の通り、たいてい一番年長のものがやっていたのだが……。これはみんなの陰謀なんだ! おかげで私は、自分の研究に割く時間がまったくない……。私は何と不運なのだろう。そう思わんかね」
「はあ……」
 アルファードも里菜も、呆れて返答に詰まった。
「ところでアルファード君。私はずっと君に会いたくてね。実は私は、本業は神話学と民俗学なんだ。それで、以前、まだ、ただのかけだしの学者だったころ、二度ほど君の村に古老の昔話の採訪に行ってね。ああ、つまり、君のおじいさんとか、女神の司祭のおばあさんなんかの話を聞きにね。
 アルファード君、君の村は、たぶん君が思ってる以上にすばらしいところなんだよ。神話、伝説の宝庫で、都ではもうほとんど忘れられている我々の古い信仰が、そのままで残っている。我々の心の故郷とでもいうべきだろうね。
 君のおじいさんは気難しい人だという評判だったが、どういうわけか私のことはとても気に入ってくれて、いろいろ話をしてくれたよ。古い物語を、実によく知っていた。最初に行った時は、まだ君がこの世界に来る前だったが、二度目の時に君のことを聞いて、ぜひ会わせて欲しいと頼んだんだ。だが、おじいさんは、君が難しい年頃で、魔法が使えないことに悩んでいるからと言って会わせてくれなかった。君のことを、とても気遣っておられたんだよ。あの時、君は、どこかへお使いにやられていたんじゃないか?」
 ユーリオンの言葉に、アルファードは、はた、と、思い当った。
 そういえば、たしかに、彼がまだ少年だったころ、都の若い学者が村にやってきたことがある。そして、たしかにその日、アルファードは隣り村に使いにやられていたのだ。
 出掛けに遠くからちらりと見かけた、その学者の端正な白い顔と黒い髪、ほっそりした品のいい姿は、言われてみればたしかに、今、目の前にいるこの男と重なる。
(そうか、あの学者が、<長老>になっていたのか)と、アルファードは当時を思い出した。
 その頃、彼は、まだ二十代半ばの青年学者だったが、アルファードが村に現われるしばらく前にも、当時の世話役の家で一週間ほど滞在していったことがあったそうだ。村の若者たちは誰もまともに相手にしない年寄りのたわごとを、都の年若いエリート学者が遠路はるばる、わざわざ聞きに来たというので、みんな随分驚いたらしい。
 その彼が再びやってくると分かった時から、村中が彼の話題で持ち切りだった。
 ただでさえ村に客人があるのはめずらしいことだが、その上、彼は、以前に村に滞在した時、村では見慣れない黒髪に青い目の繊細な美貌と、洗練された知的な雰囲気、それに気さくな人当りのよさも加わって、村の娘たちの人気を独占していったのだ。村の若者たちはだいたいみんな武骨者で、日焼けしたごつい男ばかりだったから、華奢で知的な白晢の美青年は、村の娘たちにとって、いかにも都会的で、溜息が出るほど上品で、まるで本物の王子様のように見えたらしい。
 あの、あこがれの都会の貴公子が再びやってくるというので、村中の若い娘たちは、そろって色めき立っていた。アルファードの年代の少年たちにも、その姉たちや近所の年上の娘たちの浮き足立った気分が伝染し、みんながなんとなくわくわくして、まるでお祭りを待つように彼の訪れを待ちのぞんでいたのを、アルファードも覚えている。
 村では今でも、あの時の若い黒髪の学者のことは、今では母となった当時の乙女たちが思い出を共有する、若き日のあこがれの王子様として、半ば伝説になっている。
 その彼が後に随分偉くなったらしいということは村でも噂になっていたし、<長老>が神話学者上りだというのもみんな知っていたが、まさか、あの彼が<長老>になったのだとは、誰も思っていなかったのだ。
 ユーリオンは、黙っているアルファードにかまわず、興奮気味に話を続けた。
「そして、おじいさんは、君のことを本に書いたりおおっぴらに発表したりしないようにと私に頼んだ。私は約束を守ったさ。ああ、でも、それ以来、私は何としても、君と会っていろいろ話が聞きたくてね。何しろユーディード以来百数十年ぶりに、この世界に生きた本物の<マレビト>が存在している、しかも、魔法が使えないという、前代未聞の<マレビト>だ!
