生き物と演劇と通学

岡森利幸 2010/10/9

 

@ 小さな生き物観察

 

8月半ばのある朝、強い日射しが照りつける中、いつものように重いバッグを手に下げて私は公園のわきの階段を上がっていく。車を停めてある駐車場のところに行くためには、公園のわきを通って行くのがいちばん近道なのだ。頭上の木立の間からセミの声がかまびすしい。鳴くのはオスのセミだそうだ。

足元を見ると、このコンクリートの階段や公園のわき道の舗装された表面に、多くのアリたちが忙しそうにはい回っている。大小、数種類のアリが入り交じってそれぞれ一心不乱にエサをさがし回っている。私はそれを踏みつぶさないように足の踏み場所に注意して歩を進めていくのだが、意に反して踏みつぶしたとしても、気がつかないことにしよう。おそらくアリたちもエサを探すことに熱心で私の存在には気づかないのだろう。

雑木林に隣接する月極め駐車場に入っていくと、砂利をまいた地面に大きなカブトムシのなきがらを見つけた。その周りには無数のアリがたかっている。ツノはないから、メスだ。卵を産み終えたあとで力尽きたものだろうか。そうであればいいが……と思った。

やがて目的の図書館に着くと、テーブルを確保し、椅子に座った。その椅子のかたわらに、ほこりのかたまりのようなものに目が留まった。タイルカーペットの床材の上にそれが落ちていた。自分の周囲にほこりやごみがあれば、そっと拾ってゴミ箱に持っていく習性のある私は、後で紙くずと一緒に片付けるつもりで、何気なく指でつまんだ。いつも図書館を利用させてもらっているお礼の意味もこめて……。眼に近づけて見ると、それには手足がついていた。

その奇妙な生き物は、生きてはいなかったが、爬虫類であることが一目でわかった。おそるおそるメモ用紙の上において観察すると、長さ4センチにも満たない、小さな幼体で、黒いケシ粒のような二つの目がついた頭部は踏まれたようにつぶれ(私が踏んでしまった?)内出血を起こしているらしく、赤いものが透けて見えた。私がペンケースの中に入れて常時持ち歩いている虫メガネを取り出してさらによく観察した。尻尾の先が切れ、体全体がやせていて、ほとんど干からびていた。背中の灰色の皮膚にはヤモリ的な模様があり、手足の指が吸盤のようにも見えるから、トカゲではなく、ほぼまちがいなくヤモリだろう。ヤモリとは珍しい。私にとって、二十年ほど前に東京の片隅で見かけて以来のことだ。このヤモリは、図書館の部屋の中に迷い込んで、砂漠のような不毛の空間をさまよい、エサにありつけず餓死したのだろう。爬虫類の場合、子は親にエサの取り方など何も教えてもらえないから、常に自分で冒険の世界に踏み出さなくてはならない。私が踏みつけて死んだのではないと思いたかった。

まだ親のヤモリが図書館の近くに生息しているのだろうか、それとも卵を産んでから、その子に命を託して死んでしまったのか、という思いを切り上げて、そのなきがらをメモ用紙にくるむと、立ち上がってゴミ箱が置いてあるところへ歩いていき、それをポイと捨てた。

 

A 小さな演劇観賞

 

きっかけは数年前、私がときたま図書館を利用している某大学構内の通路で、学生たちに交じって歩いていたとき、ビラ配りしていた若い人から一枚のビラをもらったことだった。

学生たちに配るべきビラだろうから、私のような若くない、得体の知れない男にビラを渡すのは、何かの間違いだろうと思いながら、それを読むと、やはりこの大学の演劇研究会が下北沢の小劇場で上演するという宣伝のビラだった。「愛とか恋とかそんなの一瞬だけど」という題目だった。どんな劇が上演されるのか、と少々興味を持った。いつもは電車で素通りしていた下北沢の街にも少々興味があったから、東京へ行ったついでにのぞいてみようと思った。本当の学生でない私が演劇研究会の劇を見ていいのかという疑念が頭をよぎったが、私にビラをくれたことは、私のようなものでも見に来ていいということだろう……。

