岡森利幸 2012/4/20
衣服を長いこと着ていると、ところどころ破れたり、穴が開いたりボタンが取れたりして傷んでくる。新しいものに買い換えればいいのかもしれない。でも、すぐに捨てるのは私の性分に合わないのだ。普段着なら、修理して長持ちさせたい。そこで、たいていの破れは、自分で針仕事をして直すことにしている。ひそかにシャツや帽子までも直している。
針仕事はめんどうだという気分が、ほんの少しわきおこるけれど、自分でやってしまう。いまどき、衣服を穴のあくまで何年も着ている人は珍しいかもしれない。恥ずかしい気分もほんの少し入り混じりながら、釣り用の丈夫な糸を針に通し、破れた衣服を縫いつくろう。衣服が破れると、着る時に手足の先が引っかかったりして着にくくなるし、その穴がどんどん大きく広がるから、早い段階で修理しないといけない。一時期、若者の間で流行ったように、破れたままの(あるいは、わざと破いた)ジーンズをはいているような趣味は、私にはない。
最近、白いコットンの靴下を履いているものだから、よく破れる。(販売する側は、破れないような靴下では商売にならないらしい。) 私の場合、かかとの後ろの部分が集中して穴があく。かかとの後ろと靴の内側がすれ合って、よく穴があいてしまうのだ。理由はよくわからないが、靴のはき方がよくないのかもしれない。さすがに、靴下の穴を修理してはく人は、私ぐらいのものだろう。縫いつくろった靴下を履くとき恥ずかしさをほんの少し感じるものの、靴をはいてしまえば、そんなことは誰にも気づかれることがないのだ。
靴下の穴を修理すると、また当分の間はけるようになるので、経済的だ。すぐに買う必要がないことがうれしい。修理することに、実益が伴うのだ。でも、再度穴があけば、あきらめて捨てることにしている。捨てるにしても、その片方だけだ。もう一つの方は、別のものとペアにすればいい。同じタイプの白いコットンの靴下を複数持っているから、組み合わせが可能だ。
針仕事など、特に男の場合、したことがないという人がいるかもしれない。でも、誰でもその昔、小学校で「家庭科」の授業で習っていたから、できるはずだろう。針と糸があればできるので、難しくはない。針先を見ながら縫っていけば、雑念を忘れるから、ちょっとした息抜きにもなる。そういえば、学校でミシンの操作を習ったこともある。家にあった足踏み式のミシンに興味を憶え、おもちゃで遊ぶように動かしたりした……。
ともかく、それが自分の特技の一つだ、などと言って自慢する気はないのだが、こうして書いているのは一つの自慢話かもしれない。
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