三度ぶつけられた車 岡森利幸 2011/9/28
私の車が約一カ月の間に三度もぶつけられたので、その報告をしてみたいと思う。
@前のバンパーの側面がこすられた
車をそこに駐車したとき、かすかにその予感があった。その公共施設は住宅が建て込んだ街の中にあり、敷地が狭い。利用者の数に比べて、駐車場が狭く、その台数が限られている。狭い敷地にできるだけ多くの車を止めようとするものだから、一台あたりのスペースも狭い。私は隣り合う車との間隔に注意しながら停めたつもりだったが、それでも、右隣の大きめの黒いワンボックスカーとの間隔に余裕がなかった。
「その車は発進するとき、我が車に神経を使うかもしれないな。でも、仕方ない、お互い様だ」などと思いながら、施設の中に入った。しばし過ごした後、出ようとしたとき、右隣の車はなく、気になってバンパーの右を見たら、はっきりと「こすられた跡」が上下に数箇所残っていた! バンパーの塗料がはがれたカスを手で払って落とすと、多少傷が見えにくくなるが、それは消えることはなかった。
私は憤懣やるかたなく、施設の職員の人にその事実を訴えた。「明らかにぶつかったのだから、ぶつけられた側に一言でも謝るのが普通でしょう。私がこの中にいるのだから、呼び出せるはずだった。これでは当て逃げだ」
その職員は、何ともしようがないという、なだめるような言葉しか返さなかった。「この駐車場を管理する立場なのだから、こういう事故が起きたことだけでも記録しておいてほしい」と言い残して、私は去った。たぶん、職員はすぐに忘れてしまうだろうけど……。
Aバックドアが全損した
その日、妻が遠距離のお墓参りに行きたいというので、車を貸した。彼女は専用の軽自動車を持っているが、高速道を走るには車が不安定すぎるというのだ。現在無職の息子を運転手にして、その帰りの出来事だったという。コンビニ店に寄って、その駐車場からバックで出ようとしたとき、コンビニの看板の角に車の後ろをぶつけたのだ。息子は看板の柱が立つ地面を見ていたが、空中に張り出した看板を見落としたというのだ。その空中の看板が、ハンドルを切ってバックする車のバックドアの真ん中、上方を直撃した。強化ガラスが粉砕され、ドアのフレームとともに、ドアに取り付けられていたブレーキランプがケースごと破壊された。その瞬間、すごい音がしたという。コンビニの看板にも衝突の跡が少し残ったから、警察を呼んで、事故処理をしたという。
事故の状況を聞きだしてから、私は、謝る息子に、「こんど運転するときは、後ろをよく見てバックすればいい」と言うしかなかった。
次の日、行きつけのディーラー店に車を持ち込もうとしたが、その日は定休日だったので、私はホームセンターに行き、半透明のアクリル板を購入し、後ろのガラスの代わりに貼り付け、応急処置した。が、あいにく、その夜は台風15号が来襲したときで、雨風が、窓の横幅よりやや短めだったアクリル板のすきまから車内に入ってしまった。後ろの座席の下に雨がしみこみ、生臭い匂いも染み付いてしまった。それを消し取るにも、一手間かかった。
街中で、バックドアが全壊した車を走らせるのも、きまりが悪いものだった。周囲が好奇の目で見ているかのようだった。車の騒音も車内に入る。特に後ろにいる車のエンジン音が直接耳によく入る。
あくる日の朝一番で車を持ち込んで修理の見積もりをしてもらったが、正規の交換部品を取り寄せて正式に修理するとなると、20万以上かかるという見積書を出されたときには、「目をむく」思いだった。最初に車の前で、対応してくれた人が、「中古があれば……」と言ったとき、私はそれに飛びつくように、「中古でもいい」と答えていたが、これでは修理に出す気になれない。その対応者は「それでは中古で検討してみましょう」ということになり、改めて中古部品の場合の見積書を作ってもらった。たまたま廃車になる同型の車が関係先にあり、そこから部品を取ってくるという(大手自動車メーカーのディーラーならではのサービス?)。その見積書の金額は、私を十分満足させるものだった。あとで詳細を良く見ると、破砕したガラスの清掃費が7000円以上も計上されているので、私は対応者に「高い」と言って値引きの圧力をかけた。結局、修理完了した日に金額の端数を減じてもらい、私は修理費4万円を払った。車を引き渡されたとき、ほぼ元通りに修理されたのを見て、ほっとした。
