おもしろ人生学 |
おもしろ人生学
私は2001年7月から2005年3月の間、公開天文台関崎海星館の2代目館長
と して、天文ファン皆さまと宇宙にロマンを求めつづけました。
関崎海星館は2004年12月末までは佐賀関町の、2005年1月からは大分市の
生涯学習施設(教育委員会)として、今も多くの天文ファンが訪れています。
「400円と好奇心」は別府市教育委員会の要請を受けて、2004年9月17日
にお話しした要約です。
ふれあい広場・サザンクロス講座<おもしろ人生学>
400円 と 好 奇 心
その1
関崎海星館は佐賀関町の公開天文台として1995年(平成7年)4月1日に設
置されました。今年で会館10年目を迎えます。
観測ドームは6.5mスリット式です。
60cmカセグレン・ニュートン式反射望遠鏡とこれに架設した15cm屈折
望遠鏡、太陽観測用10cm屈折望遠鏡、7.5cm広視野望遠鏡、20cmシ
ュミカセ写真ガイド望遠鏡を備えています。
ベストコンディシヨンの夜空に見える天の川は、私が子供の頃に見た美し
さそのものであり、口径60cm、肉眼の7300倍もの集光力を持つ大望遠
鏡で、月のクレータや土星の環、木星の縞模様、また、果てしなく広がる
宇宙の彼方の星雲や星団を心ゆくまで楽しめます。
天体だけでなく、関崎半島の世界一の眺めを楽しんでいただこうと、観望
室には33倍ズームアップカメラシステム並びに15倍観光望遠鏡をも置い
ています。
ここからは、大分県の天然記念物に指定されたウミネコの生息地として知
られている無人島の高島をはじめ、別府湾から別府の山々、国東半島、豊
予海峡、豊後水道に面した大分県と四国の島々が浮かぶ300度のパノラマ
を堪能いただけます。
さて、本日のテーマは「400円と好奇心」であります。人生を楽しく生
きたいとした私のプログラミングについて述べせていただきます。
自分の名前に託す親の思い、子育てのあり方、お金の使い方、なぜ男は短
命か、趣味とは、遺言のすすめ等々、感動の人生を演出することに欠かせ
ない条件を皆さんと共に考えてみることにしましょう。
バブル経済の崩壊を誰もが予想すらしなかった1992年、大分市に本店を
有する府内信用金庫と別府市に本店を有する別府信用金庫が対等合併をし
て九州では有数の新しい大分みらい信用金庫が誕生しました。当時の府内
信用金庫の理事長が私、49歳でした。
新しい信用金庫に私が在任した7年間は、当期利益は増益基調を続けまし
た。合併という選択は、これをもって少なからず認めていただいたと存じ、
任期途中ではありましたが57歳の春に職を辞すことにしました。
あるとき、金融経済新聞の特集「我が道・我が人生」に寄稿した私の随想
「楽しくてこそ人生」が掲載されました。この中で、私は青年の頃に日記
にとどめたことを引用して次のように述べています。
「定年までに少し時間を残して退職することがいい、そして、あまり長生
きはせずに69で一期を迎えたいと願う。」と。
みなさんはご自分のお名前が好きですか。
私の姓名は渕野純生(ふちのよしお)です。
名はどなたも「すみお」と読みますが、父は「よしお」としたのです。
荘子がその弟子の問いに諭した中に<純純常常>という言葉が出てきます。
「人生の達人は、己の体得した真理は一切万物にあまねくゆきわたらせな
がら、己の明知は外にあらわさない。徳は立派に修まりながら、有徳者と
しての名声はあがらぬようにし、純純常常(のろまでぼんやり)かえって
狂人のごとく見える。」とあります。
日本名はほとんどの場合、 姓と名は一体となり、 そこに意味を持つよう
に思います。
私の場合の、渕野は<大きな地球という自然の中に>、 純生<のろまで
ぼんやり生きてゆくがよし> と願って命名されたものだと思います。
「純生」は易しい漢字を使ったありふれた名前ではありますが、私の知る
ところ「よしお」と呼ばせるのは日本中にただ一人のようです。
我が子の名には、こうした親の思いが必ず宿っておりますが、皆様はご自
身のお名前について、どんな受け止め方をなさっていますか。
「楽しくてこそ人生」の中で、父のことにふれています。父は母に優しか
った。夫婦のことですから本当のことはわかりません。暮らしの中で、子
供たちは父が母を大事にしていると感じたものです。
中学生の頃、私は母を馬鹿にして反抗したときに、「俺の母さんに、お前
は文句があるのか!」と烈火のごとく父から怒鳴られました。その折の父
は、普段の父とは別人に思えたほど恐ろしく感じました。
父の迫力に圧倒された息子は、この体験から次のことを学んだものです。
・女性を大事に思える生き方ができぬ男はだめだ。
・母親は女性の中でも超越した存在であり、母さんがなんと言おうが、こ
れを受け止める度量を男は持たねばならない。
息子は、その日から母を馬鹿にした言動はピタッと止みました。理屈では
なく、優しい父が豹変した姿に、息子は本能的に何かを感じたものです。
「楽しくなければ人生ではない」 と申しましたが、楽しいとはどういうこ
とでしょう。
広辞苑では「楽しい」は 「@満足で愉快な気分である。快い。A豊である。
富んでいる。」と説明されています。
満足であるか、豊であるかは、その人の心の有り様で変わってくるもので
あると思います。しかし、自分が楽しいと感じさえすれば何でも良いとい
うことではありません。そこには、「楽しい人生」は他者、つまり、自分
以外のほかの者を楽しくさせることに通じていなければなりません。
一言で申すと、楽しい人生とは他者を楽しくさせることであります。自分
