ガイ・フォークスが再来する夜 岡森利幸 2011/9/14
R1-2011/9/27
毎年、冬の到来が近いと感じられる10月31日の夜はハロウィーンだ。ハロウィーンでは、かぼちゃのお化けが出てきたりして、薄気味の悪い行事だ。小さな魔女たちが出てきて、町をうろついたりする。最近、日本でも見られる光景だ。そんな子どもたちはビニール製のような黒いマントをつけ、三角の帽子をかぶり、めがねのような仮面をつけたりして、けっこうきらびやかな服装をしているから、すぐにそれとわかる。日本では、親が同伴してどこかの家に集合してパーティでもするのだろうけど、本場のアメリカでは、ハロウィーンの夜ともなると、複数の子どもたちが他人の家に押しかけてキャンディーなどをねだって回るらしい。「いたずらされたくないなら、もてなせ」(Trick or treat!)と言い、大人たちに二者択一を迫ってキャンディーを脅し取るのだ。この行事は、古代ケルト人の厄払いの風習から来ているという。超自然の力を畏怖しながらも、それに扮した子どもたちは、楽しいらしい。
しかしながら、ハロウィーンはイギリスではあまり盛んでないという。その代わりをなすかのように、その5日後の、11月5日の夜にガイ・フォークスの行事がある。イギリスの節日の一つとして、広く行われているという。ハロウィーンにしても奇妙な行事だが、それに輪をかけて奇妙なのが、この風習だ。
ガイ・フォークスとは、1605年11月5日にイングランド国王ジェームズ1世を、議会もろとも爆破して暗殺しようとした一味の首謀者の名前なのだ。火薬陰謀事件という。その策謀が事前に発覚してガイ・フォークス(1570‐1606)は翌年処刑されている。ジェームズ1世(1566〜1625)は英国国教会(アングリカンチャーチ)を国教として定め、それ以外の宗派を弾圧することを推し進めた。とくにカトリックを弾圧したので、それに不満を持ったガイ・フォークスらが国王を亡き者にしようと、議会の地下に火薬を仕掛けたのだ。その時代のイギリスでは、ローマ法王と対立したり、各地域でのプロテスタントやピューリタンの台頭があったりして、宗教対立が激しかった。宗教対立が政治に及ぼした影響も大きかった。その後もジェームズ1世は、議会とも衝突しながら、宗教対立にからんで諸外国との関係を悪化させるなど、独断で専制的な政治を行なったから、暗殺をまぬかれたことが、イギリスの歴史上よかったことなのかどうかはわからない……。
その謀反人のガイ・フォークスにちなんでイギリスでは、11月5日が祭日となっている。子どもたちは、「ガイのために1ペニーをくれ」(A penny for the guy)と言って通行人などにねだったりして資金を集め、ガイ・フォークスの人形を作ったりする。その夜に焚き火をして、町中を引き回したガイ・フォークスの人形をその中に投じて燃やす。今では、それとともに花火を打ち上げたりしてハデにやっているという。これも一種の「悪魔っ払い」の行事ようだ。
報道写真を見ると、ガイ・フォークスの仮面がなんとも不気味である。あごの尖った、にんまりと笑ったような表情が、おぞましさをよく出している。
「先の計画は失敗したが、今度はうまくやってやる」と言いたげである。中世において建屋を爆破するためには、相当量の火薬を数人で運び入れる必要があったはずで、どうしても人目についてしまうから、失敗したのだろうが、今なら、一人が服の中に隠し持ち、身につけられるだけの量の高性能な火薬を用意するだけで十分だ。
その仮面は、実際の彼の表情を写したものではなく、中世から現代まで400年の時を経てイギリスの人々が陰謀者をイメージして作り上げて来た虚像だろう。それにしても、現代にも人々にその記憶が引き継がれていることは、彼はイギリス王室だけでなく、イギリス中を震え上がらせた、稀代のテロリストだったわけだ。
The Japan Times 2011/9/14の掲載写真を引用
映画評「ナッシュビル」