このタイトルを見て、かなりヘンに感じた方も多いのではないでしょうか? あるいは、ヘンに感じなかった人もいるでしょう。この2つの共通点は、どちらも有名な「俗説」ということです(私は血液型は「俗説」とは思っていませんので、念のため)。しかし、血液型を正しいと思っている人は多くとも、六曜を正しいと思っている人はごく少ないに違いありません。
おかしなことに、血液型を知らなくとも日常生活に影響はありません(?)が、六曜を知っていないと多くの場合はとんでもない目にあいます。ご存じのとおり、仏滅の結婚式場や友引の葬祭場は、ほとんど開店休業の状態です。イベントや冠婚葬祭はもちろんのこと、車の納車や入退院の日にまで六曜を気にする人も多いようです。日本では、六曜を知っているのは社会人としての「常識」といえるでしょう。
#誰ですか、血液型を知っていないと異性との会話に困ると言っているのは…(笑)。 -- H10.10.6
さて、岡山大学文学部心理学教室の長谷川さんには、そんな「俗説」についてのデータがあります。1997年に自分の学生にアンケートをした結果です。このデータはなかなか貴重だと思います。この場を借りてお礼を申し上げます。詳細は以下のURLにありますので、もっと詳しく知りたい方はぜひどうぞ!
血液型判断資料集−岡山大学文学部心理学講座
ここでは結果だけ引用させていただきます(1997年10月2日付「じぶん更新日記」)。
「俗説」が人間の行動の予測や理解に役立つと思う人の比率(%)
区分 文学部(63名) 医学部(19名) 歯学部(51名) S短大(65名) (1)血液型 30.2 21.1 45.1 72.3 (2)星占い 17.5 5.3 15.7 44.6 (3)手相 20.6 15.8 19.6 46.2 (4)バイオリズム 33.3 63.2 43.1 41.5 (5)因縁 22.2 26.3 25.5 27.7 (6)大安・仏滅などの六曜 4.8 5.3 9.8 16.9 (7)姓名判断 22.2 0.0 13.7 41.5 (8)ノストラダムスの予言 3.2 0.0 9.8 6.2 上に示した比率の相対的な大きさは殆ど変わらない。たいがい、血液型人間「学」と、バイオリズムがトップを占める。ついで、手相、因縁、姓名判断、星占いが第2位グループを形成し、大安・仏滅・友引といった六曜や、ノストラダムスの予言などは、あまり信じられていないようだ。
ただ念のため言っておくが、この設問は「人間の行動の予測や理解に役立つと思うか」であって「これを信じるか」という聞き方はしていない。以前1度だけ、「これを信じますか」という問いに変えたことがあったが、○をつける比率はガタっと減ったように記憶している。
社会人では、因縁や六曜の率はもっと上がるとはずです。例えば、1996年のNHK調査では、「神様や仏様に願いごとをすると、なんとなくかなえてくれそうな気がする」には54.1%がそう思うと答えています(出典:NHK放送文化研究所・編 『現代の県民気質−全国県民意識調査−』 NHK出版 H9.11 付表66ページ)。残念ながら六曜については手元にデータがないのでなんともいえませんが、常識的に考えてほとんどの人が真剣には信じていないことは確かでしょう。
しかし、ほとんどの人が信じていないのなら、なぜそれほどまでに六曜を気にするのでしょうか?
実は、ちゃんと説明ができるのです。それは、「非科学的」なものは「頭から信じない」という明治的啓蒙主義の悪影響なのです!
