Dr. Nakahara

& Fuke


ABO FAN


[注:実は血液型と性格は関係があるという医学的根拠があるようです→詳しくはこちら -- H14.1.3]

28.gif (298 バイト)中原英臣(なかはらひでおみ)さん、富家孝(ふけたかし)さんの論文

 医師の2人、中原英臣(なかはらひでおみ)さん、富家孝(ふけたかし)さんの論文です。時期的にはもう10年以上前なのですが、いろいろな論文で参考文献として取り上げられているのでゲットしてみました。権威のある『文芸春秋』本誌に掲載されているので、入手も簡単です。皆さんも読んでみることをオススメします。もちろん、血液型と性格の関係には否定的です。 -- H10.8.11

28.gif (298 バイト)論文

 原題: 中原英臣・富家孝 血液型人間学の嘘 文芸春秋 S60.1 308〜313ページ 〜とうとう人事管理の資料にさえなった血液型性格分析。が、医学の立場から見れば根拠のない詐術だ!〜

 まず、最初から見ていってみましょう。

 人事配置に血液型が?

 近年、血液型による性絡分析が大流行のようです。以前から、病院の中でも看護婦たちが「あの先生はAB型だから私とは合わない」とか「あの事務長はO型だから権力志向だ」といった会話を交しているのは知っていました。この程度なら星占いと同じようなものなので看過していたのですが、求人広告に「O型人間を求む」といったものが出たり、血液型を参考にして人事採用や配置転換を行う会社が出てきたと聞きまして、これはうち捨てておけいないなと執(と)った次第です。

 なんか、昔の状況が目に浮かんでくるようで、つい懐かしくなってしまいました。念のため、昔のことを知らない人のためにちょっと書いておくと、求人広告に「O型人間を求む」といったものが出たり、血液型を参考にして人事採用や配置転換を行うというのは、ニュースになるぐらいですからあくまでもごく一部の例外です。つまり、ほとんどはそこまではやっていないのです。また、その場合でも、ウラを取ってみると、それが事実かどうかは疑問が残るのがほとんどです。ということで(全部調べたわけではないので完全に否定はできませんが)、一般に言われている「血液型を参考にして人事採用や配置転換」をしているという事実はありません。どっちにしろ、伝聞情報はあまり信用しない方が無難です。

 会社が人事採用の資料に使用するという事は、この種の性格分析に医学的な根拠があると判断してのことなのでしょうが、実際には血液型が個人の性格に影響を与える−−という学説が医学界で認知されたことはありません。それどころか、精神科の分野で血液型をテーマにした論文で学位が出されたケースも今まで聞いたことがありませんし、心理学の分野で学問としてとりあげられたこともありません。つまり、医学的には学問的な価値を認めていないということなのです。われわれなど、医学的根拠は、ゼロだと断言してよいなかったのは、あまりに馬鹿馬鹿しかったからだと思うのですが、われわれ二人はあえて反論を書くことにしました。これから書くことは、血液型について の医師の常識です。

 要するに、学問的な研究はされていないということです。これは他の資料でもそう書いてありますから間違いないでしょう。
 次に、ちょっと飛ばして血液型とは何かの説明に移ります。

 血液型とは一体何なのかといいますと、「赤血球の膜の上にどのような型物質を持っているか」とうことにつきます。例えばA型の場合「赤血球の膜の上にAという型物質を持っている」のです。ちなみにこの型物質が抗原になりますので「赤血球の膜の上にAという抗原を持っている」ともいえるのです。このAという抗原を持つ人の赤血球の膜の上には、他の種類の血液型の抗原も沢山ついているわけです。

 これは全くそのとおりですね。しかし、次はどうでしょうか?

 それなのに、なぜさして特別な型物質とも思えぬABO式の型物質だけがその人の性格に影響を与えることができるのか、とてもその可能性は考えられません。血液型というのは遺伝で決まるわけですから、赤血球の上にAならAという抗原を作る遺伝子は存在します。しかし、その遺伝子が同時に人間の気質も担うとは考えにくいし、さらに、その遺伝子だけで性絡全体が決まるなんて考えられないのです。
 百歩ゆずって、赤血球上の抗原と性格に関連があったとしましょう。そうすると、われわれが医学部でならった十種類の血液型の組合わせを考えただけで九千六百万通りあることになります。ほぼ日本の人口に匹敵するわけで、これでは「一人一人の性格はちがう」といっているのと同じだし、確認されている六十種類の組合わせを考えれば、地球の人口をはるかに越してしまうことになります。

