元捕虜の孫、コリーナさん来越


大嶽 理恵子

1月のある日、オーストラリアの元捕虜ボス・バーバーさんの娘ゲイルさんから手紙が届きました。ゲイルさんとは1995年の平和友好記念像の除幕式で出会って以来、友人として親しくお付き合いしています。2月にゲイルさんの姪コリーナさんが友人を訪ねて来日し、その際おじいさんのいた直江津にも行きたいと言っているという内容でした。

嬉しい知らせですので、コリーナさんのために最善を尽くしたいと思いましたが、問題は日程がわからないことでした。

2月はオーストラリア大使の来越が予定されている上、個人的にも外国からの来客が2組もあり、重ならなければいいがと内心不安でした。

2月10日の夜帰宅しますと、留守電に聞き覚えのない外国人女性のメッセージ。コリーナさんからでした。13日に直江津に行くという。すぐに連絡先に電話を入れると、彼女はその日に日本に着いて、まず私に電話してくれたようです。

何しろ明々後日のことです。石塚会長さんをはじめ、メーリングリストで会員に伝え、どのように歓迎するか考えました。

さて2月13日当日。長野経由でお昼頃直江津到着ということで、内山さんと笠原さんと私が駅に出迎えました。お互い初対面なので、オーストラリアの国旗を目印に持って行くと伝えてあります。22歳の若い女性、すぐにわかりました。

駅前の多七で昼食。その日のランチはまぐろ井。何にでもトライしてみるというチャレンジ精神旺盛なコリーナさん。さすがに付いていたとろろだけは残しました。

2時に平和記念公開では石塚夫妻、山賀さんそして上越タイムスの記者が待っていてくれました。昼過ぎまでは穏やかで日も差していたのに、急に突風が吹き出し、献花をするのもなかなか大変。事前に話をしていたので、亡くなったオーストラリア兵への銘板稗の後、「平和の空に八つの星」の追悼碑にも進んで献花してくれました。

その後展示館に入り、対馬さん、八木さん、レイチェルさんのお陰で最近完成したばかりの英語版ビデオを見ました。涙するコリーナさん。2階では多くの顔写真の中から現在のおじいさんとは別人のように痩せこけたバーバーさんの写真を見つけ、名前が書いてなかったら、とてもわからなかったと言っていました。

元捕虜の多くが収容所での悲惨な生活を家族に語りたがらない中で、バーバーさんは教育者一家ということもあり、かなり話しているようでした。冬になると、収容所の周囲の高い塀の上を歩けるくらいに雪が積もったとか、兵士の腕から医者が折れた金属を取り出すのに麻酔がないため、バーバーさんが兵士の腕をきつく押さえていたという話を聞いていたそうです。

外の風はいよいよ強まり、海からの寒風がまともに吹き付けるこの地の冬の生活が如何に厳しいものであったか、おじいさんの苦労の一端を体験することができ、「冬にここへ来てよかった。」としみじみ語っていました。

at Tomizushi Restaurant
富寿司にて
後列(左から右へ):近藤、八木さん、内山さん、大嶽さん
前列:石塚さん、コリーナさん、山賀さん

その後、内山さんと二人でコリーナさんを高田公園に案内しました。三重櫓は閉館時間。小林古径邸は内山さんが頼み込んで閉館時間を延長してもらいました。高田公園近くの内山さん宅で熱いお茶と桜餅をいただいてから、「富寿司」高田駅前店に行き、石塚洋子さん、山質さん、八木さん、近藤さん、内山さんと私で、ささやかな歓迎会を持ちました。ゲイルさんが言っていたとおりよく話す女性でしたから、内山さんを巻き込んで正解でした。

コリーナさんは3週間日本に滞在予定で、上越に1泊してもらえればと思いましたが、日程が詰まっていて、その夜は長野へ。

元捕虜のお孫さんの来館は、一昨年のロバートソン中佐の孫ヘレンさん一行に次いで2度目ですが、平和記念公園と平和を求める私達の活動が世代を超えて受け継がれていくのは嬉しいかぎりです。