|
トーキングサロン会場風景
ダニー・ヘンダーソン Danni Henderson (オーストラリア出身留学生) |
松橋 紘史 (高校生) |
アラン・ランズダウン Alan Lansdowne (イギリス出身ALT) |
(翻訳:阿部 寿郎) ダニーと通訳の阿部さん こんばんは,ダニー・ヘンダーソンです。17歳でオーストラリア出身です。交換留学生として今年の3月に日本へ来ました。来年の1月には帰国する予定です。 オーストラリアでは私は南オーストラリア州の州都であるアデレードに住んでいました。アデレードは片側が海,片側が小さな山々に囲まれたきれいな都市でおよそ100万人の人々がそこに住んでいます。 アデレードで通っていた高校では私は日本語を4年間勉強しました。日本語は選択科目の一つであり,本当のことを言えば、最初の1年目で私は日本語の勉強を止めたかったのです。でも私の両親は外国語というものがとてもお気に入りで,私に圧力を掛けてもう1年だけでも勉強し続けるよう言い続けました。それがもう1年,そしてもう1年と続いたのです。両親は私に日本語の家庭教師をつけてくれましたが,私の代わりに宿題をやってくれるだけでした。そんなわけで4年が過ぎて,私は日本への交換留学生になって今ここにいる訳なのです。 ここへ来て8カ月になりますので,最初日本に来てびっくりしたことには,今はもうすっかり慣れてしまいました。どんなことにびっくりしたのだろうかと,思い出すのに苦労するほどです。去年(オーストラリアにいたとき)私は私の高校の姉妹校である岡山県総社市の高校へ,2週間のホームステイの計画に参加しました。私の学校から私を入れて20人が参加したのです。何年間も学んできた国へ旅行することで,私たちがどんなに興奮していたか,今でもはっきり覚えています。 私は学校で日本語を勉強していたので,日本の文化や生活様式を少しは知っていました。でも去年日本へ行く前までは,日本は先端技術と寿司とお米、そして相撲と侍の国というイメージを持っていました。このような型にはまったイメージは,私が日本語授業で聞いた話や日本の映画を通して作られたものでした。 今はもう,日本はこれらすべてのもの以上の国であることを知っています。去年,私たちが大阪空港に着いたとき,私はたくさんの人間や湿度が高い気候にびっくりしました。新幹線の窓から見た大阪は,とても大きくカラフルでした。でもまもなく青々とした緑の田圃しか見えなくなりました。 岡山で受け入れ家族の人たちに会って,みんな大喜びでした。これが私の「外人」としての初体験でした。みんなニコニコしながら私たちをジロジロ見ました。私たちはショーウィンドウの中にいるような気持ちになりました。 日本の家で2週間過ごしたことはとても素晴らしかったです。私は布団の中で寝たし、お風呂も入ったし、それに私のための特別製の朝食と昼食を食べたのです。岡山での2週間は本当に素晴らしい経験でした。でも今となってみれば,2週間と1年間はまったく違うということはよく分かります。一番大きな違いは、私はほんのわずかしか岡山にいなかったので,お客様扱いされていたことです。ところでこちら上越では,私は家族の一人のようなものです。 オーストラリアでは私は4人きょうだいです。私たちが小さかった頃,両親は子どもの私たち一人一人に,それぞれ外国で1年間過ごす機会を持たせてやりたいと決めたのです。2年前に兄さんがフランスへ行き,去年は姉さんがオランダへ行きました。当然の成りゆきで,次が私の番になったのです。 去年は私は交換留学生になる気持ちはまったくありませんでした。でも両親が私をある会議に連れていってくれました。その会に出たことによって,留学生になることがとても面白いように感じました。去年短期ホームステイで日本へ行くことになっていたので,私は交換留学生としては別の国へ行きたかったのです。私が選んだ国はドイツでしたが,運命によって,私は日本へ来ることになってしまいました。 日本へ行くことになったと分かったとき,私は交換留学の本部へ手紙を書いて,場所は東京にしてほしいとお願いしました。東京は大変大きく,面白そうだからでした。アデレード出身の私の友達も私と同じ手紙を書きましたが,何かの理由があったらしく,結局私は上越に,友達は三重県の小さな町になりました。