 この文章は私には理解できません。というのは、前半は「赤血球上の抗原と性格に関連がない」という主張なのに、後半は「百歩ゆずって、赤血球上の抗原と性格に関連があったとしましょう」という主張だからです。もし、「赤血球上の抗原と性格に関連がない」なら「地球の人口をはるかに越してしまう」血液型の組合わせなんて全く考える必要はないわけで、最初から「赤血球上の抗原と性格に関連がない」に決まっています。はて?
 これは、「赤血球上の抗原と性格に関連がない」とは断定できないということなのでしょうか? ついでに、能見さんの『血液型活用学』から引用しておきます。

 もう1つ、ちょっと血液型の知識のある人で、うんざりするほど、よく持ち出す論法がある。
 それは、血液型はABO方式だけではなく、よく知られたRh±方式をはじめ、何十通りもある。とても、ABO式の4つの型だけで性格の類型など決められないというものだ。
 これについては、私の既著3冊の中に既に説明してあるのだが、読まないのか、読まぬふりをしているのか、いまだに時折耳にする。ここで、もう一度再説しておく。
 血液型の分け方が何通りあっても、他に性格に影響しそうな条件がいくつあっても、その中でABO方式だけをとりあげ、性格との対応を調べることは、一向に差し支えない。それは、たとえば、 多種多様の性格形成の要因の中から、地域の影響という条件だけ抜き出し、県民性を研究してもかまわないのと同じことである。
 ABO方式以外の血液型も、性格のある特徴と関連しているかもしれない。私が、それを追跡してないのは、ABO式にくらべ、資料を集めるのが格段に困難だというだけである。だが、その中でもRh式のものについては今後とりあげる必要を痛感している。その他の血液型については、輸血にも大して影響がない点からも、その質的な違いは、そう大きくないと、とりあえず見なしておいても良さそうである。

 この後には、動物にも血液型物質が存在することから、

 血液型性格分析を応用すれば、上野の山のボスザルは「大将型」のO型でなければいけないし、忠犬ハチ公は「従順型で責任感のある」A型、(中略)「権力志向」の赤痢菌、「天才型」の百日咳菌などというものが存在することになる。

 まあ、これは冗談としては面白いですね(笑)。脳内物質のようなものでも人間と動物とで全く同じ働きをするとは思えませんし…。
 当然のことながら、医学的なところは論理的です。

 第一、ABO型にしても、実際にはA型にも、AAとAOという遺伝子をもつ人がいるわけで、A・O・B・ABの四種類に分けるのは、いかにも不自然なのです。よく、血液型と民族性の相関性を例にとって説明している本があります。欧米人の血液型はO型が多いのは事実です。だから欧米人は個人主義なんだという議論です。しかし、これをそのまま個人の性格に還元するのは、どうにも納得できません。例えば県民性をみてみましょう。東北人の粘り強さは有名です。これを血液型のせいとみるか、東北地方の気候や風土によるものと考えるか、答えは簡単だと思います。

 これは全く同意見です。

 結局、血液型性絡分析が“科学”の仮面をかぶって誼じている根拠は全部統計の段階なのです。日本の歴代総理のほとんどはO型である、とか、胃カイヨウの症例が多いのがO型である、といった統計です。まず、この統計のやり方自体、前述のようにまともに学会に提出されたものではありませんから、正確なものとはいいにくい。百歩ゆずって統計的に正しいとしても、その二つのデー夕の因果関係を説明し、しかもメカニズムを証明してこそ、科学的といえるわけなんです。たとえば、「たばこを吸う人は肺ガンになりやすい」、これは統計学的に正しいわけですが、さらに一歩進んでガンを起すという事まで証明されています。「たばこ」を沢山吸う人に肺ガンが多いという統計学的な推諭を、タバコの煙の中のタールという物質でもって発ガンの証明ができたわけで、これが科学的ということなのです。
 血液型の場合、どうして、血液型を決める遺伝子が人間の気質まで決めることができるか、というメカニズムは全く解明されていない。それどころか、両者を関係づける仮説さえないのが現状です。そもそもの統計的に正しくても、因果関係は全くないケースというのはいっぱいあるわけです。

 この記述の中で、胃潰瘍については明らかに間違っています(『遺伝子は35億年の夢を見る』〜バクテリアからヒトの進化まで〜 斉藤成也 98〜101ページ)。

 また、A型とB型の対立遺伝子の共存が霊長類のあちこちの種でみられることも不思議である。この遺伝子がなぜこのような変異パターンを示すのか、まだよくわかっていないが、バクテリアやウイルスなどの感染を防ぐのに、ある程度の効果があるのではないかと考えられている。実際、胃潰傷や胃癌の原因のひとつであるヘリコバクター・ピロリというバクテリアは、胃壁にもぐりこむ際に、ABO式血液型物質の前駆体であるH型物質を足場にしている。するとH型物質しか持っていないO型の人間は、胃潰蕩などになりやすいため、多少は生存に不利となるだろう。しかし、まだまだこれらは仮説にすぎない。わからないことが多すぎるのである。私の研究室では、ABO式血液型のこの不思議な進化パターンを解明するため、山本文一郎氏らと共同でさらに研究を進めている。