「あるもの」さえわかっていれば、六曜は機械的に計算できます。機械的に計算できる現在の曜日のようなもの、それが昔の六曜に対する感覚です。現在だって、○曜日が縁起が悪いなんて言ったらバカにされるだけでしょう。昔だって同じことです。つまり、現代人にとって六曜がこれだけ気になるのには、その神秘的(?)な算出方法が大きな原因となっていることになります。「非科学的」な「あるもの」を否定し、誰もわからなくしてしまったのが問題なのです。
井沢元彦さん(B型)の『逆説の日本史1』の59ページにはこんな記述があります。福翁自伝の中の有名なエピソードですが、
反骨精神旺盛な福沢少年は、「神様の名のある御札を踏んだらどうだと思って」「踏んでみた」。
ところが、「何ともない」。そして、今度は叔父の家の稲荷の社の中の、ご神体の石を引っぱり出し、変わりの石を入れておくというイタズラをする。
これは、明らかに迷信を打破しようとする勇気ある行為でしょう。なにしろ、江戸時代には「種痘をすれば牛になる」といったような迷信があったそうですから(『逆説の日本史1』より)。引用を続けましょう。
福沢諭吉という人、実は私も尊敬している。特に「独立の精神」という言葉が好きだ。明治の思想家としては、もちろん偉大な人物である。(中略)「福沢先生」以外に「先生」はいない、などと神格化して、批判はしないなどという態度をとるならば、それは「天は人の上に人を作らず」と言った福沢精神を、逆に踏みにじることになるだろう。そこで遠慮なく批判させて頂く。福沢の最大の罪は、彼以後、宗教的なものを「初めから馬鹿にして信じない」ことが、知識人の条件のようになってしまったことである。たとえば、怨霊、呪詛、あるいは神、悪魔、それに宗教−こういったものを科学の対象からはずすことが正しい、そのように知識人に思わせたことである。言うまでもなく、これは真の科学的態度とは言えない。確かに、「御神体」も「御札」も、物質として見れば、タダの「石」であり「紙」であるかもしれない。しかし、そこにわれわれは何かを感じるのである。感じるからこそ、それを拝んだり尊んだりするのだ。
そして、その何かを感じること(「臨存感」)が事実として存在する以上、ではその正体は何なのか、それを論理的な方法で追求するのが科学である、その「臨存感」が現実に存在することの証明として、たとえ福沢諭吉でも「母親の写真」(単なる印画紙)は踏めないだろうと続きます。
私も面白い体験をしたことがあります。かなり前のことですが、アメリカの高校生グループが日本にやってきて、夏休みに地元の高校生グループと親善交流をしたことがありました。なぜか私も参加し、たまたま1日だけ彼らと一緒にいたのです。キャンプを一緒にやったのですが、夜になって恒例の肝試し大会をすることになりました。皆さんも知っているように、一部男子グループが幽霊に扮して女子グループを驚かすというあれです(笑)。高校生にもなれば、男女共に幽霊を信じている人はほとんどいないはずです。しかし、当然というか、日本の女子高生グループはキャーキャー騒いで大変なことになっていました(笑)。一部の気の弱い子は泣き叫ばんばかり…。しかし、アメリカの高校生は男女とも全くなんともありません。私だって少しは怖かった(笑)のですから、アメリカの高校生もちょっとぐらいは騒ぐだろうと予想していました。しかし、私の予想は見事に外れ、全員がなんともなくニコニコしています。「幽霊」は業を煮やし、おどかしをエスカーレートさせたのですが、アメリカ人グループはそれでも全く平気です。最後には、「幽霊」をからかうグループも出てくる始末…。日本人グループは困ったに違いありません。
つまり、こういうことです。ほとんどのアメリカ人は、幽霊はいないと信じている。しかし、ほとんどの日本人は、幽霊はいないとような気がしたにしても、本当はいると信じているのです。この国際交流キャンプは、日米の宗教観の違いあまりもに鮮やかに浮かび上がらせたのでした。
山本七平さんの本にも同じような話があります。日本人とユダヤ人がある遺跡の発掘をしたそうです。しかし、そこは戦場だか墓場だったらしく、人骨がバラバラ出てきた。しょうがないので人骨も掘り出したのですが、ユダヤ人はなんともなかったのに対し、日本人は全員高熱を発して寝込んでしまったのだそうです。人骨は単なる物質ですから、超自然的存在である霊魂なんかが宿っているはずもありません。ですから、科学的に考えると、単なる人骨という物質から、人間が何らの影響を受けるはずがない、ということになります。しかし、実際に日本人は「霊魂」の影響(?)を受けて寝込んでしまいました。私も「霊魂」なんて信じていませんが、それでも人骨の発掘なんかまっぴらご免です。つまり、私も結果として「霊魂」は信じていることになるわけです…(笑)。
なぜ、こんなおかしなことになってしまったのでしょうか? 井沢さんの言葉を借りると、人骨にわれわれは「何か」を感じるのです。明治的啓蒙主義では、それは「ないこと」にされてしまいました。「その正体は何なのか、それを論理的な方法で追求するのが科学」だなんていう疑問をちょっとでも感じたら、それは「非科学的」ということになってしまったのです。こんなおかしなことはありません!
