党議拘束をかける条件                                                                          岡森利幸   2006.4.19

R2-2006.5.16

反対派を押し切って、ある法案を国会に通すためには、その採択決議のとき、政党は、党議拘束をかけて党員の議員たちに賛成票を投じさせる。反対の党派も党議拘束をかけて対抗する。党員の数はそれぞれわかっているから、採択の帰結はおのずと明らかだろう。しかし、議員たちは、それで法律が作られ、あるいは変えられてしまうことに、十分納得しているのだろうか。「党議拘束をかけられているから、『右へ習い』で、その票を投じた」では、情けないほどつまらない理由ではないか。「国民の代表としての(こころざし)が低い」、と言わなければならない。

これが政党政治の一番危険なところだろう。それぞれの議員の考えを党議で縛るやり方は、民主的ではない。専制的である。権力をもった支配者が行うやり方に似ている。党の幹部や実力者だけの政治になってしまう。党議拘束をかけて、党全体を牛耳るような「指導力」は問題である。それが党全体の考えになってしまう。「指導力」をもった、一握りの人たちの考えで政治が振り回されてしまう。

昨年(2005年)から本年初頭まで女帝を認めるか否かで、かまびすしく論議されていた皇室典範の改正案で、国会に提出する際にそれを党議拘束にかけるか否かの問題で、今年1月、安倍官房長官は、「内閣提出法案には今まですべて党議拘束がかかっていた」との理由で、それに党議拘束をかける意志を示した。つまり、内閣すなわち、政権を担っている党の幹部が提出した法案を党議拘束するのは慣例だからという『理由にならない理由』で説明した。政治的に、皇室の存在価値(利用価値?)は大きいものらしい。

昨年の郵政民営化法案では、党議拘束がかけられていたにもかかわらず、それに反する票を投じた、あるいは採決の場を欠席した造反者が多く出た*1。党議に反すると厳しい罰則がそれぞれの党の内規にあり、党員としての資格が失われることもある。選挙のとき、「党の公認」が得られないという恐れも大きなプレッシャーになるだろう。議員にとって、ほとんど政治生命をかけた行動になる。相当強い意志をもたなくてはできないことである。私自身は、信念を貫こうとする彼ら・彼女らの態度は立派だと思う。党にべったりで自分の意見を少しも示そうとしないような議員は、「腑抜け(ふぬけ)もの」である。歳費をもらう価値のない人間である。党や派閥から金をもらっているかもしれないけれど……。

諸外国でも重要法案に対しては党議拘束をかけるが、日本に比べ、穏やかな規制だという。日本での党議拘束は、議員の重要な役目であり権利でもある議決の投票行為をがんじがらめに「拘束」してしまう。

党議拘束をかけるときは、その法案が少なくとも選挙の公約としていて国民の了解と支持を得ていなければならないだろう。党に対する支持が選挙で得られたからといって、その党がどんな法律でも作っていいとはいえない。そして、党議拘束をかけるためには、一部の党の委員会だけでなく、党員全員が意見を出し合って納得して決めなければならないだろう。人にはそれぞれの意見があるのだから、党の論理で強制するようなことはいけないだろう。

国会議員はそれぞれの英知をもって、他の人(党の幹部など)からの押し付け的判断に従うのでなく、国民の方を向いて、法案の内容を吟味して自分の判断で決めてほしいものだ。

 

*1.自民党の造反者は、2005年7月5日の衆議院採決で反対37人、棄権・欠席14人、8月8日の参議院採決で反対22人。

 

 

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