 ああ、いや、つい興奮してしまって、許してくれたまえ。君のことを、こんなふうに珍しい動物みたいに言っては失礼だね。だが、どうも、その、学者の悪い癖で。
 それに私は、学問的な興味だけでなく、君という人間に興味があったんだ。別の世界から来た人間。記憶を失った人間。魔法が使えない人間。その君が、何を思い、何を感じて生きているのか。
 だから、一昨年の武術大会に、イルゼールの出身で魔法が使えない若者が出てきたと聞いた時は、私は狂喜したね。これで君と話ができるだろうと。君は本当に立派だ。魔法が使えないなら身体を鍛えて、剣のチャンピオンになる。実に素晴らしい、不屈の精神じゃないか。武術大会の表彰式の時、私はその後の祝賀会で君を捕まえてぜひとも個人的に近付きになろうと、とても楽しみにしていたんだ。
 それなのに、君、ひどいじゃないか、主役のくせに、さっさと抜け出してしまうとは。私だけじゃない。みんな、がっかりしていたんだよ。君、あれは失礼だ」
「はあ……。済みません、仲間と約束があったもので……」
「いやいや、過ぎたことをぼやいてもしかたがないね。今度、ぜひともいろいろ話を聞かせてくれたまえ。あいにくと今日はこれから、会議があって、あまりゆっくりはできないんだ。今度一緒に飲みに行こう。よかったらそちらのお嬢さんも一緒に」と、それまでほとんどアルファードしか眼中になかった彼が、ここでやっと、里菜に目を留めた。
「ええと、リーナ君だっけ? アルファード君の相棒として軍で働いてくれるんだったけね。そういえば君たちは、顔付きや肌の色みが似ているようだが、親戚か兄妹かね?」
「いえ、違います」
「じゃあ、同郷の友達どうしか」
「はあ、まあ……」
「まあって、ああ、そうか、年齢はちょっと離れているようだが――いや、リーナ君も軍に入るということは十六は越えているわけだし、アルファード君も、たしか、武術大会の時に、落ち着いて見えるが実はまだ二十才そこそこで史上最年少のチャンピオンだって言われて話題になってたんだから、見かけほど年は離れてないのかな――、もしかして、君たち、恋人どうしかい?」
「いっ、いえ、そういうわけでは……」
「はあ、はあ、なるほど、そーゆー関係ね。若い人はいいね。まあ、がんばりたまえ」
 何が『そーゆー』なのか分からないが、ユーリオンは、ひとりで納得してしまった。
「で、こんな、小さくて可愛らしい華奢な娘さんが軍隊に入るとは、やっぱり火の玉が得意なのかね。ああいう技術は、体格とはあまり関係ないからねえ」
「いいえ、リオン様」と、里菜は小さい声で答えた。
「あたし、そういう魔法は全く使えないんです。火の玉だけじゃなくて、普通の魔法は何にも。ただ、相手の使う魔法を何でも消せるんです」
「えっ!」と叫んだのは、ユーリオンとファルシーンと同時だった。ユーリオンは、乗り出すように尋ねた。
「じゃあ、君、一種の魔法使いじゃないかね! 普通の魔法は使えないって、アルファード君みたいに、火や水を出したりも出来ないわけか?」
「ええ……」
 里菜が気圧されてうつむいていると、横からアルファードが口を添えた。
「リオン様。リーナも、<マレビト>です。この秋にこの世界へ来たばかりで、もといた世界のことを覚えています」
「何ということだ! 本当かね、リーナ君。それはすごい! なるほど、確か、あの村には、そういう黒い髪や目の人はいなかったはずだね。いや、アルファード君の髪や目は、そういえば黒に近いが、そうか、ふたりとも<マレビト>か……。
 これはぜひ、君からもいろいろと話を聞かなくては。もとの世界のことを、ぜひ教えてもらいたい。これは、絶対、今度、三人で一緒に飲みに行かなくてはならないぞ。ああ、もちろん、おごるよ。君のような若い娘さんが一人ででも入れるような上品な店を知ってるからね。ここの構内にあるから、帰りが暗くなっても安全だ。構内に魔物が出たことは、ないからね。
 ああ、しかし、若い娘さんといっても、君はこれから魔物退治をしようという人だった。どっちみち、私などと違って、魔物など怖くないんだろうね」
