秩父夜祭り |
祭りの起源
秩父神社の例大祭として知られる「秩父夜祭」は、約300年前の寛文年間の頃にはじめられた。
別名「お蚕祭り」
秩父神社の例祭は古くは知知夫国に知知夫彦が大神を祭ったとされる時代か、
それ以前から神奈備山である武甲山への信仰として行われてきたのではないかとも言われる。
真夜中に(斎場祭が行われるのは夜の10時以降であり、神幸行列が神社にもどると朝の4時すぎる)に
神社と武甲山の間にある御旅所で神事を執り行うというのが最大の特徴である。
秩父夜祭は御田植祭で秩父市中町の今宮神社の境内にある武甲山から湧き出た水(水幣)を
その年の収穫を祝うと同時に武甲山に還す祭とも伝えられている。
最も知れ渡っている有名な伝説は武甲山の男神(蛇神・蔵王権現)と秩父神社の女神(妙見菩薩)が
年に 一度の逢瀬を楽しむというものである。
男神には正妻がいて、神幸路の途中にある諏訪神社の八坂刀売命であるとされ3日の番場町
諏訪渡りは年に1度の逢瀬を楽しむ許可を求める祭礼だといわれている。
御神幸祭のときに諏訪神社の前を通過する際に各町会の山車は正妻の女神を怒らせないように
例外的に屋台囃子の演奏を止め数メートルすすむ。この風習も諏訪渡りと呼ばれている。
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秩父夜祭りの絶景ポイント! ![](chi.gif)
夜祭りを見るなら絶対ココ! 御花畑駅NO1踏切近辺です、
夜祭りといえば〜の3つがまとめて見られます。
上記写真のように花火をバックに6基の屋台が団子坂を上って行きます。
特殊電車線の上げ下ろし
御神幸祭の曳き廻しのメインイベント、6基の山車が御旅所に集結するために
団子坂と呼ばれるえらい急な坂を上がる手前にある踏切にて山車を通過させるために
電車線を一時的に取り外し、通過後元に戻すという全国的にも類を見ない例大祭当日のみ
見られる秩父鉄道(御花畑NO1踏切)にて執り行われる特殊電車線の上げ下ろし作業。
花火大会
日本では数少ない冬の花火大会 団子坂にて屋台と花火の競演は必見!
山車(笠鉾・屋台)
昭和37年に重要有形民俗文化財に指定され、
秩父屋台囃子(ちちぶやたいばやし)、屋台上の秩父歌舞伎や曳踊り等の一式が、
昭和54年に「秩父祭の屋台行事と神楽」として重要無形民俗文化財に指定された。
6基の山車が下記の順で秩父神社より出発、神社と武甲山の間にある御旅所まで
御神体と供に神幸路を練歩く。
1、中近笠鉾
最初に曳行する山車なので一番組の名称がつけられている。
2、下郷笠鉾
鉾をつけると高さ約16メートルになり関東地区では最大の山車、白木作りの屋形が特徴的。
3、宮地屋台
秩父夜祭の屋台の中では最古の歴史をもつ妙見菩薩に最も縁が深い山車。
妙見七ツ井戸の伝説に従い、屋台倉から3日の神社への宮入までに七回曳踊りを行う風習がある。
4、上町屋台
4台の屋台の中では一番大きな屋根を持つ山車。
5、中町屋台
4台の屋台の中では最も大きな山車、屋根の鬼板(彫り物)は大きく美しい。
6、本町屋台
後幕が子供の玩具で、その中にあるだるまが特徴的な山車、達磨会と呼ばれる曳き手組織がある。
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