オーストラリアで私はインターネットを使って上越市を探しました。そして上越市がスキーで有名なことを知ってとても嬉しかったです。アデレードでは雪が降らないので,上越市に住んでいればきっとスキーが上手になる機会があるだろうと思ったからです。 今年日本へ来る前に,私は,今三重県にいる私の友達に,日本についていろいろ教えました。様々な種類の自動販売機や新しい自動車、暖房便座がついている精巧なトイレット,そしてもちろん食べ物についてもと,ありとあらゆることを彼に話しました。日本の食べ物は慣れるのに少し時間がかかります。外国人にとって,日本の食べ物の味と香りは抵抗があります。でも私は日本の食べ物が本当に好きになりました。 日本の食べ物を食べる場合には,寛大な,広い心と,何でも食べてみようという気持ちを持たなければならないと,私は思います。日本へ来る前には,生の魚(すなわちお刺身)を食べるなんて,考えただけでもゾッとしました。でも今ではお刺身からアンコ(甘いアンコか,魚のアンコウか分からない。多分両方でしょう。)まで,何でも食べられます。ただ一つ,納豆だけはダメです。 日本にはおいしい食べ物や料理がたくさんあります。私はオーストラリアへ帰ったら,家族や友達に作ってやりたいです。日本の食べ物を食べるときの私の楽しみの一つは,お箸を使うことです。私はお箸を使うことがとても上手になりました。オーストラリアへ帰ったら,お箸をどんどん使おうと思っています。 今年3月17日に私と68人のオーストラリア人はAFS交換留学生として東京へ来ました。3月18日の午前6時に着いたのですが,東京での私の最初で唯一の印象はとても寒いと言うことでした。最初の3日間で私は風邪を引いて,寝込んでしまいました。幸運にも私の受け入れ家庭の人たちが,一生懸命に私の世話をしてくれました。オーストラリアでは熱があったり風邪を引いたときには,たまには薬を飲みます。でもたいていの場合は蜂蜜を入れたレモンを暖めたものを飲み,具合が良くなるまでぐっすり寝ます。でも日本では同じではないことがすぐに分かりました。私はオーストラリアの家族や友達と別れてきたばかりだったのですっかり落ち込んでしまい,ホームシックになってしまいました。私は眠る以外には何もしたくありませんでした。でも受け入れ家族の人たちは何か外の方法を考えていたようでした。 彼らは私にたくさんの薬をくれました。そして5時間おきに起こして,体温を測ると言いました。ある段階では,彼らは私を病院に連れていくと言ったので,びっくりしました。どうしてびっくりしたかというと言うと,オーストラリアでは病気の時は医者のところへ行きますが病院へ行くのは急患で緊急の場合だけだからです。環境がすっかり変わってしまった私に対して,ホストファミリーの人たちはいろいろ気を使って,私の面倒をよく見たり気楽にさせてやりたいとしていたのだと思います。 春休みの2週間の間,私は日本人の人たちはよくテレビを見ているものだと感じました。私のホストファミリーは毎日テレビを楽しんでいます。私たちはオーストラリアではよく出歩くものですから,このこと(よくテレビを見ること)を不思議に思いました。私は毎日テレビを見ることは好きではありません。第一,何にも分かりませんし,第二に私は外出していろいろなことをやりたいからです。岡山では2週間しかいなかったから,私たちはいろいろなことをやったりいろいろな場所へ行ったりで,いつも忙しかったです。初めて上越へ来たとき,私はいろいろなことをやって忙しくなるんだろうと思っていました。 そのことが今年私がせざるを得なかった環境への適応への努力の中で,最もハードなものの一つでした。オーストラリアでは若者は週末にはずっと,夜も昼も出歩きます。私たちはパーテイへ行ったり,友達の家へ行ったり,様々です。オーストラリアへ帰って私が一番楽しみにしていることの一つは,パーテイへ行くことです。日本の高校生と比べると,オーストラリアのテイーンエイジャーたちは自分たちの好きなことをする自由を,より多く持っていると思います。 私は4月に初めて新潟市へ行きました。たくさんの店やレストランを見たりしてから上越へ帰ってきましたが,新潟市で学んでいる7人の留学生をとてもうらやましく思いました。