 そこへファルシーンが口を挟んだ。
「リオン、ずるいわ! 私だって、このふたりの話を聞きたいわよ。勝手に決めないで、私も混ぜてくれなくちゃ」
「ああ、シーン、君にも、今回の御礼をしなければならないしね。しかし、私たちふたりともが空いている夜というのは、当分ないだろう。実は、私はしあさっての晩が空いているんだが、その日に、私が先に彼らを誘っても怒らないでくれるかい? 君にはいつか必ず食事をごちそうするし、都合がいい日があれば、あらためて四人で食事をしよう」
「はぁー、私はいつになるか分からないわね。まあ、しかたがないわ。アルファードたちはこれからずっと軍の宿舎にいるんだから、そのうち話もできるわよね」
「と、いうわけで、アルファード君、リーナ君、しあさっての夕食を一緒にどうだい」
「はい。ありがとうごさいます」
「ああ、楽しみだ! シーン、今日の会議は、君が議長だったね。私は今日、もう、わくわくしてしまって、会議に身が入らないかもしれない。どうか私に発言を求めないでくれないか。頼むよ」
「何言ってるの、リオン、あなたは<長老>よ。あなたが黙っていちゃあ、会議にならないわよ」
「これだから、<長老>になんて、なるものじゃないね。さあ、会議の時間だぞ。ああ、そうそう、すっかり忘れていたが、その前に、その小さいお嬢ちゃんのことがあったっけね。いや、実に綺麗な子だねえ。それに、妖精の血のこんなに濃い現れ方は、見たことがない。名前と年は?」
 自分のことが話題になっているのに気づく様子もなく無邪気にきょろきょろしているキャテルニーカにかわって、アルファードが答えた。
「名前はキャテルニーカ、十一才だそうです」
「おお、それはまた立派な名前だ。妖精の女王か。で、どんな仕事が希望だね。本当は、いつかは国中のすべての子供が、初級学校を出るまでは働かなくてすむようにしてあげたいんだが、今はまだ、そうもいかない……。でも、働きながら学校へ行けるよう、計らってあげるからね」
「できれば治療院で働かせてやって欲しいんですが。癒しの魔法が得意で、薬草にも詳しいので。それから、学校は、今まで実は通ったことがないらしいんです。家庭教師についていたのか、読み書きは出来ます」
 アルファードは、キャテルニーカが<御使い様>らしいというのは、どうせ本人も忘れていることだから伏せておくことに決めていたのだ。
「治療院か。それはちょうどいい。あそこはいつでも人手不足だ。本当は十二才からしか雇えないんだが、十一才なら、十二になるまでは見習い期間ということで、なんとか融通を利かせられるはずだよ。まあ、見習い期間中は、給料は、ほとんど出ないけどね。でも宿舎に入れるし、食事もつくから、悪くはないだろう。そうだな、ちょうど、これからの会議でユールと会うから、話をつけてあげよう。ああ、ユールというのは<賢人>のひとりだが、治療院の院長を兼務しているんだよ。
 じゃあ、シーン、行こうか。アルファード君、リーナ君、夕食の件、楽しみにしてるからね。待ち合わせのことなんかは、あらためて連絡するから。それじゃ、その時に、また」
 そう言ってユーリオンが立ち上がろうとするのを、ファルシーンがとどめた。
「ちょっと待ってよ、リオン。あなたがお茶も飲まずにべらべらしゃべるから、お客さんたちもお茶に手をつけてないじゃないの。せっかくいれたんだから、飲んで行ってちょうだい。お嬢ちゃんには、お菓子もあるわよ。会議なんて遅れても大丈夫よ。どうせ時間通りに来るのは、いつも私たちだけなんですもの。それに、今日は私が議長だから、私が行かなきゃ始まらないしね。だいたい、リオン、このまま彼らを帰しちゃっていいの? 彼に会いたがってたのは、あなただけじゃないでしょ。自分たちだけ会って、そのまま帰したなんて知れたら、あとでみんなに恨まれるわよ。あとでみんなが、仕事中の彼らを、それぞれ勝手に呼び出し始めたら、彼らも困るでしょうし」
「それもそうだ。じゃあ、お茶を飲んでもらって、それから会議に連れていこうか? 今日はどうせたいして議題もないし、ちょうどみんな集まっているから、好都合だ」