おっと、ずいぶん前書きが長くなってしまいました。要するに、われわれが実際に感じている「非科学的」なことを、頭ごなしに「ないこと」にするのがよくないのです。なぜそう感じるのか、それにはちゃんとした理由があるはずです。それを論理的に追求するのが科学的な態度なはずですね。
では、話を六曜に戻しましょう。実は、六曜は昔からあり、庶民はバカにして誰も信用する人なんかいなかったのです。明治政府はいくつかの迷信を禁止したのですが、六曜はあまりにもバカバカしくて誰も信用していなかったため、これだけは禁止しなかったのだそうです。もうすぐ21世紀にもなろうとする現在の日本で、六曜が未だに猛威を振るっている(?)なんて、明治政府の役人たちが聞いたら目を回すことでしょう。現代人はなんて迷信深いんだ、われわれはそんな日本人を育てた覚えなんかない、というに決まっています。
ところで、皆さんは六曜ってどういうふうに決めるのか知っていますか? ほとんどの人は知らないでしょう。少しだけ知っている人はこういうでしょう、旧暦と関係があるんだよって。では、旧暦とはなんでしょうか? 六曜と旧暦はどう関係があるのでしょうか? こうなるとほとんどの人はわからないと思います。残念ながら長谷川さんのホームページにもこれは書いてありませんでした。そこで、私が説明してみることにしましょう。
え、前書きが長すぎるって? まあ、もう少しガマンしてください。どうしても地学に興味がない人は、次のコラムは読み飛ばしてください。
まず、現行の暦について説明します。現行の暦はグレゴリオ暦といって、中世ヨーロッパでローマンカトリック教会によって採用されたものです。グレゴリオというのは、そのときの法王の名前グレゴリオ13世にちなんだものです(『天文現象・暦計算のすべて こよみ便利帳』 暦計算研究会編 恒星社厚生閣 S58.1)。
神武紀元というのもすごいですが、この法律はたぶん今も生きているはずです(同書より)。
ユリウスというのは、古代ローマの英雄ユリウス・カエサルのことです。カエサルの時に暦が整備され、4年に1回だけ閏年を挿入するようになりました。しかし、4年に1回の閏年だと約128年で1日ずれることになり、ユリウス歴に移行して1500年以上経った中世ヨーロッパでは、このずれが10日以上にもなってしまったのです。こうなると、真の春分の日が復活祭にならないといけないのに、実に10日以上も差があるということになり、宗教的に非常な不都合が起こります。さすがにまずいので、グレゴリオ13世の時にこのずれを補正し、真の春分の日が復活祭になるように暦の改訂が行われました。これが現在使われているグレゴリオ暦です。カトリックの国では比較的早グレゴリオ暦を採用したのですが、教派の違いから、プロテスタントの国や東方正教会の国では、採用が百年単位で遅れるというおまけまでつきました(同書より)。
私の趣味に走ってしまったので、かなり長くなってしまいました。(^^;;
しかし、これがわからないと旧暦の意味がわからないのです。
これには少し解説が必要でしょう。昔の日本では京都が中心ですから、京都の時間に対して暦や一日の長さが定義されます。しかし、現在では、世界標準時に9時間加えたものが日本標準時です。また、現在では「定時法」といって一日の長さは季節に関わらず一定ですが、昔は「不定時法」といって見かけの太陽の動きによって一日の長さが決められていました。これが、「本表の旧暦は上記(b)の代わりに、『暦日は東経135度における地方平均太陽、すなわち日本時0時に始まる』としたものである」という意味です。ですから、そういう意味では「真の旧暦=天保暦」とは若干の差があります。ちなみに、現在の「旧暦」のほとんどは、上の定義の「改訂天保暦」を採用しています。 |
では、最後に六曜の決め方についてです(同書より)。
六曜の決め方
六曜は先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口からなり、一般にはこの順序で同一の日となるが、旧暦の月が新しくなると、この順序に従わずその月固有の六曜の日からはじめる。その規則は次表のようになっている。正月・七月…先勝 二月・八月…友引 三月・九月…先負