以外のほかの者を楽しくさせるには定義などはありません。ともかくも
「他者を楽しくさせたい」 というテーマを持ち続けて、自分の暮らしの中
で生み出していくことであろうかと思います。
これから皆さんと、他者を楽しくさせるコツを探してみたいと思います。
皆さんは時間を忘れて遊んでいますか。先にお話ししましたが、私は就職
したときに定年までに少し時間を残して退職することがいいと決意しまし
た。もちろん、生涯の生活を考えると簡単に実行することはできませんか
ら、そのための段取りが必要です。
私はほとんどの場合、やるぞ!と他者に宣言することにしています。宣言
は他者の反応を確かめること、並びに、やるぞ!との思いを深めるために
欠かせない儀式であります。すると、決意を具体化する段取りが次々と浮
かんできます。
ここで大事なことは、その浮かんだ発想が<他者を楽しくさせる法則>に
かなっているか否かを自身に問いかけ、それが邪なものでないかを確認す
ることです。
夢、思い、目標などを、やるぞ!と宣言したときから、全身の細胞がそっ
ちのほうに向いてきます。確信が深まり、それを実現するための知恵がわ
いてきます。誰もができる易しいことですが、その易しいことを大半の方
は難しい、実現不可能、お前だからできた、といって相手にしてくれませ
ん。それでは幸せをつかめません。
さて、仕事に就いているときは、なかなか時間を忘れて遊べません。当然
大きな制約があります。 また、 定年前に退職したからといっても、現職
中に楽しく遊べるお膳立てをしておかなければ、さあ、今から始めるぞ!
と思っても間に合わないでしょう。
私は幼い頃から絵画に興味がありました。 描くだけではなく、暇を見つけ
ては美術館を訪れます。 日本経済新聞のカラー版の「美の美」やその他の
美術紹介記事、写真のコレクションは40年間にわたっています。
将棋の初段免許は偉大な大山康晴名人の署名になるもので私の宝物の一つ
です。
囲碁は、大分合同新聞社主催の段位認定大会の4段戦に挑戦していますが
優勝の夢は未だにかないません。
呉 清 源 書 (渕野純生蔵)
私には、記録癖と収集癖があります。感動したことはすべて記録にとどめ
ます。その記録を見ると再びその感動が蘇ります。蒐集したものは思い出
の宝物です。
これも感動を蘇らせるには十分です。自宅のあちこちに飾ってある絵画は
心の満足を充たせてくれます。この絵に興味を示してくださったお客がみ
えたら、その日は特別な気分で過ごせます。
それでは記録の中へご案内しましょう。
日記をつけ始めたのは小学校4年生でしたから、かれこれ50年間に及び
ます。日記は他人に見せる意識を捨てて書くことです。したがって、死後
に残さないほうがいいと思っています。どの時点でこれを廃棄するかが問
題です。「人は死んだらゴミになる」と思う私は何も残さないつもりです
が、残したい部分があれば別に書き写しておくのもいいでしょう。これと
は別に、脇道にそれたときに役に立つかもしれないと思いながら、息子の
成長日記をつけました。これは、息子がが大学に進学したときに中断しま
した。
お話のタネ、心に残ったことば、心を戒めることば、ビジネスノートなど
の区分を設けて、書籍や講演、ラジオ番組などの中で面白いと思ったこと
を、その都度ノートに記録しておきました。そして、これらを暮らしの中
に取り入れるのです。
お話しのタネでは、なんと言ってもフランスの作家ユーゴと出版社のやり
取りが忘れられません。
ユーゴが作品の評価を出版社に問い合わせた。「?」(どうか)
出版社の返事 「!」(すばらしい)
もう一つ、南極の探検隊員へ妻から 「アナタ」
心に残ったことばの中で、心がけているのは久米宏氏の言葉「人に好かれ
ないとまずい」です。
日常の暮らしの中で、大笑いする機会に出会います。そんな折にも、その
出来事をしっかり書き留めておきます。その場限りにして忘れてしまって
はもったいない。すると、暮らしの中に次々とおもしろいことが発見でき
ます。
自分は変な人間だと自覚するようになるとしめたもので、人生がますます
楽しくなってきます。
そのジョーク集を覗いてみましょう。
電子機器の展示会に招待され、その会場の所在地を電話で問い合わせた折
のことでした。
渕 野 「○○会社は何処ですか?」
受付嬢 「ここです。」
(電話の先の受付嬢が間髪を入れずにこう応えてくれました。)
ある日の帰宅途中でした。交通事故現場に駆けつけた警察官がマイクで呼
びかけていました。
警察官 「交通事故のお客さんはどこでしょうか?」
こういう面白いこと、いや、面白いと笑っては済まされないことが周辺に
ごろごろしているのです。みなさんも、好奇心の目で街を歩いてみてくだ
さい。
俳句を詠むようになってからは、季節の移り変わりに敏感になりました。
歳時記を開くと四季に区分されて季語が載せられています。季語にはそれ
ぞれ代表的な俳句が添えられています。
俳句を始めると、先ずは花の名やその他の植物、または動物の名をまった
知っていないことに気づきます。 自然に対する好奇心の目が一変します。
自然に生かされている自分が愛おしくなります。誰もが気のつかぬ発見を
して、そこから俳句が生まれたときはなおさらです。
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関崎海星館<きら・ら星広場>のエンゼルス・トランペット
ホワイト・イエロー・ピンクの花を咲かせる株があわせて約400本!