 こうして、またしてもわけがわからないうちに、里菜たちは、ふたりの<賢人>の後ろから、迷路のような廊下を歩いていくはめになったのである。
 会議の場である殺風景な小部屋に集まっていたのは、これまた、里菜が思い描いていた<賢人>たちとは、かなりかけはなれた人たちだった。
 ユーリオンとファルシーンの他に五人で<七賢人>なのだが、そのうち一人は褐色の肌に縮れた金髪を落ちかからせた小柄な美青年で、最年少だと言っていたユーリオンよりも若そうに見える。あんまり若くて、とてもそんな偉い人には見えない。だが、後で知ったところによると、彼は四十才で、三人の子持ちだということだ。しかも、十九才になる彼の一番上の娘はすでに嫁いでいて、まもなく初孫も生れるらしい。妖精の血筋は、男も女も若く見えるのだ。
 そしてもう一人は、どうみても、その辺の商店街の肉屋のおじさんという感じの、小太り、赤ら顔、陽気で人の好さそうな中年男性である。隣にいるのは、これまた、その肉屋の奥さんのような、ごく普通の家庭的なおばさん風の中年女性。そしてもうひとり、銀髪に丸顔、水色の目にピンクの頬の、小柄で愛らしく、やさしそうな老婦人。
 里菜たちが部屋に入った時、この三人はなごやかに歓談していたのだが、その一角には妙に日常的でほのぼのとした雰囲気が立ちこめていて、ここに子供の一人も混ぜれば、たちまちにして幸せな市井の一家の団欒風景が演出できそうだった。
 最後の一人だけが、白い髭と眉毛を長く伸ばしたいかめしい老人という、里菜の考える<賢人>にふさわしい人だったので、里菜は何だかほっとした。が、この老人のいかめしい様子は見かけ倒しだということが、この後すぐに分かってしまう。彼は、結構なひょうきんじいさんなのだ。ちなみに、彼の特技は、会議中の居眠りと、都合の悪い時のボケたふりである。
 ファルシーンがみんなにアルファードと里菜を紹介すると、揃いの白いローブ姿の<賢人>たちは、会議のことなどすっかり忘れて、わいのわいのと大騒ぎを始めた。威厳もなにもあったものではない。
 この時里菜は、自分たちがなぜここに連れて来られたのか、やっと呑み込んだ。要するに彼らはみんな、ただのミーハーなのだ。もしもこの国に、スターのサインという風習があったなら、彼らは我がちにアルファードに色紙を差し出し、親戚知人の分まで、何枚もサインをねだったに違いない。
 ユーリオンが言ったとおり、祝賀会でアルファードと話せなかった<賢人>たちはみな、ずっと残念がっていたのだ。何しろ、彼らが一番<賢人>をやっていてよかったと思うのは、この武術大会の祝賀会の時で、ここでチャンピオンたちと親しく話ができることこそ<賢人>の一番の役得だと思われているのである。イルベッザの人々は、だいたいにおいてミーハーだから、<賢人>とて例外ではないのだ。
 この国では、国民的行事である武術大会の各競技のチャンピオンたちは、それからしばらくは国民的スターとなるが、イルベッザの住民はあきっぽいので、普通はすぐ忘れられてしまう。
 ところがアルファードは、魔法が使えないとかドラゴンを退治したという話題性に加えて、『都に残って、その名声を利用して剣術の道場を開くか何かするのだろう』という大方の予想を裏切って、祝賀会さえ途中で抜け出し、あっという間に遠い故郷に帰ってしまった。
 それで、彼の名声には、神秘性、希少性という付加価値がついて、都の人々の間で伝説的な英雄として何年も記憶されることになっていたのである。
「アルファード、わしはあんたに、ぜひお礼が言いたかったんじゃ!」と、例の、ただ一人<賢人>にふさわしい風貌を備えた老人が、よろよろと進み出て叫んだ。
「わしは、あの時、あんたに大金を賭けて、おかげで大儲けをさせて貰ったよ! その金で、曾孫に、ずっと前からねだられていた子馬を買ってやって、たいそうよろこばれた。それからも、こづかいに不自由せんよ。みんなあんたのおかげじゃ。いやはや、今、こうしてあんたに会えるとは、この老いぼれも、生きていた甲斐があったわい!」