四月・十月…仏滅 五月・十一月…大安 六月・十二月…赤口閏月の場合には直前の月と同じ六曜の日からはじめる。
そして、この仏滅は陰陽道からきたもので、元々は物滅と言っていたのです。もちろん、仏教とは何の関係もありません。要するに、旧暦がわかっていれば、六曜は機械的に計算できるのです(ですから、六曜を計算するプログラムなんかが存在します)。意味は違いますが、現在の曜日とだいたい同じ感覚であると考えていいでしょう。現在だって、○曜日が縁起が悪いなんて言ったらバカにされるだけでしょう。昔の人にとっても全く同じことです。六曜は旧暦から機械的に計算できるから、そんなものを信じていたらバカにされるに決まっています。つまり、現代人にとって六曜がこれだけ気になるのには、その神秘的(?)な算出方法が大きな原因となっていることになります。結局、明治の時に旧暦を消してしまったのが最大の原因のようです。旧暦をちょっとでも覚えている人なら、六曜なんか信じるはずがないのですから…。明治の日本人は、旧暦なんて「非科学的」だからということで、頭ごなしに否定してしまいました。だから現代人が六曜なんてものに振り回されることになってしまったのです。全く因果な結末というしかありません! これこそ因果応報なのでしょうか…(笑)。
#ちなみに、六曜は旧暦の知識が薄れた大正時代ぐらいから「流行」しているらしいです(未確認です)。
やはり、われわれは「何か」を感じるのです。明治的啓蒙主義では、それは「ないこと」にされてしまいました。「その正体は何なのか、それを論理的な方法で追求するのが科学」だなんていう疑問をちょっとでも感じたら、それは「非科学的」ということにしてしまった、その結果がこんなことになろうとは…誰も想像していなかったことに違いありません。明治にはそういう方法も意味があったのでしょう。しかし、この方法には大きな弊害もあるというのは覚えておいていいことには違いありません。
次に、『マイクロソフト エンカルタ98』から引用しておきましょう。
日本の暦日本では、1873年から現在のグレゴリオ暦がつかわれている。1872年までは太陰太陽暦を採用していた。暦に重要なのは日付けのほかに、節気と干支(えと)であった。それに日の吉凶をしめす迷信的な注がつけられていた。時代によっていろいろな太陰太陽暦がつかわれてきたが、基本は古代中国でつかわれていたもので、月をなるべく季節にあわせることに特徴がある。
中国では黄道上の太陽の位置を、冬至点からはじめて12等分し、それらの点を中気とよび、中気と中気の中央点を節気とよんだ。それら全部をあわせると二十四節気となる。冬至と春分の中央にある点は立春で、立春をふくむ月を正月とした。中気から中気までの長さは平均30.44日程度で、太陰月の平均29.53日より長いため、中気が太陰月の中で月末のほうにずれていき、次の年の立春は11日おくれることになる。また中気をふくまない月もあり、その月は前の月と同じ名前に閏をつけてよぶ。つまり、その年は1年に13カ月あることになる。
現在でもこの太陰太陽暦は、旧暦といって年中行事や農作業などではつかわれることが多い。節分、彼岸、入梅、土用などは雑節とよばれ、日本独特のものであり、季節感にあふれ、日本人の生活に節目をあたえている。節分は立春の前日、八十八夜は立春から88日目、二百十日は立春から210日目であり、気象や農作業などで重要な日となっている。入梅は太陽が春分点から80ーうごいた日で、梅雨(つゆ)にはいる日の意味である。土用は太陽が春分点から27゜、117゜、207゜、297゜になる日からの約18日間をいう。とくに夏の土用は今でもよくつかわれている。
なぜ「八十八夜」や「二百十日」が大切なのか、なぜ節句が大切なのか、これでよくわかった(?)ことと思います。現在は太陽暦なので、同じ日だったら季節もほぼ同じですが、旧暦では立春から○日として計算しないと、季節に非常に敏感であるほとんどの農作物はうまく育たないのです。ではなぜ、あえて農業に不便な太陰暦を使っていたのでしょうか。太陽暦の方がずっと便利なのに…。それは、昔は夜は人工的な明かりがなかったので、月の状態がわかる太陰暦(1日が新月で15日が満月)の方が便利だったからと考えられています。当時は、太陰太陽暦を採用していた、東アジア最大の超・先進国であった中国の影響も大きかったのでしょう。
