裁判員たちの同情――「評議」                                                          岡森利幸2006.4.1

 

これは、2009年から導入される裁判員制度の広報用映画である。3人の裁判官といっしょに、抽選で選ばれた6人の一般人が刑事裁判を進めていく具体例を示している。その6人は、3日間それぞれ普段の仕事や生活から離れて、裁判に立会い、被告人の罪を判断し、刑罰の軽重を決めることになる。これは責任の重い役目だ。法律も知らず、常識も知らないような人でも、抽選で選ばれたら、裁判官といっしょに裁判に大きく関ることの正当性や必要性に関して、私は以前からの疑問を捨て去ることはできなかった。

本人の希望に関係なく、ランダムな抽選で選ばれる。そして選ばれたら、原則的に辞退することは許されないという強制的な制度であることも、大きな問題点だ。個人の自由意志を政府が統制するような制度だ。自分は他人を裁判するがらではない、あるいは仕事が忙しいから、などという辞退の理由は一切認められない。せめて希望者の中から選ばないと、国民の間で不平不満の声が高まってくるだろう。そもそも、裁判官になった人たちは自ら希望し、資格を得ることに努力し、難しい司法試験に合格した結果、裁判官として認められたのであって、希望もせず、法律や条例の知識もなく、ろくな資格もない人たちが裁判官と同等のような役目の裁判員になってしまうのは、奇妙な制度である。映画では、言い訳のように、「日本にも導入される制度だ」と解説している。つまり、他の国がやっているからというのが、導入の一番の理由らしい。

さて、ここで取り扱われる刑事事件は、三角関係のもつれから起きたとする架空のケースだ。高校時代からの同級生だった二人の男が、1人の女をめぐって刃物による傷害沙汰になった。その同級生の1人は、高校時代から野球部のキャプテンをやるようなスポーツマンで、大学を卒業し、一流会社に勤めている、背の高い男だ。もう一人は、比較的背も低く、体力の無さそうな、町工場で働いている、いわゆる社会的地位の低い男だ。「低い男」が「高い男」の背中をナイフで刺した。

その低い男は、美しい女と同棲生活をしていた。その美人に、高い男が言い寄った。女は不安定な同棲生活の不満から誘いに乗り、一度関係を結んだ。さらに高い男は、女の家、つまり同級生だった男と同棲しているアパートにまで押しかけて言い寄っているところに、ちょうど低い男が帰ってきたことで事件が起きる。よくできた設定がされている。

女がいたたまれなくなって、家を飛び出したあと、高い男が「女を取り戻したかったら、力ずくで取り戻してみろ」などと、低い男に挑発的に言い放って、後を追った。そして低い男は、テーブルの上にあった果物ナイフを持って追いかけた。低い男は、高い男に追いつき、その腕に絡んだとき、左手に用意していたナイフが、高い男のひじを傷つけた。このとき、血がにじみ出たことに両者は気付いた。高い男は、低い男を殴り倒した。低い男は倒されて立ち上がってから、果物ナイフを利き腕の右手に持ち替え、背を向けて女に近づこうと歩き出していた高い男の背をめがけて、それを突き立てた。刃渡り10センチのナイフのうち、6センチが高い男の右の背に刺し込まれた。高い男はその場にうずくまってしまった。高い男をやっつける目的を達成した低い男は、ここで事の重大さに気付き、止血のための処置をしたり、救急車を呼んだりした。当然、警察も来る。

私の見解を補足すると、最初にナイフでひじを傷つけたのは、『はずみ』だったかもしれないが、背中を刺したのが問題だ。うずくまるほどだから、切っ先が肺にまで達したのだろう。法廷で、低い男は、殴り倒されたとき、非常に惨めに感じ、かつ悔しい思いをしたと告白した。「朝倉、待て」と叫んでところ、高い男が急に立ち止まったから、右手に持ち替えていた『ナイフが刺さった』のだと言い訳をしたが、目撃者がいて、「朝倉、待て」などという叫びは聞こえなかったという。つまり、被告の証言はうそだったことがわかってくる。

高い男が低い男を殴り倒したのは暴力的だが、低い男に後ろからつかまれ、ひじをナイフで切られたからであって、正当防衛とみなすべきだろうし、体力勝負の結果でもあろう。高い男は全治一カ月の重傷を負ったが、その後、低い男は高い男に謝罪したり補償したりして民事的には解決しているという。女をめぐっては、高い男は、「(女がどちら側につくか)女が決めることだ」といって、女に執着しないそぶり(自信の表れ)を見せる。女がどちら側につくか離れるかは、映画(ドラマ)を見ている観客には、興味がわくところだろう。

さて、このケースで、あなたならば、どう裁決するだろうか?

