竹島の風雲

岡森 利幸 2006.4.29

2006.6.13 R3

竹島を巡って韓国と日本がまたいがみ合っている。2006年4月、日本は竹島近海の海底盆地の名前(対馬海盆など)で国際的公認を得るために、海底を測量しようとしたが、韓国に阻まれた。測量に先立ち、韓国は20隻の海防艦を出動させたから、もし測量を強行したならば、測量船は「不審船の扱い」*1を受けただろう。

4月25日には韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領が、異例の特別談話を発表している。竹島の問題について断固として対応すると表明し、強硬姿勢を示した。4月30日には中国紙までもが、韓国の主張に理があるなどという専門家の見方を報道した。

竹島は、二つの島と、いくつかの岩礁からなる。日本海全体を示す新聞紙大の地図上でも、ケシ(つぶ)ほどの大きさで描かれる小さな島だ。絶海の孤島的なたたずまいだ。

歴史的に、江戸初期のころから竹島の海域は漁場だった。韓国からも漁師がアワビ漁などで来ていたこともあったが、あるときから日本漁師が独り占めにし、韓国漁師を閉め出した。韓国では、そのころから「日本人に漁場を奪われた」という被害者意識をもっていたようだ。このころの争点は基本的に漁場としての漁業権であって、島の土地領有に関してはあいまいだったようだ。

近代になって漁業や海洋資源の経済的価値、あるいは国防の面で、島を領有すると、しないとでは、明らかに損益が生じるものになった。日本政府は、1904年に日韓議定書を強要してから一年後、竹島を島根県に編入している。韓国併合のための序章(プロローグ)として象徴的な行為だった。それは、韓国人の目には強引なやり方に映ったものだろう。

1965年6月に日韓基本条約を締結したが、その日韓会談では竹島の領有は最後まで決着が付かず、保留事項に棚上げされた。

こうした領有権の問題は、国際司法裁判所に持ち込んで裁決してもらうのが国際的なルールだろう。しかし、国際司法裁判所には、双方が法廷の場に立たなければならない。韓国は拒否している。具体的証拠で自国が不利な立場にあることを知っているのだろう。確かに、日本が根拠としている古文書や古海図では日本に有利なようだ――*2。2005年9月、東京・学士会館で開催された「東北アジア時代における日韓関係」というシンポジウムで、傍聴者として参加した私は、質疑応答の時間に、竹島の問題をぶつけてみたことがある。

〈韓国は、国際司法裁判所で領有権を主張し、解決しようとは考えないのか〉、と質問してみた。

すると、韓国の人(御名は失念した)は「自分の妻をわざわざ裁判所に行って決定してもらうようなことはしないだろう」というような回答で、朝鮮半島と竹島を夫婦関係にたとえて説明した。日本は、さしずめ横恋慕する「ならず者」なのだろう。

竹島に対する韓国や北朝鮮の執着は強い。実際、竹島はほとんど韓国に占領されている状態(日本政府にとって『不法占拠』)だ。日本の文献などによる主張は、通りそうもない。韓国の人々は、祖先からの言い伝えで、有史以前から島を利用していたと信じているのだろうから、日本がいくら古い文書や地図を出しても、納得しそうもない。

国際的な資料として、竹島を韓国領としている唯一のものは、毎日新聞2006年4月27日夕刊のコラムによると、1946年に連合国軍総司令部(GHQ)が日本漁船の操業区域を定めた地図「マッカーサーライン」だそうだ。これは、かなりの重みをもつものだろう。韓国側にとって、第三者の公的な裁定によって、『奪われていたものがやっと正当な持ち主に返された』という思いであろう。GHQが間違って竹島を韓国に編入したのかもしれないが、それなりの理由があったのだろう。私は、一番の理由が竹島の位置にあると考える。竹島が韓国の鬱陵島(うつりょうとう)(ウルルンド)に近いのだ。

竹島は、隠岐諸島から北西に157km、

鬱陵島から南東に88km

ほどの海上にある。竹島はその距離において鬱陵島との関係が深いと考えるのが自然だろう。なお、朝鮮半島東岸から竹島との距離、島根半島から竹島との距離は、それぞれ218km、210kmほどだから、ほとんど差はない。

ここは日韓友好のためにも、日本は譲歩すべきところだ。韓国併合の最終章(エピローグ)として、竹島を韓国に正式に返そう。竹島は韓国名の「独島」と呼ぶことになる。外交上、〈日本が韓国の独島領有を認める代わり、韓国は日本首相の靖国参拝に関して文句を言うな〉ぐらいの条件を付けることができるかもしれない。漁業権に関しては、日本政府が得意とする「補助金のばらまき」で解決するだろう。

 

*1.2001年12月22日、九州南西海域で不審船(後に北朝鮮の工作船と確認される)が、日本の複数の巡視船に包囲され20ミリ機関砲で銃撃され、沈没した。

*2.参照、『島根県竹島の新研究』田村清三郎、島根県総務部総務課発行

 

 

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靖国参拝の拘泥