上越は私の故郷のアデレードとは全然違います。ここへ来て困ったことの一つは,私が上越市にいるたった一人の交換留学生である,ということでした。他の交換留学生と会いたいと思ったことは何回もありましたが、上越と新潟の距離が遠く,出来ませんでした。将来、上越市に2人の留学生をおくことができれば,一人の場合よりもずっと効果があると思います。 日本の学校について私が一番最初に感じたことは,とても古い,ということでした。高田高校へ行った最初の日は春休み中でしたので,生徒は誰もいなくて,学校全体が暗く,陰気な感じがしました。寒いことは言うまでもありません。 いつのまにか春休みは終わっていて,新学期が始まりました。私は気にはしていませんでしたが,他の星からやってきた異星人になったような気持ちでした。みんなが私をジロジロ見ます。中には私に手を振る人もいます。人々は私に自己紹介するのですが,私にはみんな同じような顔に見えて,誰の名前も覚えることが出来ませんでした。 最初の数週間は,私は人からジロジロ見られることですっかり気分が悪くなってしまいました。私が人々に微笑みかけても,人々は私に微笑み返してくれません。そして大部分の人々は,私を無視しているのです。私は最初,彼らは私を嫌っていると思っていましたが,実際にはそうではなく,ただ恥ずかしがりやなんだということが,次第に分かってきました。今でもまだ,私の回りにそんな人がいます。 新学期の初めに,生徒全員が,春休み中にたまったゴミをきれいにするために学校中を清掃しなければなりません。学校での清掃は,私にとって初めての経験でした。オーストラリアでは報酬を受けて学校を清掃するために来る人々がいることは当たり前のことだと思っていました。しかし日本では,生徒たちが教務室を含めて,学校中の清掃をしています。日本の学校について私が大嫌いなものの一つが,清掃です。 少しつけ加えますがオーストラリアでは授業ごとに生徒が変わりますので,同じ人といっしょにいることは決してありません。時間割は生徒一人一人によって違っています。授業ごとに違う人々といっしょになる機会が多いことから,オーストラリアの生徒たちは日本の生徒たちよりも友達をたくさん持っていると思います。 もう一つの違いは,日本ではいつも同じ人といっしょに教室でお弁当を食べますが、オーストラリアでは教室でお弁当を食べることは禁止されています。これはそれぞれのクラスが自分たちの部屋すなわち教室を持っている日本と違って,オーストラリアの教室は,毎時間違った科目の授業に使われるからです。 日本では授業の間に10分間の休憩があります。一方オーストラリアではある授業(教室)からすぐに次の授業(教室)へ行きます。でも午前中にリセスと呼ばれる20分間の休憩があります。リセスと昼食の間は,私たちは雨が降っていない限り,食べたり飲んだり、友達と話したりするために外へ出ます。このような休憩時間を外で過ごすことによって,私たちはたくさんのいろいろな人々に会ったり新鮮な空気で一息入れることが出来ます。 日本では授業中は教室がとても静かなのにびっくりしました。先生は教室の前に立って話し、生徒はノートを取ります。生徒は質問をしないし、先生からかけられたときだけしかしゃべりません。
日本で初めて学校の全校集会に参加したとき、私は軍隊の中にいるような感じでした。先生がステージの上から大声でみんなに「起立」,「手を身体の横に付けて礼」の号令をかけたものですから。オーストラリアではこんなことはしません。また日本の生徒たちは,毎時間の始めと終わりに起立したり,おじぎして何か挨拶の言葉を言ったりしますが,私たちはやりません。日本ではこうすることが先生への敬意を示すやり方とされています。オーストラリアでは,生徒たちがその先生を好きであり,そして敬意を示す方法としては,その先生に冗談を言ったりします。 私は高田高校には制服がないことを知って安心しました。日本へ来る前、私は日本ではセーラー服を着て,巨大な白いルーズソックスを履かなければならないのだろうと思っていましたから。それにしてもなんとまあたくさんの女子高校生たちがルーズソックスを履いていることでしょう。オーストラリアでは私たちはソックスは小さければ小さいほどよいと思っているものですから,ホントにびっくりしてしまいます。 