 つまり、O型が胃潰瘍になりやすいことは科学的に証明されています。だから、統計的に差があれば、何らかの因果関係があると考えても別に問題はありません。もっとも、完全に証明されるまでは慎重になる必要はあるでしょうが…。医学の「常識」って10年ぐらいで変わるものもあるようです。
 ここから言えるのは、「そもそもの統計的に正しくても、因果関係は全くないケースというのはいっぱいあるわけです」が、「因果関係がある」のかどうかは、現在はわからなくとも、後日証明されることがあるということですね。だから、血液型と性格の統計的な関係があれば、「因果関係がある」ことが将来証明される可能性はあるわけです。少なくとも、その可能性はゼロではないということですね。あ〜、よかった(笑)。

 では、次に移りましょう。

 血液型の分類そのものは、完全に科学の領域です。非常に非科学的な性格分類と科学的な血液型を結びつけたため、日本人にうけたのではないでしょうか。いわば科学のニオイのする占いというわけです。
 この文章を書くために、 かなりの数の「血液型性格分析」の本を読んでみました。読後感として言えるのは、これは各個“医の詐術”に近いなあということです。医の詐術というと、言葉は悪いのですが、われわれの仲間で、患者の信頼を得るためにこういうトリックをつかうことがあります。
 初対面の患者さんに、こう言います。
「あなた、右の眼の方が視力が弱いでしょう」
「え、どうしてわかるんですか?」
 初対面で眼のことまであててしまうから、患者はあっという間にこのお医者さんを信用してしまうのですが、賢明な読者ならおわかりのように、これなら誰だうて当てることができるのです。人間は、両眼、全く視力が一緒という人はいないのですから。もし患者さんが左と言ったらこう言えばいいのです、
「ですから、ぼくからみて右眼ですよ」
 同じ手法を、血液型の本は、よく用いています。たとえば、「O型は権力志向の人物が多いけれど、時に非常に上司に反抗的だったりします。これは、O型にお山の大将的部分があるため、部下をかばうつもりで、上司に逆らうわけです」
(中略)
 こういう風に言えば人間、誰だって当るものなんです。

 確かにこれには一理あります。しかし、他の多くのデータを見ると、(差は小さいながらも)やはり一貫した傾向が出ているのです。2人の著者が坂元章さんの論文のデータを見たらどんな感想を持つのか興味深いところです。

 ですから、楽観的に信じている間は、別に問題はないと思います。いいことと悪いことは裏表ですから、せっかちと言われたら行動力があるととっていればいい。(中略)
 ところが、悲観的に信じる人が出てくると困ります。血液型性格分析の場合、科学の仮面をかぶっているから、余計こまります。
 高校生くらいの時に「ぼくはB型だから管理職にはむかない」と信じこんで、みんなサラリーマン志向をやめ、スペシャリストをめざしたら、日本の工業社会は耐壊してしまいます。
 血液型性絡分析が“占い”である間はよいのですが、“科学”の顔をしだすと、とんでもないことになると思うのです。いや、もし、血液型性格分析が科学的に正しいとすれば、これこそ大変なことです。子供を芸術家にしたいなら、子供がAB型になるような短合わせで結婚するしかない。選挙のポスターに「私はO型です、政治家に向いています」 と書いてみたり、逆に「対立候補はB型です、政治家には不適当です」と人身攻撃につかわれるかもしれません。そのうち、血液型詐称なんてでてくるかもしれない。

 全くそのとおりですね。データを見るとわかりますが、血液型でそこまで決まるなら私も苦労しません(当然のことながら『ABO FAN』も不要に…)。また最近はO型の政治家は減っているようです。ま、ここは冗談ということですので、このくらいに…。

 冗談はさておき、気質や性格というものの医学の解釈に触れておきましょう。
 医学的にいえば、性絡と遺伝はあまり関係がない、というのが現代の医学界の考え方です。性絡は後天的に形成されるものという考え方が強くなってきたわけですが、この考え方にも、血液型性格分析は逆行します。

 最近はまた違ってきたのでしょうか(?)、遺伝子で性格が決まるという考え方もポピュラーのようです。というのは、現在でも、びっくり病、強迫神経症、攻撃性、注意不足などが遺伝子と関係あることが実証されているようですから(『脳内物質が心をつくる』 石浦章一 羊土社 H9.5)。
 ところで、白血球の血液型(HLA)についても記述があります。

