岡森利幸 2012/10/24
探訪シリーズとして今回は、横穴墓を紹介しよう。横穴墓は古い時代のものだから、各地で遺跡として保存されていることが多い。そんな横穴が密集している場所があって横穴墓群、または単に横穴群として名称をつけられ、マイナーな観光地となっている。地元の多くのところでは、そばに説明板や案内標識を据え付け、観光スポットとして扱っているようだ。主なところでは地図にも載せられている。なかでも、一番メジャーなところは埼玉県東松山市にある「吉見百穴」だろう。それは有名だから、ここでは省略する。
そんな墓めぐりをするのも、私が遠出をするきっかけとなっている。横穴を探す旅といってもよい。横穴には、自然にできた鍾乳洞や、溶岩が冷えて固まったときにできる「風穴」もある。人工的な古い横穴は、ほとんど墓だが、農家の裏山に野菜や果物を蓄えるための施設として掘られた横穴もあるし、戦時中に地下施設として掘られた防空壕などや、鉱石を採掘するための穴もある。横穴にもいろいろ種類があって面白い。つい最近、戦時中に戦闘機が墜落したという小田原の山間部(沼代地区)で見つけた横穴は、農家のおばあさんの話によると、昔はカイコを飼うために使っていたといい、近ごろ農産物をしまっていたら、ハクビシンに食われてしまったという。
古い時代のものは遺跡として保存される努力が一部なされているのだが、横穴には崩落などの危険があることで埋め戻されたり、入り口が封鎖されたり、開発のために破壊されたりしているのが現状だ。私のような趣味のあるものにとって、惜しまれる事態(時代)になっている。横穴墓の中には、かなり急斜面の上に岩盤をくりぬいて造られているものあり、造るのも遺体を運び入れるのも一苦労だったことが、思いしのばれる。造るのがたいへんだから、複数の人(遺体)が利用していたのだろうとも想像する。やがて火葬になったりして横穴は使われなくなり、風化してしまった。今では、開口した横穴からは、専門家が調べても、遺物や副葬品が見つかることがほとんどないという。
@等々力渓谷の横穴墓
世田谷区・等々力駅から徒歩1分で行けて、都会では珍しい清流が流れ、夏でも涼しいということで有名な等々力渓谷には、その斜面の一角に横穴墓がいくつかある。入り口は小さいタイプで、石で組み上げられている。その外形が見られるだけで、もちろん中には入れない。
A座間の横穴墓
座間駅の南西に、歩3分の近さで、「梨の木坂横穴群」がある。近代的なお墓に挟まれるように、小さな入り口の石組み横穴が二つほど見られる。ただし、墓域の入り口の鉄柵ドアを押して開けなければ中に入れないし、横穴墓のところは特に施錠されているので近づけないから、距離を置いてみるだけだ。また、座間駅から逆の方向の、北東にある「東建座間ハイツ」の区域内に小さな遺跡公園があって、同じような横穴墓が保存されているが、雑草が生い茂った窪地の下にあり、近づくのは容易ではなかった。
B大磯の横穴墓群
大磯の山の斜面には、いくつか横穴墓群があって、軽いハイキングをするついでに見るのによい。いずれも大きな開口タイプの横穴だ。奥行きは浅いが、中が広く、高さも腰をかがめれば入れそうなものが多い。
大磯駅から浅間山(181m)への登山道の途中に「揚谷寺谷戸横穴墓群」がある。穴の数も十以上あって見ごたえがあるし、中にもぐりこもうと思えば、それも可能だ。でも、中を荒らしたりしてはいけないから、それは慎もう。駅に一番近いと思われるのは「王城横穴墓群」だ。旧安田邸(一般公開されるのは、年に一度らしい)の入り口に続く道の脇についている登山道から上っていくと、崖の斜面にある。その横穴の多くには、中に石塔が置かれていた。この道は登山道としてほとんど整備されていないから、一般の人は近づきにくいかもしれない。
大磯駅から西へ2km行ったところにある「大磯城山公園」内の南側斜面の一角に、横穴墓が10近く見られる。かつて旧三井家別邸があったところで(本邸は火災で焼失したが、いくつかの蔵が残っている)、その広い庭が公園として整備されていて、散策するのにちょうどよいところだ。しかしながら、整備がよすぎて、横穴の入り口の手前には人が中に入れないように、無骨な柵が立てられているから、まるで土牢だ。写真を撮る価値もない。
C中井町の横穴墓群
「雑色横穴群」が町役場から北西800メートルの松本地区にあって、丘のふもとの斜面に横穴が並んでいる。平地より2〜3メートルの高さにあるから見やすい。ただし、足場が雑草に覆われ、ところどころクモの巣も張っているから、近づきがたい。ここに見学に訪れる物好きは少ないと見える。町役場がある比奈窪地区にはかつて、バス停近くの崖の斜面に堂々とした大きさの横穴墓群が仰ぎ見られた「比奈窪中屋敷横穴群」があったのだが、崖崩れを防止するための分厚いコンクリート壁に覆われてしまった。崖下に住居が立ち並ぶようになったから、防災上、しかたのないところか。今はその壁に、横穴の配列を示すレリーフがはめ込まれ、その近くに「比奈窪中屋敷横穴群跡」の石柱が立っている。地元の人も、それを覆い隠してしまうのが惜しいと考えたのだろう。でも、私が比奈窪近辺を捜索したところ、斜面を上がる小道の脇や神社の裏手にいくつか横穴を見つけた。しかし、それらのいくつかは農産物の貯蔵庫やガラクタの物置に使われていた。「横穴墓」ではないらしいが、怪しい。私には横穴墓に見える。
D二宮町の横穴墓群
二宮町には、その周辺の丘陵部に大規模な横穴群がいくつかあったというが、開発で消失したものも多いという。緑が丘の「大日ヶ窪横穴墓群」がその一例だろう。それでも「八重久保横穴墓群(釜野横穴古墳群)」、町民運動場横の「倉上横穴群」(ただし、駐車場の造成に伴い、一部の入り口が封鎖されている)、「古屋敷横穴群」などがまだ現存しているし、山西や川匂地区には、道筋に単独で口を開いている横穴も見られたから、なかなか興味深い地域だ。
E鎌倉の横穴墓群
鎌倉では横穴墓を「やぐら」という。それは、崖を背にした古いお寺の墓地に行けば、ここかしこに見られる。それらは中世の鎌倉時代に作られたもののようだが、古代に造られたものも含んでいないだろうか。数カ月前、私は仏像見物のために鎌倉を訪れ(仏像研究家の講師に先導された団体旅行)、ついでに見て回った程度なので、それを立証するためにはよく調べる必要がある。
その他、藤沢周辺にも横穴墓群があるし、最近、わが市(秦野)にも横穴墓群があることを知った。
こうしてみると、相模湾の海岸線沿いに、大きな開口をもつ横穴を墓制としていた人々が多く住んでいたということが言えそうなのだが、他の地域はどうだろうか。
プールと虫たちの風景