そんなことで,運良く高田高校には制服がなく,私はとても嬉しいです。オーストラリアの大部分の学校でも制服があり,私の(オーストラリアでの)学校も例外ではありません。同じような色とスタイルが多い日本の学校の制服と違って,オーストラリアの学校の制服は,それぞれの学校によってみんな違います。制服を見れば,どの学校の生徒であるかがすぐ分かります。 こちらで過ごした最初の数カ月は,私はいつも日本とオーストラリアを比べていたことに気付きました。それが食べ物や文化,あるいは生活様式であれ,私は無意識のうちに二つの,非常に異なった国を比べていたのです。私は比較することは止めて,日本は日本であり,オーストラリアはオーストラリアであるということを自分に気付かせなければならないと思いました。二つの国は,決して同じではないのです。 今年私にはいろいろなたくさんの苦しみや困難なことがありました。学校で,ホストファミリーで,そしてもちろん言葉の問題でも。これまでは,このような問題が起こったときに私がどうしたかというと,あきらめて家へ帰ってしまいました。でも今年,私は,あきらめないで粘り強くやり抜くことの大切さをよく学びました。そして私はそのようにやり抜いてきました。今年,私は確かに自分自身について,そして私の長所や短所,精神的な強さと弱さをよく分かりました。 以前私は,オーストラリアは退屈な国であり,外国がとても素敵に見えました。でも私はこんなに長い間私の国から離れていたあとで,私は自分がオーストラリア人であるということを,誇りに思うようになりました。 交換留学生になることは,人生で一度しかない機会です。そして私はそのような機会に恵まれたことを大変光栄に思っています。諺に,「光陰矢のごとし」とありますが,本当にその通りだと思います。これまでの8カ月は,なんとまあ早く過ぎてしまったものかと感じています。これからの2カ月も,きっと矢のように過ぎていくことでしょう。 どうもありがとうございました。 |
オーストラリア訪問記'98の松橋君にジャンプします。
|
(翻訳:阿部 寿郎) アランと通訳の阿部さん 私は英語指導助手として新潟県の上越市に着任したばかりですが,私の印象や感想について皆さんにお話ししてほしいという依頼とお招きを受けて,今晩ここへ来ました。
その上,私は外国語教育ということについて,イギリスでの学生、生徒としての経験しかありませんし,日本では先生というより指導助手としての経験しかありません。私は外国語教師としての正式な訓練を受けていませんし,(日本における)英語教員の免許も持っていません。そのようなわけで,外国語教育についての私の考えや意見はすべて,イギリスの学校や大学で生徒,学生としてフランス語やドイツ語、そしてスペイン語やロシア語を学んだという経験を基にしています。このことを,皆さんからぜひお分かりいただくようお願いします。 それはともかく,今晩,私は,私が経験した範囲内ですが,外国語教育に関して日本とイギリスが異なっている点のいくつかについて,私の個人的な観点からお話ししてみようと思います。 始めに,私はイギリスにおける外国語教育と,私が日本で経験した英語教育の違いについてお話ししたいと思います。このことについて現在、私が感じている主な点は9つあります。 1)イギリスでは教師になりたいと思うものは誰でも,大学卒業という資格に加えて,PGCEと呼ばれる1年間の課程を取らなければなりません。その1年間のうちの9カ月は,授業実習や指導技術の演習に充てられます。教育実習生は広範囲にわたる教育的な方法,技術の実習を通して訓練され、どのようにしたら最もうまく知識や技術を生徒に伝えたり,彼らが学ぶことを援助できるか,ということを指導されます。
