経営理念
・実直に、美味しい野菜を作り続ける。
・農業を通して地域に貢献し、様々な場面で喜びを与える。
・次の世代へ、食べ物を作ること、自然と生きることの大切さを伝えていく。
また、若手の育成や子供たちの農園体験についても重要な使命と考えており、積極的に研修生や農業体験を受け入れています。
諸橋弥次郎農園では、有機栽培という概念がまだほとんど浸透していなかった頃から土づくりに力を入れ、できるだけ有機質の肥料を用いることで、農薬の使用を抑えた栽培を行ってきました。栄養豊富な米ぬかや繊維質の多いワラを混ぜ込み、配合も毎年変えて改良しています。ワラを混ぜるのは重労働で手間がかかりますが、果物も野菜も驚くほど良く育ちます。最近の流行りの水耕栽培で育った作物とは、味も保存期間も大きく異なります。
諸橋弥次郎農園が位置する地域は、信濃川、阿賀野川、小阿賀野川に囲まれた低湿地である「亀田郷」という広い平野(約11km四方、約10,000ha)の中心である大江山地区にあります。このエリアは亀田郷の村々の中で最も歴史が古い地域で縄文時代、平安時代、安土・桃山時代、江戸時代など遺跡が多数出土しており、古くから人々が生活してきた痕跡があります。
この低湿地の亀田郷は河川に囲まれ、海面より低いゼロメートル地帯がその土地の2/3を占めて水に覆われているため、「芦沼」や「地図にない湖」と当時の人々に呼ばれていました。当時、農民達は舟を使いながら冷たい水に腰までつかりながら田植えや刈り入れの作業を行っていましたが、稲は水草のように浮いて育つため、十分な収穫は得られず、また、海が荒れると海水が川を逆流して稲を腐らせてしまう年もありました。それでも、農民達は食料を得るため必死に米を作ってきました。
この不安定な状況から脱するため、明治時代から昭和初期にかけて大規模な排水工事と土地改良事業が長い期間に亘って行われ、ようやく1957年に亀田郷の乾田化が宣言されました。そして、舟農業から脱却し、機械による農作業が可能となり、亀田郷一帯は乾田化した美田に生まれ変わり、農業生産が飛躍的に向上しました。現在は、国内でも指折りの穀倉地帯に変貌し肥沃な土壌を生かし、米以外にも野菜や果物の生産が盛んとなり、見渡す限り豊な田園風景が広がるようになりました。現在の亀田郷の農地面積は約4,800haで、東京ドーム1000個分の広さにもなります。そのうち水田は4,100haで、コシヒカリを中心に年間約3万トンのお米が生産されています。また、亀田郷は、疏水百選※にも選ばれています。
※疏水百選
2006年に農林水産省と疏水百選の実施事務局によって選ばれた疏水100ヶ所のこと。疏水とは、潅漑や舟運のために、新たに土地を切り開いて水路を設け、通水させることを指しており、日本の農業を支えてきた代表的な用水を選定して、用水によりもたらされる“水・土・里”を次世代に伝え、維持する活動を目的としている。
(参照:http://www.kamedagou.jp/koho/099-extra/sosui.html)
※参照先
・港南区の歴史:港南区の歴史 新潟市江南区
・亀田郷の歴史:亀田郷 - Wikipedia
現在の当主は6代目の諸橋弥須衛(81歳)で、農業の発展に貢献したとして緑白綬有功章(表彰は総裁(皇族)から行われ、農業関係者にとっては一種勲章に近い権威あるもの)を受賞しています(農業歴60年以上)。弥須衛は、先祖が代々守ってきたこの亀田郷の土地を更に発展させ、土耕栽培にこだわり続け、米・苺・野菜などの他お餅や漬物などの加工品を製造するなど常にチャレンジし続けています。これまで、テレビ・新聞・ラジオなど様々なメディアに取り上げられた他、在日アメリカ大使館ケネディ大使(当時)も諸橋弥次郎農園の越後姫を召し上がり、2008年に新潟で開催されたG8労働大臣会合では各国の労働大臣達も訪れ、世界各国の要人達も諸橋弥次郎農園を高く評価しています。
また、家屋は築100年以上の古民家で、その一部は国の重要指定文化財として認定されています。
■従業員数
従業員3人
パートタイマー6人
その他ボランティアや研修生など
■現地の農業用地
・水稲田6ヘクタール
・エダマメ1.2ヘクタール
・苺ハウス8棟
・その他の野菜2ヘクタール