ぶじ閉会、が寂しさも
 
閉会式の1時間半はとにかく寒かった。私は観客席の通路になっているコンクリートの階段状の所に腰を下ろして式を見ていましたが、とにかく寒い。携帯カイロがあっても寒い。尻の方から寒さがシンシンと上がってくるようです。  

皆さんは閉会式をどのように感じられたでしょうか。私は前半は退屈だったように思います。それ故、いっそう寒さを感じたのかもしれません。何か日本的なものを前面に出しすぎたきらいがあるのではないでしょうか。司会者の萩本キンちゃんも今ひとつしっくりいかず、浮いている感じでした。日本的なものに呼応するかのように、次期冬季オリンピック開催地アメリカ・ソールトレイクシティーの演出も古き良き西部を演出しておりました。

一転、後半は盛り上がりました。  
会場全体の照明が落とされ、「ふるさと」の曲が始まるやいなや突然観客がちょうちんを点灯し、あちこちから驚きの声が揚がりました。ちょうちんは観客が入場するときに渡されたものでした。薄暗い中、何千、何万というちょうちんの明かりが音楽に合わせて揺らぎます。ちょうちんを揺らしながら観客の皆さんはふるさとを歌いました。周りを見回すと立ち上がって歌っている方も多くいました。隣の男性はたぶんカメラマンなのでしょうが、涙で顔をくしゃくしゃにして歌っておりました。大会関係者なのでしょうか、これまでの長い準備期間を振り返り、また、ふるさとの歌詞が心にジーンと響いたのでしょう。それを見て、私も胸にこみ上げるものを感じました。ちなみにふるさとの作詞者は高野達之氏で、長野県出身です。 
 
 
 
 

 

ここで静から動への転換です。静かな「ふるさと」の後は日本の四季を表現する8分間5000発の花火です。新潟県の住民には、花火というと長岡と言うイメージがありますが、長野県は日本一の花火生産地だと言うことをこのとき初めて知りました。テレビで見られた方も多いと思いますが、普通の花火大会とは規模が違います。絶え間なく花火が打ち揚げられ、それぞれが四季の花を表しました。観客席からはその都度、大きな歓声が上がりました。本当にこの花火は金メダルものです。会場の外にはこれを期待して、たくさんの人が居たそうですが、大いにうなずけます。この花火にはそれだけの価値は充分にありました。  

ここまでは昔ながらの日本を演出していたように思いました。さて、これからは現在の日本を象徴するときです。ロックバンドが登場して「輪になって踊ろ」が演奏されました。選手、観客、皆総立ちで踊りました。まさに最後を飾るにふさわしい全員参加できる曲でした。 

閉会式で印象に残ったのは2曲の歌と花火です。日本的な「ふるさと」と花火。そしてあまり日本的ではない「輪になって踊ろ」。新旧が程良くブレン

ドされていて良かったのではないでしょうか。日本には昔ながらの祭りもあれば、花火もある。加えて西洋的なロックもあることを世界に知らしめたと思います。ただ、最後まで司会者がキンちゃんである必然性はなかったと思うのですが、そう思ったのは私だけでしょうか。 

閉会式が終わると同時に資格認定センターへ戻り、しばし感想を話し合った後、国際放送センターへ戻るシャトルバスに乗りました。しかし、運悪くこの日、しなの鉄道は不通で、また、式後の渋滞も重なり、来るときは20分ほどであった所要時間が1時間もかかりました。  

国際放送センターへ戻るとそこはもうお祭り騒ぎ。各国関係者、役員、ボランティアがあちこちで歓談し、歌を歌い、ビールを飲み、あるいは酔っぱらってヨロヨロと通路を歩いていました。建物全体が緊張感から解放され、大騒ぎをしているようです。私たち資格認定の役員、ボランティアもカフェテリアの一角でお別れ会を開いていましたが、終電に乗らなければならない私は、残念なことに、皆に別れを告げ足早にそこを発ったのでした。