当日、都合により一時間ほど下北沢の街をうろうろしたり食事したりして時間をつぶしてから小さな劇場に向かった。うろうろすることで若者の街、下北沢を見て回るという目的も果たせた。何の変哲もないビルの3階にその劇場があった。ドアの内側に係りの人がいて暗幕をめくってくれた。案内されるまま入ると、中は、長イスで雛段状に設えられた50席ほどの観客席と、写真の撮影スタジオのようなフロアに舞台があった。ここは普段、演劇だけでなく多目的に使われている空間なのだろう。観客たちは肩を寄せ合って見下ろすように観ることになる。

この演劇が、なかなかよかった。若い人たちがそれぞれの役に似合った衣装を身にまとい、それぞれの役になりきって、大きな声を出し、約一時間に渡って、おおげさな演技を繰り広げていた。目の前で、狭いながらも立体的な空間で、背景のセットや音響や照明の効果も加わり、迫真の演技が展開されるのだから、私にとってそれは一つのカルチャーショックだった。それぞれ適役の人たちをよく揃えたものだと感心させられた。

それから、年に一、二度のペースで横浜や東京の小劇場に足を運んだ。大学の演劇部の公演があると知れば、某大学だけでなく他の大学関係の演劇も観た。行けば、他の演劇予告のパンフレットがもらえるから、それにつられて、このところ私の行く回数が増えた。

東京・北区で、王子駅そばの総合文化施設で彫刻展を観るついでに演劇を観る機会があった。北区は私が育ったところでもある。そこでプロの演劇集団、「北区つかこうへい劇団」の公演があって、入場料千円の割安キャンペーン中とのことにも誘われ、私は二週続けて観に行った。続けて観ると、さらに割引されるのだが、一週目がよかったから、次の演目も観る気になったのだ。会場の規模や舞台の造りにおいては学生たちの演劇のそれとさほどの違いはなかったが、さすがにプロの演技はすごかった。ツバとアセとナミダが飛び散るようだった。ストーリー展開も意外な方向へ走っていく…。これを見てしまうと、学生たちの演技はやや見劣りしてしまう。

私がその劇を見て数日後、つかこうへい死去のニュースが新聞やテレビで流されて、私は動揺させられた。彼は私にとって郷土の同輩のように思えていたから(単に学年が同じだっただけ)。彼が病気であることは知っていたが……。

なお、学生たちの演劇では入場無料をうたっていることがある。原則的にはタダで入れてもらえるのだが、気持ちとしていくらかカンパするのが「思いやり」のようだ。それを無料カンパ制というらしい。学生たちは自分たちの乏しいポケットの中から金を出し合い、衣装や大道具・小道具を買いそろえ、場所を借りるための賃料など相当額を払って上演しているのだから、社会人の私がタダで観てはいけなかった……と某大学の演劇を観たあとで思った。

中には、それぞれの座席にパンフレット類とともに茶封筒が置かれていて、終って出るときに、アンケート用紙に記入すると共に、それにお金を入れて係りの人に渡すシステムになっていた。私など最初は、何のための茶封筒か、わからなかった。演劇の評価をカンパの額で表わすことになる。茶封筒に入れることで、個人的な「評価額」が周囲に気づかれないようにしているのだろう。ともあれ、社会人は「思いやり」を加算しよう。

 

 

B 通学途中の風景

 

会社を早期退職した私だから、学生ではない。学生ではないのに通学とはおかしいかもしれないが、9月の中旬のこの時期、毎年のように三日間、某大学に通って公開講座の講義を聴きに行っているので、気分は通学だ。けれど、頭の片隅で〈本来は通勤をしなければいけないところだ〉という思いを引きずっている。

東名高速バスを利用して行く。我が家から徒歩15分で東名高速のバス停に行く。バスに乗ってから、順調なときで約三十分後に東名江田で降りる。そこから約25分歩くと、某大学の教室にたどり着く。一本のバスに乗るだけで、目的地に行けるわけだ。ただし、東名高速道路はよく渋滞し、バスが時間通りに運行しないことが多いので、やきもきさせられる。今年(2010年)は9月18日から20日までの、土、日、月(祝日)と続く三日間で、ちょうど世の中は行楽日和だったので、行きも帰りも渋滞し、遅れがちの運行だった。それは「想定」の範囲内だったけれど、帰りには疲労感をおぼえずにはいられなかった。