2)日本でもイギリスでも,生徒たちは自分が受ける授業に対してどれくらい努力するかは,ある程度は自分の責任ですが,教師の仕事について日本とイギリスでは違っています。まず,イギリスでは授業中における態度、行動について生徒自身に責任を持たせるようにするのが教師の仕事です。そのため,無責任な振る舞いをする学級は,悪い学級であるというより,悪い先生に持たれていると考えられています。イギリスではよい先生と悪い先生がいると考えられています。そしてその学級がよい学級であるか悪い学級であるかは,受け持っている先生の責任であると考えられています。 3)イギリスでは生徒は教師からしばしば質問され,また教師と同じように授業に対して貢献するように求められています。時には教師は授業でほとんどしゃべらず、生徒たちが授業の最初に行われる授業全体についての教師の導入に従って自分たちで聞く、話す,読む、書くの活動を行います。このようにして生徒は自分の学習について自分で責任をとることを教えられるのです。授業は受動的であるより積極的,活動的であるように奨励されます。 4)生徒は一つの机に一人又は2人で座っているのではなく、グループになっています。このことはグループ活動が始まればすぐに活動できるようになっていることを意味しています。 5)教師は授業中ずっと教室の前に立っているのではなく、教室をぐるぐる歩き回って生徒に説明したり、生徒がグループになって練習したりしているのを聞いて回ったりします。教師は生徒に質問を尋ね,彼らの答えを確認したり発展させたりします。イギリスの教師は質問に対して,最初から生徒に答えを教えたりせず、生徒が何とか自分でそれをやり遂げるようにしむけます。 6)生徒たちは先生を尊敬し,先生が話しているときはしっかり聞くように求められています。先生が教室内を歩き回るときには彼らは先生の方を見ます。隣の友達とちょっとでも私語をすれば,必ず先生に叱られます。机に頭を付けたり居眠りしたり,ガムをかんだり、別の本を読んだり、手紙を回したり,その他そのようなことをすれば、先生は普通みんなの前でそのようなことをした生徒を懲らしめます。そのような生徒は,友達と私語をしていた内容をみんなの前で発表するように言われたり,本は取り上げられて後で返されます。手紙も取り上げられてみんなの前で読み上げられます。また先生の話をよく聞いていない場合には,先生が今言ったことを,みんなの前で繰り返させられます。仲間の前でしばしばおどけたことをする生徒は,普通,同じ先生の前で同じことをやらされることを好みません。 7)教師は生徒たちを動機付け、熱狂させることに全力を尽くします。彼らは,退屈な授業からは,誰も,何も学ぶことができないということをよく知っているのです。だから,魅力的のある面白い活動を取り入れたり,テープやビデオ、時にはコンピューターを使ったりします。授業の内容は生徒たちの注意を引きつけられるように,できるだけ変化を持たせます。 8)授業での様々な活動は,想像力や独創性を育てるものを含んでいます。生徒たちは外国語で物語を作ったり,外国語で他の人の紹介をするように求められたりします。生徒たちは,ある指導方針に基づいてペアやグループになって外国語で対話を作るようにしばしば求められます。そして彼らはそれをみんなの前で発表するのです。 9)とりわけ授業は教師というよりも生徒主体になっています。教師は生徒の要求に応じ、授業は教師が教室の前で講義をするのではなく,生徒が様々な活動をすることによって進められています。 私がこれまでお話ししたすべての点は全体的に,すべてとは言えませんがイギリスで行われている大部分の授業に適用するものであり,外国語学習に限ったものではありません。私は日本の英語教室での経験しかありませんが,私は日本の英語授業の雰囲気は,イギリスと比べると,手段方法がが形式的であると同時に,実際面では厳しさに欠けている面があるように思います。 ここで私は、日本とイギリスでの授業の違いということから、それぞれの国における外国語教育への対応ということに、話を進めていきたいと思います。イギリスでは外国語教育というものは高度に専門化された教授法であると考えられていることから、外国語教育について非常に多くの本が書かれており、その数は他のどんな教科の指導法について書かれた本よりも、多分上回るだろうと思います。イギリスでは言語(外国語)教育というものは、英文学や歴史学のようにある意見が提示され、それについて論争するものとは異なっていると考えられています。また科学のように観察や実験が行われて仮説が展開され、理論が正しいものと証明されたり、間違っているとして証明されるようなものでもありません。