体育会系のいじめ方                                        岡森利幸   2012/7/7

                                                                 

以下は、新聞記事の引用・要約。

読売新聞朝刊2012/5/11解説面・「悪癖と伝統」平野達雄

高校時代、ラグビー部の練習中に、新入生相手に強めのパスを出したことがある。「俺は先輩。こんなにうまいんだ」――を見せつけたかった。案の定、相手はボールをぽろり。「ちゃんと捕れよ」とどなった途端、監督から雷を落とされた。「パスは捕りやすいボールを出してこそ。いまのはいじめじゃないのか!」

(ある大学での飲酒事件について――略)

上下関係が重視される体育会。それが、暴力や強要という悪癖が「慣習」や「伝統」に変わることがある。でも本当に強い部は、先輩が率先してトイレ掃除や後片付けをする良き伝統があり、行き過ぎた指導には、ブレーキをかける者がいる。その姿を見て下級生も成長する。

何より上級生だと誇示するため酒を飲ませるなんて古くさい。もちろん、20年以上前、新入生に強いパスを出した自分も勘違いをしていたのだと改めて思った。

ラグビーは、体を鍛えるだけでなく精神面を強くする効果があるようだ。社会に出て、ラグビーとは別の道に進んでも、各方面で活躍している人は多い。私個人はラグビーになじめなかったけれど……。

多くの者が、指導される立場から、指導する立場に変わる経験をするだろう。指導されるのは簡単だ。上位者から言われた通りにやっていればいい。しかし、指導する立場になるには、それなりの自覚と力量がなければならない。それなりの自覚とは、プライドだ。

「オレはテメーら下級生たちより、うまくやれるのだし、よく知っているのだ」という優越意識を持つことだ。優越意識は指導者としての自覚に等しい。それは、階級を上げるにつれて、人々がほとんど本能的にいだく意識だ。ただし、実力が伴っていなければ、高慢なだけとなる。部活動や職場などでの一年の差が先輩と後輩の関係になり、歴然と現れる。それがないと、文化的な伝統は継承されないのだ。

私は、平野達雄さんが新入生に強いパスを出したことが勘違いだったとは思わない。そういう意識が、新入生を指導するモチベーションになり、指導者として成長するきっかけになるものだろう。練習のときに未熟な者を叱咤(しった)罵倒(ばとう)するのも体育会系の叱り方だろう。新入生を上級生が罵倒し、その上級生を監督が罵倒する関係にある。それは、「指導された記憶」としていつまでも憶えていたとしても、「根に持つ」ようなものではないはずだ。

 

 

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