有罪であることは確かだが、被告に殺意があったかどうかが、評議の第1のポイントになる。殺意があったと判定されたら、殺人未遂罪が成立して、刑が重くなる。殺意がなかったとするならば、傷害罪だけだ。第2のポイントは、量刑だ。刑期を決めるのだ。執行猶予を付けるか否かも決めなければならない。

裁判官と裁判員9人それぞれ意見が分かれるところだろう。この映画の評議では、結局、意見の全員一致を見ることになるが、実際の場合、そう、うまく行くかどうかは疑問だ。

私は、被告は攻撃のための武器として刃物を持ち出したのであって、このとき凶暴で卑怯な行動に走ったと考える。殴り倒されて、体力では、とてもかなわないと思って、ナイフを握りしめたのだろう。一刺しで相手がうずくまったから、それ以上の攻撃を加えなかったようだが、うずくまらなければ、何回も刺すことになったにちがいない。背中を向けた相手を襲うやり方も、ずるいやり方だ。そのずるさを隠そうとするためか、「朝倉、待て」と声をかけたとうそを言っている。急に立ち止まったから、ナイフが刺さったなどというのは、子供がするような「言い逃れ」だ。

被告は、正式な結婚もしないで――結婚の約束もしていなかったようだ――同棲しているのだから、他の男に寝とられても文句は言えないはずだ。高い男に対して、かなり卑屈になっているところも気になる。ねたましさと悔しさで事件を起こしてしまったなどと反省するようでは、情けない。同情にも値しないような、みじめな男だ。殺意がなかったかのように、うその証言をして罪を逃れようとしたことが、恥の上塗り的な二重の犯罪行為にも思える。誠実さにも欠けるところだ。

女に関しては、同棲相手の男が帰宅する時間なのに、浮気相手の男を家に入れたことがおかしな行動だ。故意に二人の男を対立させたのだろうかと、勘ぐられるところだ。事件を誘発した一番の原因は、二股をかけた女にあるのかもしれない。法廷では、「朝倉と関係をもちました。ずるずるとした関係を続けたくないから、一回だけでした」とはっきり言うくせに(それは低い男にとっては、充分ショッキングな発言だろう。回数の問題ではないだろう)、低い男がナイフで刺した状況については、記憶が定かでないというような煮え切らない証言を繰り返して、何を考えているのかわからないところがある。同棲することが、ずるずるとした関係であることに本人は気付いていないようだ。

結果としては、被告に対し、かなり寛容な判決が下された。裁判所では、思慮を欠いた感情的な行動(衝動的な犯罪)に対して甘く、思慮深い計画的な行動に対して厳しい判断が下されるようだ。感情的な行動は、同情されやすい。被告が初犯であったことや、事件が、高い男が横恋慕したことによる「内輪もめ」(*1)であることの、あるいは「けんか両成敗」的な配慮がなされたのかもしれない。しかし、私は低い男の卑怯なやり方と「言い逃れ」にもっと反省を促すべきだと思う。もしも、私がこのケースで裁判員をしたならば、8対1で評決されただろう。

映画を見ていて気づいたことは、事件の全体像や詳細な状況がなかなか見えてこないことだ。実際の裁判でも同様に、自白や証言には、うそやあいまいさがあるので、確実性を疑ってみる必要があるだろう。検事や弁護士が多くのことを明らかにしてくれるとしても、証言や証拠品から真実を自分で推測しなければならないので、刑事裁判の難しさをあらためて感じた。裁判員制度の導入によって、えん罪や誤審が減ればいいのだが……。理解不足の裁判員が足を引っ張って裁判を遅延させるぐらいの効果(あるいは逆効果)だろう。

 

企画・製作:最高裁判所、2006年

監督:伊藤寿浩

脚本:山口あさみ

主演:中村俊介、大河内奈々子

 

注 *1.日本では、家庭内暴力などは「内輪もめ」として社会的に放置される傾向があるようだ。

 

 

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