#ちなみに、「六曜」という項目はありませんでした。やっぱりねぇ。
面白かったですか? ま、今回は私の趣味に走りすぎたようです…。f(^^;;
最後に一言。あなたが学生ならともかく、仮にも社会人だったなら、ここにあることをそのまましゃべってはいけません! 相手の血液型も考えて、本当にしゃべっていいかどうか、もう一度考えてからにしましょう(笑)。なんだかんだ言ったって、六曜を知っているのは社会人としての「常識」ですから。
おっと、お後がよろしいようで…。 -- H10.10.6
私は、血液型がこれだけ信じられている、そして神秘的だと思われているにのは、少なからず心理学者の態度が影響していると判断しています。つまり、「血液型と性格」なんていう「非科学的」なものは「頭から信じない」というその態度です。
六曜のところで述べたとおり、この態度は心理学者自身にとっても大いに悪影響があると考えています。主なものをピックアップしておきます。
では、順に説明していきましょう。
1.能見さんのデータの追試がほとんどない
能見さんのデータについて(全く同じ条件で)追試をして反論しているのは、私の知る限り草野さんだけです。それは、この本です。
「血液型性格判断」の虚実 草野直樹 かもがわ出版 H7.3
その後、大村さんの論文に1つだけあることを発見しましたが、私の調べた限り、この2つしかありません。否定論者である心理学者は(草野さんと大村さんを除いて)能見さんのデータにただの1つも追試をしていないのです!
最初はどうしても信じられませんでした。「まさか」と思って詳しく調べたのですが、いくら調べても追試のデータはもう1つも出てきません。繰り返しますが、これはウソではありません。信用できない方は、ぜひ自分の目で確かめてみてくださいね。
2.否定の方法が論理的に矛盾する
多くの否定論者は、
の相互に矛盾する3つの論理のうち、2つ以上を同時に主張している場合が多いのです(こちらを参照)。この点について指摘すると、ほとんどの否定論者は黙ってしまいます。正しいと思っているなら、なぜ黙る必要があるのでしょうか?
3.検定の説明がおかしい
これについては、前川輝光さんに登場していただきましょう(『血液型人間学−運命との対話−』 549ページ)。
[否定論者には]こんな奇妙な発言もある。
能見は推計学的方法を用いてものをいっている。彼は「“カイ自乗検定”という計算が、よく使われる。ややこしいことを覚えていただく必要はないが、この計算では“危険率”というパーセンテージをハジき出す」と書いている。統計学、特に推計学のコモンセンスを知らない人がそれをベースにして所説を展開するぐらい危険なものはない。(206−7頁)
そして、欄外注に、「カイ自乗検定というのは、危険率というパーセンテージをはじき出すものではない」と付け加えている。
もちろん、カイ自乗検定の計算は、直接にはカイ自乗値を「ハジき出す」ものである。そしてそのカイ自乗値をもとに、我々は、危険率のパーセンテージを得るのである。能見の言い方はやや未整理である。しかし、彼の一連の著作を見れば、彼が「統計学、とくに推計学のコモンセンス」をじゅうぶん知る人であることは明らかである。カイ自乗検定の手続きにきちんと従っているからである。まったく下品なあげ足とりと言わざるを得ない。
詳しくは、前川輝光さんの『血液型人間学−運命との対話−』をどうぞ。いずれにせよ、「カイ自乗検定というのは、危険率というパーセンテージをはじき出すものではない」というのは、奇妙な発言であることには違いありません。
4.血液型と性格に関係ないことは、簡単に証明できるものではない
これは論理学のABCです。能見さんの言っているように、「関係がある」ことを証明するなら、ある1つの性格特性だけを取り上げ、安定的に差があることを証明するだけで十分です。しかし、「関係がない」ことを証明するなら、考えられるありとあらゆる性格特性について「差がない」ことを証明する必要があります。つまり、事実上は不可能なことなのです。この点について指摘すると、ほとんどの否定論者はなんだかんだといって認めようとしません。そして、その根拠を質問すると、これまたほとんどが黙ってしまいます。なぜ黙る必要があるのでしょうか?
