釧路湿原の公共工事                                                                                岡森利幸   2006.8.30

2006.9.2 R1

以下は、新聞記事の引用・要約。

毎日新聞朝刊2006/8/21環境面

北海道・釧路湿原を流れる釧路川で、かつて公共事業で直線化された流れを再び公共事業で蛇行させる「自然再生」が今年中にも着工される。

事業の対象となるのは、73〜84年に洪水対策で河川が直線化された標茶町茅沼地区。直線化された5.5キロのうち1.6キロを埋め戻し、切り離されていた旧川の約2.3キロを接続する。旧川部分はこの20年間で浅くなっているため、新たな掘削・拡張工事が必要だ。

事業計画案は、「釧路湿原自然再生協議会」で昨年10月に「異論なし」として承認された形になったが、「新たな破壊だ」との異議の声が上っている。

毎日新聞朝刊2006/8/30総合面

国土交通省は8月29日、07年度の予算の概算要求をまとめた。

うち公共事業費関係は今年度当初予算比18%増の6兆6434億円。

 

「洪水対策」で直線の川を作ったら、今度は、「自然再生」でその川を元のように蛇行させるのだとは、あきれてしまう。題目(名分)だけは、立派なものだ。

公共事業で、「自然再生」の旗を掲げて、またまた重機で湿原を掘り返そうとしている。これは、実質的には、土木建築業者のために慈善事業を行っているようなものだ。釧路湿原を土木建築業者とその関係省庁が食い物にしている。ただし、実際に食われているのは、国費であり、われわれの税金である。こんなことに使われるのなら、税金を納めたくないものだ。公共のためといいながら、そんな事業は公共の利益になっていない。直線にした川を再び蛇行させることが、どれだけ公共のためになるのか。

「自然再生」を考えるのならば、「自然のままにしておく」のが一番だろう。人間の手を加えては、自然に反することになる。人口的なものができあがるだけだ。川を人の手で一時的に直線にしたとしても、年月が流れれば、川は自然に蛇行するものだろう。

これは、工事の労力と富(国費)を浪費しているだけだ。こんな見せかけだけの公共事業をしていたのでは、日本の社会が本当におかしくなる。甘やかされる一方の農業生産に金をかける方がまだましだろう。こんな地方のでたらめを許しているのは中央官庁に責任がある。地方の活性化のためと称して国が安易に大半の費用を補助しているから、地方は「他人の金」でこんなでたらめができるのだ。

「釧路湿原自然再生協議会」とは、地元利益導入を第一に考える人びとの集まりだったようだ。地方としては国から金を引き出すことができれば、何の名目であれ、成功だろう。地方に金が下りてくれば『儲けもの』である。地方が国から補助金や交付金を得るためには、自然再生というような『高尚な題目』を唱えることが有効なわけだ。

 

 

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