靖国参拝の拘泥

岡森利幸   2006.5.18

2006.6.14 R3

毎日新聞朝刊2006年4月1日のニュースより――――

3月31日、北京の人民大会堂で、日中友好代表団との会談で、中国・胡錦濤(こきんとう)主席は、「日本の指導者がA級戦犯を祀る靖国神社をふたたび参拝しないと約束すれば、首脳会議をいつでもひらく用意がある」と表明した。

 

日本の多くの人は、またか、という思いをいだいたことだろう。中国政府の靖国神社嫌いは徹底している。1975年に三木武夫首相が戦後始めて靖国参拝してから、中国は首相の参拝にクレームをつけてきた。彼ら中国政府の言い分は、いつも太平洋戦争の『A級戦犯』が合祀(ごうし)されているからという理由の一点張りだ。

なぜ、国家のために戦死した兵士の英霊が(まつ)られる靖国神社に、裁判により絞首刑などの極刑に処されたA級戦犯がいっしょに祀られているのかが、大きな疑問であり、一番の問題点だろう。日本遺族会が政府に圧力をかけて合祀させたという。政府は戦犯の合祀のために靖国神社に政治的圧力をかけた。合祀を拒み続けた先代の宮司が亡くなり、代が変わると、次の宮司は圧力に抗しきれず、それを受け入れたという。遺族会にすれば、絞首刑という不名誉な扱いに対して、せめてもの、死者に対する慰霊や鎮魂というつもりだったのだろう。中国や韓国との大きな外交問題に発展するとは、夢にも思わずに……。

連合国が彼らを裁いた東京裁判の不公平さにも、人々の不満があったと思われる。統帥権をもってあの戦争を発動した日本のトップが、なぜ何の罪にも責任も問われなかったのか、いつまでもくすぶりつづける議論がある。宣戦布告に署名し、多くの人々を戦場に送り出した責任はどこへ行ってしまったのか。それは昭和史最大のミステリーだろう。その責任をとらされたのは、結局、A級戦犯たちだった。A級戦犯たちは日本のトップの身代わりに処されたという思いをいだきながら、死んでいったのであろう。東条英機などは納得せずに死んでいった者の代表であろう。彼らも広い意味で『戦争の犠牲者』だったのかもしれない。

昭和19年から20年にかけて、太平洋戦争の惨状を知るものにとっては、もう日本の敗戦は明らかなことだった。日本政府の首脳部にとって停戦条件をどうするかが問題だった。天皇制に凝り固まった人びとが天皇制を維持するために、あるいは「天皇を罪に問わないこと」を条件に、水面下で連合軍と停戦交渉を続けていたことが伝えられている。しかし、アメリカ大統領は、彼の国ではドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニと並び称された日本の最高責任者ヒロヒトの罪を一切(いっさい)問わないなどという「とんでもない提案」には、なかなか首を縦に振らなかった――*1。そのために停戦(降伏)が昭和20年8月15日まで長引いたと……。結局、増大した多くの犠牲の上に、その条件は守られた。無条件降伏が建前とされながら……。日本のトップの責任はともかく、A級戦犯たちや天皇制の信奉者たちは戦争を長引かせた責任も負うべきだろう。

日本では昔から、非業の死を遂げたものは怨霊となってさまようと言われている。怨霊は現生の人びとに(たた)りをもたらす。そんな怨霊を鎮めなだめるために、神として(あが)め、祭り上げる風習がある。御霊(ごりょう)信仰である。戦死した死者の霊を英霊などと言っておだてあげるのが靖国神社だ。A級戦犯たちの霊魂は、「日本のトップの身代わりになった」という無念の思いで死んでいったのだから、「怨霊としての資格」が十分にある。その鎮魂のためには、日本政府の首相が参拝する必要があるのだろう。靖国神社には、霊魂が怨霊となって災いをもたらすのを封じ込める役目があるのだ。A級戦犯を(うやま)って参拝しているわけではないことを中国の人々は理解できるだろうか。

中国政府はその国民に対して、「日本が侵略戦争を始めたのは旧政権の一部の指導者たちによるものであり、特にA級戦犯に処された人たちが主導的だった。帝国主義の旧日本政府と民主主義の今の日本政府とは違うのだ。中国は、帝国主義(軍国主義)の日本とは敵対関係にあったが、民主主義の日本とは友好関係を保っていいのだ」と説明しているという。日本政府首脳がA級戦犯を参拝するようでは、その論理が成り立たなくなるから、中国政府は靖国参拝に強硬に反対しているのだという説を、去年私は中国通の人(某国営放送の中国特派員だった人)から聞いたことがある。戦時中の日本政府指導者と一般民衆とは考え方が異なるという説明は毛沢東が唱えたもの(区分論という)で、中国政府は「偉大なる指導者」の毛沢東の言葉がうそになってしまうことを避けたいのだという。日本政府の指導者がA級戦犯たちを信奉する姿を見せ付けては、彼らが同類同列にあることを否定できなくなる。

そんな説に一理あるかもしれないが、中国政府の面子(めんつ)の問題と考えるのがわかりやすいだろう。中国政府は、これまでたびたび抗議し、禁止しているのにもかかわらず、日本政府が再三無視していることに我慢がならないのだ。日本政府が中国政府のいうことを聞かないことでは、中国政府は中国民衆に示しがつかないのだろう。中国共産党政権の威信にかけて、虚栄の弱小国家の日本政府に圧力をかけたいのだ。中国は世界の中心にいる国なのだから。

某国会議員は、小泉首相が今夏8月15日に靖国参拝を密かに予定していることをほのめかす発言をしている。もしそうなったら、中国政府は日本政府に激怒し、さらに強く反発するに違いない。その激情には小泉首相の屁理屈も通らず、A級戦犯たちの怨霊が中国政府に乗移るだろう――半分ジョーク。

外交上、相手国政府の面子を立ててやるのも必要な術策だろう。

 

*1.一説には、大統領は原爆の威力を全世界(特に、ソビエト連邦)に見せ付けたかったから、原爆の完成を待ったのだという。

 

 

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