脳死再考                                                               岡森利幸   2007.2.4

                                                                                                                       R1-2007.2.24

 

毎日新聞朝刊2007/1/9事件面

岐阜県立病院で倫理委が呼吸器外しを容認したが、県医療整備課は「尊厳死に関する法律やガイドラインが未整備で、医師が刑事罰に問われる可能性もある」として治療の中止に反対した。

終末医療での「呼吸させる機械」人工呼吸器について補足しよう。

呼吸を止めるのは、本人の意志であろうとその中で私は書いた。呼吸は自分の意志で止められるが、心臓の鼓動は意志では止められない(*1)。自分の意志と心臓の鼓動は別物であるという認識を強くしている。物理的にも、神経系統と心臓には直接的なつながりはない。そんな自律性の高い臓器だから、神経の接続なしに、手術で他人の心臓と入れ替えることもできる。

患者の呼吸が弱くなったとき、その補助のために応急的に人工呼吸器を取り付けることは必要だろう。しかし、現状の医療現場では、呼吸が完全に止まっている〔つまり、生きる意志がない〕のに、人工呼吸器を動かしたまま、心臓が止まるまで数カ月も、長いところでは数年もベッドに寝かし続けているところがある。(私は最初、生かし続けると書いたが、改めた。)

人工呼吸器を止める基準が明確でないからだ。人工呼吸器を外した医師が殺人の嫌疑をかけられたケースもあり、医療現場では高尚な倫理感にとらわれて(警察やマスコミがうるさいから?)慎重になっている。しかし、それでは「安らかな死」とは言えないだろう。多くの人に望まれない死に方、おそらく本人も望まない死に方になってしまう。医療の負担(病院も家族も、そして健康保険機関の財政も)が大きすぎるという現実的な問題もある。

臓器移植のための脳死判定(かなり厳密で煩雑な手順が要求されている)とは別に、人工呼吸器外しのための脳死判定が必要だ。終末期(特に平均寿命以上の高齢の)の患者が呼吸を完全に止めたならば、それは脳死であると判定すべきだろう。死因は、心不全でなく、呼吸不全で十分だろう。

 

*1. だたし、世界には、訓練して一時的に自分の意志で止められるようになった人がいるらしい。

 

 

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        死を助けた医師