 ファルシーンがそれを聞きとがめて笑いながら言う。
「あら、<賢人>ファドゼール、あなたがあの時、そんなに大儲けをなさったなんて、私たち知りませんでしたわ! まあ、まあ、私、あなたを逮捕しなくちゃなりませんわ。武術大会での賭けは御法度ですからね」
「おや、シーン、君だってアルファード君に賭けてたじゃないか」と、ユーリオンがまぜっ返すのを無視して、ファルシーンは続けた。
「それに、だいたい、そんなに儲けたんなら私たちに何か奢って下さるのが筋じゃありませんの?」
「そうですよ、ゼール! 今からでも遅くない。我々全員に食事を奢るべきです」と、他の<賢人>たちも口々に騒ぎ出した。
「おお、ひどい連中じゃ、この老いぼれのささやかな老後の蓄えを、そんな、みんなしてたかろうだなんて! シーン、わしはあんたのことを娘同様に思ってきたのに、あんたが先頭に立って、老い先短いわしを脅して、なけなしのこづかいを巻きあげようというのかね。ああ、嘆かわしい!」
「娘と思って下さるなら、やっぱり何か買ってくださらなきゃ。曾孫さんには子馬を買ってあげたんでしょう? ねえ、みんな」
「そうだ、そうだ!」
 旗色が悪くなってきたファドゼールは、突然、あわれっぽく里菜にすがりついてきた。
「なあ、娘さん、このシラミどもに何とか言ってやっておくれ。みんなで寄ってたかってこの年寄りをいじめるんじゃ」
「はあ……」
「年寄りは、いたわらにゃいかん! なあ?」
「は、はい、まあ……」
「おお、あんたはやさしい子じゃ! よし、あんたにだけは、特別に、何か奢ってあげよう。今度、一緒にお茶でもどうかね」
 そう言うと、老人は、里菜に向かって、茶目っけたっぷりのおおげさなウインクをして見せたので、彼だけはまともな<賢人>かと思っていた里菜は、ちょっと目まいがした。
(なんなの、この人たち……。この低次元な会話はなに? こ、これが、<賢人会議>? この国の将来って、いったい……)
 ミーハーな<賢人>たちが、ひとしきりこうしてアルファードのまわりではしゃいだ後に、ファルシーンが、里菜が第二の<マレビト>であることを紹介したので、彼らは今度は里菜の回りで大騒ぎを始めた。
 里菜が呆然ともみくちゃになっている間に、ユーリオンは、キャテルニーカを、例の美青年に見える四十才――彼がユールだったらしい――に紹介して、治療院で働かせてもらえるよう、頼んでくれたようだ。やっと騒ぎから解放された里菜のところにキャテルニーカが戻って来たとき、キャテルニーカは、彼からの紹介状を持たされていた。
 ユーリオンがやってきて言った。
「この子のことは、話がついたよ。ちょっと話を聞いたところでは、たしかに薬草には詳しいようだから、治療師見習いということで、給料もいくらか出せるそうだ。夕方、この書き付けを持たせて治療院に連れていって、リドリューリという治療師を訪ねなさい。この子の面倒を見るよう頼んでおくから。
 彼女は、私とはちょっとした知りあいでね、リーナ君と同じくらいの年の女の子なんだが、姐御肌で面倒見がいいし、若いけど治療院じゃ結構な顔だから、頼りになるよ。私が紹介しなくても、新入りはだいたいみんな彼女の世話になるらしい。やっぱり妖精の血筋で、すごく派手な赤毛の、とにかくパッと目立つ子だから、すぐわかるだろう。
 そうそう、住むところだが、君たちは、これから軍の宿舎へ行くんだろう? この子も一緒に連れていって、リーナ君と同じ宿舎に入れてもらいなさい。都合よく二人分空いている部屋があれば同じ部屋に入れるかもしれないから、管理人に頼んでごらん」
 こうして、さんざん引っ張り回された三人は、うまいことキャテルニーカの勤め口を獲得してイルベッザ城を出た。

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この作品の著作権は著者冬木洋子に帰属しています。

掲載サイト:カノープス通信
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