では、最後に、前川輝光さんの『血液型人間学−運命との対話−』からです(559ページ)。
…「血液型性格学を信じている人の性格研究」である。…それについて、…[ある否定論者]は次のように整理している。
ABO式血液型によって性格が異なるという信念を「血液型ステレオタイプ」と名づけ、そのような信念を持っている人の性格にアプローチしている。その結果、回帰性傾向、社会的外向性、親和欲求、 追従欲求などが強い人たちであることが見出されている。すなわち、気分にムラがあるが人づきあいが好さで、複雑な思考判断をするよりは権威に頼って生きていこうこするのんきな人たち、ということができるのである。(237頁)
こうしたことを宣伝してまわれば、血液型人間学の普及に水をかけることができるとの期待もあるように見える。
血液型人間学を信じている者たちは権威に弱いと言うが、「権威」ということを言うのなら、能見はそれを理由にアカデミズムから白眼視されているように、アカデミズムに属する人間ではなかった。読者に「権威」としてふるまった結果、血液型人間学が普及したわけではない。血液型人間学の普及の進展とともに、能見の知名度が上がり、そのことが一種の社会的「権威」を能見に与えていったことは否定しないが、能見血液型人間学の発展期にそれを支えたのは、別に、社会的肩書というような意味での「権威」ではなかった。そうした意味での「権威」が能見になかったにもかかわらず、読者は能見を支持したのである。
否定論者の「反論」はこれだけではなく、更に「差別的」などというものも加わることがあります。私は、こういうのを読んで猛烈に反発しました。人が何を思おうが考えようが自由なはずです。それなのに、ずいぶんお節介なことを言う人もいるのだなあ、と。
それでも、論理的・データ的に納得できる説明があるのなら、まだなんとか我慢できます。しかし、1〜4のような説明を聞いてからだと、私のような人(?)は、心理学者なんか絶対信用するものか!という気にもなります(これが、私がしつこく反論を書いている最大の理由なのですが…苦笑)。私だけでなく、ちょっとでも統計をかじった人なら、そう思っている人は少なくない…はずです(確認はしていませんが)。
しかし、否定論者は統計学のプロが多いから、これらの矛盾点は(私に指摘される前に)全部わかっている…はずです。だから、これらの矛盾点を指摘すると黙らざるをえないのでしょう、たぶん。では、なぜそんな科学的・論理的におかしいことを信じているのでしょうか。ここまで読めば、皆さんはもうお気づきのことでしょう。六曜のケースと実に似ているのではないかと…。 -- H10.10.6
統計的に見る限り、血液型と性格は「関係がある」はずです。少なくとも、「関係があるはずがない」とは絶対に言えません。しかし、否定論者は、それは「関係があるはずがない」ことにしてしまいました。「血液型と性格は本当に関係があるのか、それを科学的な方法で追求するのが心理学だ」なんていう疑問をちょっとでも感じたら、それは「非科学的」ということにしてしまった、その結果がこんなことになってしまったのです。ですから、少しでも矛盾点を指摘されると、否定論者は黙ってしまうし、黙らざるをえない。今までの否定論者の方法論には、こんなに大きな弊害もあるのです。
ということで、心理学専攻の学生の間でさえ、「血液型性格判断」はポピュラーな話題になってしまうことになります。もちろん、血液型がケシカランという内容ではなく、「○型は××な性格だ」という話題で盛り上るということです(あえて全部とは言いませんが、全体の70%以上は面白がっているのです)。
しかし、困ったことに、心理学では「血液型性格判断」は「非科学的」なことにしてしまったので、この理由を追及できないことになります。今までの説明でおわかりのように、「非科学的」なことは科学的分析の対象外ですから…。そうなると、どうやっても対策の取りようがない。ここまでくると、私もなんといっていいやら困るのですが…。
もちろん、この項目の結論は全く私の推測です、念のため。皆さんは別な理由を考えてみるのもいいかもしれませんね(笑)。
-- H10.10.6