実は、車の保険で車両補償を契約していれば、交通事故による車両の物損に関しての修理費の大半は保険会社に払ってもらえることになるのだが、私は車両のオプションを契約していない。そのオプションをつけると、保険料がかなり高くなるのだし、「自分の事故で車を壊したなら、その修理費ぐらいは自分で持つ」という矜持のようなもの(ささやかな自己責任意識)を抱いているのだ。
B後ろのパンパーがぶつけられた
その駐車場は広い。20台ほどの車が横に並らぶための白線で仕切られた区画の列が、5〜6本の通路を挟むようにそれぞれ面するようになっており、全部で200台ほどの駐車が可能だ。大きなステージを二つ備えた文化施設と独立した建屋の図書館の共用駐車場になっている。私は、駐車場がすいている時には、だいたい、街路樹風に木が植えられた植え込みの隣に位置する区画を選んで車を停めている。晴れた日にその木陰が、直射日光を防いでくれるのだ。ただし、この間の台風のとき、木が倒れる恐れがあるから、車を移動してくれと言われてしまった。
その夕方、私は、道を隔てた隣の公園エリアでランニングをしてから、車の近くに戻ってきていた。文化施設の敷地内にはいくつかのベンチがあり、その一つに座って汗が引くのを待っていた。振り向けば駐車場が広がっている。私の車は、いつものように手前の木の陰に、後ろを向いて停まっていた。その前方に別の車が止められており、縦列状態になっていたから、駐車場内の通路にバックして出る必要があった。その通路を挟んで、駐車スペースが同じように区切られており、ちょうど私の車の後ろの延長線上に黒いワゴン車が、やはり尻を向けて停められていた。そこは障害者用の区画だから、普段はめったに停められていない。通路を挟んで、互いに尻を向け合っている状態だった。その通路の中央に、文化施設での催しの帰り客らしい女性たちの一団がたむろしていて、車をバックさせるには、どいてもらわなければいけなかったので、私は少し待つことにした。案の定、数分して、彼女たちは車に乗り込んだらしく、姿が見えなくなった。私が駐車場を見ている間に、対向していた黒いワゴン車がバックして通路に出てきた。車は通路の向こう側に走り出ようとして、右回りにバックしてきた。その車の後ろが、わが車のバックに異常接近した。さらに近づいて、「コツン」。バンパー同士が当たってしまった!
確かに音が聞こえた。ぶつかったのだ。その車はハンドルを戻して前進した。そして一瞬止まったかのように見え、当たった部分を確認するために運転手が車を降りてくるのか、と私は思ったが、何と、その黒い車は、そのまま走り出し通路の向こうへ行ってしまった!
私は地団駄を踏むしかなかった。私の車のバンパーには、また新たな傷ができた。バンパーには弾力があって、形が戻るにしても、塗装がはがれるなど、少しは傷付くのだ。
たぶん、運転の下手な「女性」が運転していたのだろうと思った。私が抱いている「多くの女性は車の運転が下手である」という思い込みをさらに強くしてしまった。車には5〜6人の女性たちも乗り込んでいたはずなのに、全員が当て逃げを「ほう助」したことになる。ついでに言えば、@の公共施設も、主に女性が運転してくる施設なのだ。
この車は新車ではないにしろ、いくつかの利点があって私の自慢の車でもあるから、一連の事故によって、私の感情が穏やかならざる状態になったことは確かである。でも、世の中には、運転の下手な人がいるもので、また、迷惑な運転をする人もいる。乱暴な運転者だけでなく、信号が青になってもなかなか走り出さない人や、車間距離を必要以上に開けている人も迷惑な部類に入る。そんな人の運転にいちいち腹を立てていたのでは「身が持たないこと」でもある。車を運転するときは、特に感情を抑える必要があるということを強調したい。自分の車がぶつけられても平然としている人に、私はなりたい。
ガイ・フォークスが再来する夜