 もっとも、一つだけ、血液型と相性に関する面白い実験がぺンシルバニア大で行なわれました。これは白血球の実験なんですが、白血球にも血液型があるわけです。最近、臓器移植の拒否反応等で有名になっているから、ご存知の方もあるかもしれません。腎臓移植をするときなど、白血球の型が近ければ近いほど、移植がうまくゆくんです。
 その実験の一つにこういうのがありりました。マウスのメスを二匹とオスを一匹、入れておく。メスのうち一匹はオスと同じ白血球型、もう一匹はちがう白血球型にしておきます。
 すると、オスは自分と同じ白血球型のマウスとは、セックスをしない。自分とちがうタイプの白血球の型のメスと交尾するんです。
 もし、これが人間に適用されれば、革命的な相性判断になるかもしれない……というデータなんですが、マウスの場合は非常に科学的な裏付けがある。
 おそらく白血球型を決めている遺伝子か、あるいは、その近くの遺伝子が、尿の中にある物質を出していたんです。それで、白血球型によってにおいが全くちがうんです。マウスの場合、自分と違うタイプの匂いしか興味がないわけで、もし人間のABO式血液型にもそういう匂いのようなものがあれば、お見合いセンターなんかは非常に効率になるかもしれません。
 ただし、 このデータはABO型と何の関係もないことは明言できます。

 なるほど、匂いもあるとは勉強になりました。いずれにせよ、竹内久美子さんや能見さんのいうように、HLAと性格も関係がありそうです。

 HLAについては他のページにも書いたのですが、ここにも書いておきます。

 竹内久美子さんから、HLA(白血球の型の一種)と性格に関係があるのではないか?という説が出されています。そしたら、やはり白血球の型と性格には関係があるのだそうです。もちろん、遺伝子レベルで科学的根拠があるのだそうで…。残念ながら、赤血球の型(ABO式血液型など)とは関係があるとはまだ証明されていません(高田明和著『血液は体のすべてを知っている』 コスモの本 H4.10 206ページ)。

白血球の型とある種の体質、性格は遺伝子のレベルで結びついていることが知られている。しかし、赤血球の場合は遺伝子レベルでこのような関係があることは知られていない。血液型性格診断は占いの一種くらいに思った方がよさそうである。

 残念ながら、どの型がどんな性格に関係があるのかは書いてありませんでした。しかし、この本の著者はABO式血液型と性格の関係には否定的です。私は、この調子でABO式血液型と性格に関係があることが証明されることを願っているのですが。

 では、次へ…、

 いずれにせよ、血液型性格分析がさわがれているのは、全く日本だけのことで、欧米の友人に聞くと一笑に付されてしまいます。そのあたりを、ご承知の上、遊びとわり切っていただきたいものです。

 これは残念ながら一部に事実誤認があるようです(もっとも、10年以上前だからしょうがないと思いますが)。「血液型性格分析」は日本だけではなく東アジアと東南アジアを中心に、欧米でもだんだん広がっているようです。詳しくは、ダダモさんのホームページ(www.dadamo.com)やリンク集を見てくださいね。

 なお中原はAB型、富家はA型です。性格分析によれば、AB型が天才型で、従順なA型をリードするという形になるそうですが、今回のテーマは、A型の富家の方がリードしました。

 ここを読んで思わず愉快になってしまいました(笑)。全く能見さんの言うとおりで、A型がAB型をリードしているのです。う〜ん、『かなりの数の「血液型性格分析」の本を読んでみました』ということですが、能見さんの本は1冊も読まなかったのか…。なぜこれを書くときに「血液型性格分析」は正しいということは思い浮かばなかったのか…。いずれにせよ、非常に理解に苦しむ文章です。もっとも、別な「血液型性格分析」の本ではAB型がA型をリードすると書いてあったのかもしれませんが…。
 では、最後です。

 いずれにせよ、努力してもどうしても変えることができない血液型などが、人間の一生を決めるという考えは世の中にはびこらないでほしいものです。

 いやいや、全くそのとおりです。私も天才的なAB型だったら苦労しなかったでしょう(苦笑)。
 お後がよろしいようで…。

19.gif (267 バイト)おまけ

 もう十年以上の論文を現在の知識で再検討するというのは、ちょっとルール違反のような気がします(え?だったら書くなって…)。しかし、たった十年で科学の「常識」は随分変わるものだなあとしみじみ感心しました。現在だったら、この2人はどんなことを書くのでしょうか? また、今から十年後にはどんなことを書くのでしょうか? -- H10.8.11


ホームページへ


最終更新日:平成10年8月11日