東名高速バスの発着時刻については、以前(数年前)の時刻表パンフレットを持っていて知っていたが、念のため事前に調べたところ、以前とは異なっていた。油断がならないところだ。バスが少し遅れても講義に間に合うように余裕をもって出発した。

講座の時間は9時30分から12時20分までだった。大して面白くもなさそうな講座が一日2講座、3日で合計6講座ある。私は結局全部聴いた。それぞれ個性的な教授たちの話は、時には終了時間を過ぎても話し続けるほど熱心で、それなりに新鮮で興味深かったし、ためになったような気がする。

ただ、一つの講座は数年前の講座と内容がまったくいっしょだった。その教授は、高齢な聴講者たちが多いから、数年前のことなど忘れてしまっているだろうと思ったらしい。それとも、評判がよかったのでアンコールのつもりで再講義したのかもしれない。確かに、昔なつかしいアメリカ・ポピュラー音楽の歌詞の深い意味を解説した講義はよかった。たとえば、アメリカでは、翌日処刑される死刑囚の気持ちまで歌にしてしまうのだ(The Green, Green Grass of Home)。眼が覚める思いがした。しかし、いくら評判がよかったとしても、同じ場所で同じ講義内容では、足を運んだ意味がない。

二日目の朝のこと、東名江田で降りて、新興住宅の多い地域を通り、緩やかな上り下りのある道や、迂回するように曲りくねった道を歩いてゆく。せかせか歩いたら汗だくになってしまう陽気の中だった。ときたま古めかしい家屋を見かける。

道路がななめに交差する信号のところに差し掛かった。向こうの道路の角に、黒い中型車が停まっていた。そんなところに停まっているのはおかしい、何かある、と直感した。車の陰になってよく見えなかったものが、私が歩くにつれて明らかになってきた。それが横たわった男の体だったことがはっきり見えた。やや体格のいい男が横断歩道マークの手前の歩道の上に仰向けに横たわり、一枚しか着ていない白いTシャツが半分めくりあがっているため、腹の一部を見せている。〈動かない、呼吸もしていないようだ。とすると……〉と一瞬思ったが、首が弱々しく左右にゆれた。

「まだ生きている!」

その車から降りたらしい男女がそばにいて、一人が電話をしていた。どちらかが運転していたのだろう。おそらく、警察か消防署に連絡しているのだろう。あるいは、保険会社か。

交差点で横断しようとした歩行者を、左折しようとした車がはねた事故だろう、と私は思った。事故直後の状況と思われた。横たわった男は血を出してはいなかったし、車の前部にぶつけたような跡は見えなかったから、たいした事故ではないのだろう。男が仰向けに倒れたままなのは気がかりだが、いずれにしても私がでしゃばる幕ではないと判断し、すたすたとその場を去った。〈死んでしまったのなら放って置いてもいいだろうけど、まだ生きているのなら助けなければいけなかったかな〉などと考えながら……。

しばらく行くと、道路わきに小さな庚申塚がある。小さな祠の中に、高さ1メートルほどの石に彫り出された青面金剛らしいレリーフ像が納められている。その前に対面して一人の老婆がしゃがんで祈る姿があった。昨朝も同じ光景があった。青面金剛は、老婆には交通事故のような厄災から守るのだろうか。

大学に近づくと、ほとんど芝生で覆われた野球グランドが右手にあって、フェンス越しに見渡せる。学期前の休みの期間にもかかわらず、50人ほどの野球部員が、揃いの赤のシャツと白いトレーニングパンツ姿で、掛け声高く練習にいそしんでいた。これも昨日と同じ風景だ。彼らは背格好もほとんど同じで、まるで50人の双生児を見ているようだ。背番号をつけていないから、全く見分がつかない若者たちが、同じ練習をそろってやっている。どんぐりの背比べのような部員の中から監督がレギュラー選手を選ぶのは難しいだろうなと、余計な心配をしてしまった。

さて30分近く歩いて、汗ばんだ私は、キャンパス内の休憩所で、自動販売機で飲物を買って飲んでから教室に行くことにした。

 

 

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 裁判員たちの同情――「評議