神社とプロペラ                                           岡森利幸   2012/6/1

                                                                   R0-2012/5/31

もう30年以上前のこと、子どもが生まれて百日たったときのお宮参りで、地元鎮守の上秦野神社(神奈川県秦野市)でお払いをしてもらったとき、その拝殿の中を見回すと、天井近くの壁にはいくつかの絵馬が掲げられていた。その中に並んで、木製の大きなプロペラに私の目が止まった。神社の中に旧式の飛行機のプロペラがあることに、私は場違い的な奇異感を持った。2メートルほどの大きさで、黒光りした一品だった。おそらくそれは第一次世界大戦のころ作られた複葉機の実物プロペラだろう。ざっと100年前のものになる。旧式木製プロペラにどれだけ価値があるものかは知らないが、博物館で展示するぐらいの学術的価値しかないだろう。これだけ大きいと、置き場所にも困るのかもしれない。そのとき私は、お払いを終えた年配の宮司さんに一言質問し、「その昔、地元の人が奉納したもの」という説明をしてもらった記憶をもっている。秦野の地が飛行機と縁があるとは思えなかったから、頭の隅に、なぜ奉納したのだろうかという疑問を抱き続けていた。

今年五月のある晴れた日、私は団体旅行で小田原市の根府川に近い佐奈田霊社をたまたま訪れた。歴史に詳しい人に案内されるまま、平家と源氏が覇権を競った時代の史跡を見て回る旅の一環だった。その近くの石橋山は、1180年、源頼朝が大庭景親に敗れた所だという(石垣山城址とは別)。その社殿の一つの軒下に、プロペラが掲げられていたことに、少々驚いた。それは室外に置かれていたためか、かなり朽ちた感じ(率直に言えば、薄汚い)の二枚葉プロペラだった。プロペラを奉納するような奇特な人は上秦野神社だけではなく、この小田原の地にもいたのだ。つまり、神社とプロペラという組み合わせは、珍しいものではないことに驚かされた。

     

    佐奈田霊社の軒下で

ネット検索で調べてみると、プロペラが奉納された神社は全国的に散らばっていることがわかる。それは軍用機のものも多くあり、ある神社では、敗戦のときに進駐軍に見つかるのを恐れ、倉庫に隠していたという逸話もあった。

そんな神社の一つ、奈良県大和郡山市矢田町にある矢田坐久志(やたにますくし)玉比古神社(たまひこじんじゃ)でも、プロペラが奉納され、楼門屋根裏から吊されている。この神社の祭神である櫛玉饒速日命(にぎはやひのみこと)天磐船(あまのいわふね)に乗って空を飛んだという故事により航空祖神として崇められ、毎年920日に航空祭が行われるという。なるほど、神社は天孫降臨の伝説に関わり、空に神々がいるという信仰から、人々は飛行機の象徴的な部品であるプロペラを奉納したのだろう。

多くのプロペラが全国の神社に奉納されていることから、大正や昭和初期において、プロペラ奉納ブームが全国的にあったと推察される。単に神話にちなんでというより、若い航空兵の親族の方々が、その武運長久を祈って奉納したとも考えられる。当時の航空兵の死亡率は相当に高かったから、神に祈るしかなかったのだろう。なるべく高い位置にプロペラを掲げ、落ちないように願いをこめて……。

 

 

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         空中庭園の風景