死を助けた医師                                                         岡森利幸   2007.3.8

                                                                     

 

毎日新聞朝刊2007/3/1社会面・身近な話題面

川崎共同病院筋弛緩剤安楽死事件

98年11月、気管支ぜんそくで入院中の患者(当時58歳)の呼吸を維持する気管内チューブを抜き、筋弛緩剤を投与して死なせたとして医師が殺人罪に問われた。

東京高裁は、筋弛緩剤の投与を死因と認定した(殺人罪)が、情状を酌量し、同病院元医師、須田セツ子被告に、殺人罪としては量刑がもっとも軽い懲役1年6か月・執行猶予3年を言い渡した。

裁判長は、「治療中止について法的規範も医療倫理も確立されていない状況で、家族の要請に決断を迫られた。それを事後的に非難するのは酷な面もある」とし、「尊厳死の問題を根本的に解決するには法律かガイドラインの策定が必要。司法が抜本的解決を図る問題ではない」との見解を示した。

須田被告は、閉廷後の取材で「『死を早めることが殺人となる』のは私にはわかりません」と話し、「いつかは死が訪れることを認識して生きていくことが“よい死”につながると思う。私たちがちょっとでもその手伝いをさせてもらえればありがたいと思う」と持論を展開した。

お産を助けるのが助産師ならば、死を助けるのが医師なのだろう。

この場合は、いわゆる安楽死(euthanasia)だったようだ。しかし、医師の裁量でできる範囲は、呼吸を維持する気管内チューブを抜くまでであり、筋弛緩剤を投与したのは、やりすぎだろう。死の苦しみから患者を救うだけなら、麻酔を打つなどの手段があったと思う。

彼女の言う“よい死”とは何だろうか。彼女にもっと説明してもらわなければわからないが、彼女は病院で“わるい死”を多く見てきたのだろう、と私は想像している。彼女は“わるい死”を多く見過ぎたのかもしれない。

死を早めたことに関しては、本人がそれを望んでいたかどうかが大きなキーポイントになるだろう。本人が望まない死であれば、当然、殺人だ。本人を含め、誰もがその早い死を望むような状況なら、正当な判断だったと言えそうだ。患者が病魔に蝕まれて、有効な治療もないまま、死が訪れるのを待つだけの状態ならば、それを救う方法があってもいいだろう。

臓器移植法によって、脳死と判定されれば、「死」を早めてもよいことになっている。その場合、殺人とは言わない。

 

 

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