◆新八田線の歴史
行先番号 |
路線 |
24 |
24
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福岡タワー−西公園−天神−土井(営)−卸会館前
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24C |
24C |
西公園−天神−土井(営)
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240 |
博多駅−土井(営) |
老舗路線・24番が40年近い歴史に幕を 八田・若宮・舞松原の3地区から福岡の中心部を結ぶ路線として活躍してました。朝は1時間に6本ほどあり昼間も1時間に3〜4本あるほどのドル箱路線でした。1987年に福岡市営地下鉄貝塚駅まで開設され、西鉄宮地岳線(現在は西鉄貝塚線)との乗り換え駅となってからは、香椎参道で下車して西鉄宮地岳線→地下鉄乗り換えで天神、博多駅方面へ向かう方が早いということで香椎参道で降りていく人が多かったです。しかし博多バイパスの松崎−松島間の開通と共に24Cの便数が増えてからは天神地区へは24Cで、24は香椎参道での利用客が大半を占めるようになりました。乗客の殆どが香椎参道で降りるため御幸町までの間は乗客が居ないという事もしばしば。背景には香椎やJR香椎駅を利用される方が香椎参道で下車していました。当時は27西鉄香椎⇔土井営業所行きがありましたが、送り込み路線のため便数が少なかった事もあります。2000年頃に水谷、千早地区に建っていたJRの社宅の老朽化と、使用されなくなった貨物線の停車場を取り壊して、跡地を区画整理して2003年に高架駅のJR千早駅と国道3号線博多バイパスから国道3号線へ結ぶ大型の道路が開通しました。その数年後に西鉄宮地岳線(現・西鉄貝塚線)も高架になり、JR鹿児島本線と西鉄宮地岳線共同の駅ターミナルとして千早駅が開業(西鉄名香野駅が廃止)。それに伴い千早駅西口にバスのロータリーが出来ました。香椎参道からJR香椎駅まで徒歩が不要となり、また香椎参道まで出る事が無く西鉄貝塚線が利用できるため、香椎参道からの乗降客が減少し、千早駅を経由する路線として行先番号4番が新設されました。 4番が新設されてから千早駅を利用する乗客が増加し、香椎参道を通って御幸町から国道3号線へ出る必要性がなくなってしまったため、40年近く土井営業所のドル箱路線だった24は、2010年3月27日を持って長い歴史に終止符を打つ事となりました。香椎参道の重要性は幾分あるので、後継として24N番という路線が誕生しました。イオン香椎浜への乗客向けの感じで、留学生会館や香椎浜中央バス停と海岸通、城浜団地、経由し名島ランプから都市高速を使って大濠公園(旧西公園)まで運行していました。しかし集客率が悪かったのか?ロング路線なので香椎参道踏切での渋滞でダイヤが乱れていたのか?短期間で24Nは廃止されて24系統は24Cのみとなりました。24Nの後継として行先番号2・土井営業所−香椎浜営業所行きが新設。そして路線維持のため、土井営業所から留学生会館前、海岸通を通る路線を朝のみ行先番号22Nと22Tとして2018年現在も朝のみ運行しています。
福岡タワーまでの延伸と廃止の背景 1996年頃に国道3号線沿線の乗客用にと西公園から福岡タワーまで延伸になりました。私の勘ですが多くのバスが天神終点で那の津待機所、西公園行きは西公園待機所に駐車するため百道浜営業所が開設されて駐車スペースとして有効活用できるという事もあったのでしょうか?福岡タワー南口まで延伸となりました。そして東区地区からスムーズに福岡ドーム(現・福岡ヤフオクドーム)、福岡タワーなど百道浜地区へ行けるという狙いもあったかと思います。しかし福岡ドーム周辺での渋滞が目立ち、平日夕方や土日・祝日はダイヤの乱れが酷かったです。土井方面は百道浜、天神の渋滞に加え香椎参道での渋滞も重なり酷いときには1時間以上遅れて土井営業所へ戻るバスも。そういう理由から2004年3月31日に約7年間の運行にピリオードが打たれたと推測しています。そしてこの福岡タワー線は土井営業所から香椎浜営業所に引き継がれ、行先番号4として新たに誕生しました。しかし2007年に千早駅経由として土井営業所から行先番号4・福岡タワー線を新設。香椎浜営業所と共同運行になり香椎浜⇔福岡タワー線は行先番号4-1へ改称。しかし2011年のダイヤ改正で香椎浜営業所の4-1は廃止となっています。
香椎浜営業所と共同運行時代の香椎浜9322(現在は土井所属)。舞松原交差点にて撮影
便利な都市高速経由線 1985年頃に八田、舞松原地区から速く天神に行ける、行先番号24C番の都市高速経由の路線が誕生しました。新設当初は今に比べ本数が少なく朝夕ベースの路線で、昼間は往復で2便程度でした。朝の天神行き、土井営業所行きの車両は24の担当車両だった58MCの3901〜3914の車両が運行されていましたが、昼夕は70の運行表の関係なのか、70で使用されていたカマボコ型の4597(F22か13-21)と4598(F22か13-18)が主に運行されていました。中でも4598は後方の方向幕の色幕が剥がれかけており新たに修復されましたが、その時に黄色の色幕から小豆色の色幕に変わったのでビックリでした。多分、72番のような茶色の色幕にしたつもりだったのでしょうが、どう見ても茶色では無いので天神辺りで見ると不思議な感じでした。他の70番仕様の車両にも茶色の色幕で24Cと表記されていましたが、便数が増えた頃から黄色の色幕に定着しています。
新設当初は現在の国道3号線バイパスにある真洲崎橋が無くて、火の見下から当時は多々良大橋通っていたのでこの区間は狭隘路線を走っていました。しかし下原までの開通を目指す(現在開通)国道3号線博多バイパスが松崎まで、工事が拡張して現在のように道幅も広くなり24Cの便数が一気に増え出しました。1999年に都市高速が福岡ICまで開通した事により、それ以前は松島交差点から国道201号バイパスを通って松島交差点から少し離れた貝塚ランプから都市高速へ出入りしていました。そのため朝の天神方面、夕方の土井方面は渋滞に巻き込まれていましたが、福岡IC開通の時に貝塚ランプの天神・博多駅方面向け入口が無くなり、松島交差点近くに松島ランプ出入口が出来てから渋滞ラッシュから開放されダイヤの乱れも減少しました。2010年のダイヤ改正により循環式となり土井営業所を出発すると、都市高速天神北RPで降りて郵便局前から土井方面に戻る路線になっております。朝は72C番の流通センター経由、土井営業所行きの循環路線があります。
小学生の頃の記憶ですが、4578の色幕はこのような感じだったかと
240番の博多駅線 2003年7月1日に新設された博多駅行き。八田団地、舞松原、若宮、松崎の乗客を対象に作られたとみられます。新設当初に乗ってみたのですが運転士さんの話しでは『まだ知名度が低いのか朝の利用客は博多駅・土井共に少なかったですよ』と仰られていました。その後、朝や昼の博多駅方面の利用客はそこそこだったものの、土井方面の利用客が少なく赤字路線となり2004年3月31日、9ヶ月の運行を持って廃止となりました。
廃止になった2路線。福岡タワー線の初期は日産DのJP(50**)・JM(68**)がよく担当していました。
240番新設時に配られたパンフレット
裏面に載っている時刻表はこちら 新八田線24番に58MCスケルトン車両が導入された時のレポート→クリック
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