また数学のように、厳密な論理的な処理によって正しい答えに導かれるものでもありません。外国語の習得というものは、その外国語の語彙を使って表現する技術を身につけることと、その語彙が実際に使用される場合の文法的な規則を覚えるということの二つが組み合わされた過程であると考えられています。それ故に外国語学習というものは、文法的な規則の適用に一貫性を要求する訓練であると同時に、語彙の使用に柔軟性と創造性を要求する訓練でもあるのです。文法的な一貫性と語彙の知識が十分なレベルに達した高度な段階において、その言葉は創造的な表現や討論の道具として使用されることができるのです。外国語習得についてのこの考え方は、私が知る限り、日本における外国語習得に対する考え方とまったく違っているということはありません。しかし、日本とイギリスでは外国語の習得に対して、生徒たちはどのように期待され、要求されているかということについては、極めて大きな相違点があります。 ここにいる皆さんはきっと気付いていることと思いますが,日本の英語学習は,読むことと書くことが重視されている,ということです。イギリスやヨーロッパ諸国の外国語学習は,本来的に聞くことと話すことが重視されています。私が教えている高校生たちが書く英文の質が,彼らが教室での英会話に参加している力をはるかに上回っていることが多い,ということに,しばしば気付いています。もしあなたが少しでも英語を知っているとしたら,英語を話すより書くことの方がやさしい,ということに,きっと同意するだろうと思います。そして皆さんは,私が受けてきた外国語教育の重点のお陰で,私はフランス語、スペイン語,ドイツ語、そしてロシア語のどの言葉についても,書くことより話すことの方がずっとやさしいと感じていることに,興味を感じられることでしょう。 日本の高校では,それが普通なことなのか例外的なことか分かりませんが、総合的な言葉の練習よりも,文法に中心をおいた授業が多いように思います。外国語の文法は,様々な状況の中でボキャブラリーを使いこなす道具として提示されるのではなく,専門的な科目として教えられているように見えます。外国語を抽象的な文法の規則の集合体として教えることは,確かにやさしいです。でも,外国語で手紙を書いたりデスカッションに参加するのが極度に困難であると感じている生徒にとって,何の役にも立たないと思います。 私の考えでは,日本の生徒たちが英語学習を難しいと感じている理由の一つは,繰り返し練習をしたり応用練習をしたりする事がほとんどないのに,非常にたくさんのことを理解したり覚えたりしなければならないからだ,と思います。単語テストの成果はほとんど見られないし,生徒たちは教室でしょっちゅう辞書を引いていることからも分かります。授業で何も覚えずに,いつでも辞書を引けるという状況では、英語の試験のために生徒たちがあれほど一生懸命に準備しなければならないことも,驚くに当たらないと思います。 16歳になるまで私は,フランス語やドイツ語の授業で,辞書を使うことを許されていませんでした。なぜなら私たちは,普通その授業で扱われたすべての単語を覚えることになっていたからです。私の考えでは,そして私は言語学の専門家でないことを繰り返して,以下の点は単なる個人的な意見ですが,日本の生徒たちが英語学習を困難に感じている理由がもう一つあります。
私はイギリスの学校でフランス語とドイツ語を8年間学びましたが,それに加えて,ほんの短い間でしたが,フランスとドイツの学校で英語教室に参加したことがあります。これらの国の学校における比較は,個人的な観察に基づいているものであって,決して客観的な観察であるとは言えませんが,大きくまとめて言えば、日本の平均的な高校生の(英語を)聞く、話す力は,大部分の西欧諸国の高校生のそれよりも,残念ながら劣っていると言わざるを得ません。そして,その力は,ヨーロッパでは外国語を学ぶことにかけてはほとんど努力しないことですっかり有名になっているイギリスの生徒たちのそれに匹敵するものである,と思います。 このことは,日本の学校における言語指導の過程がヨーロッパの学校におけるものより非効率的だということを意味しているのではありません。(結局のところ,日本は異なった目的を持っているのです。) |