北朝鮮と拉致事件                                                     岡森利幸   2006.11.29

                                                                                                                       R2-2006.12.26

以下は、新聞記事の引用・要約・訳出。

The Japan Times Nov. 5, 2006   National page

(北朝鮮が6カ国協議に復帰を表明した次の週に)北朝鮮は、11月4日、北朝鮮を核保有国として容認しない日本の政府官人らを、状況の変化や自分の外交的立場を判断できないのでは『政治的に低能な者たち』だと言い放ち、北朝鮮の原子力開発についての協議に参加すべきでないと主張した。

北朝鮮の外務相は、その声明の中で、「日本は、アメリカの一つの州にすぎないし、アメリカ政府によって協議の結果を知らされるだけでいいから、代表団の一員として協議に参加する必要はない」と述べた。

また、北朝鮮は、ほとんどの国際社会では北朝鮮が6カ国協議に復帰することを歓迎していることに触れ、「(北朝鮮の)不変の立場と、朝鮮半島の非核化への誠意ある努力を高く評価しているのに、日本だけが悪意を表に出し、つまらないことを持ち出そうとしている」

しかし、米国や日本が北朝鮮を「核保有国」とは認めないという表明をすることは、北朝鮮は予想していたはずだ。北朝鮮外務相の日本に対する『いらだち発言』は、最近の日本の拉致事件の扱いに関係してのことだろう。「つまらないこと」(balderdashes)というのは、拉致事件のことだ。

『政治的に低能な者たち』(political imbeciles)という侮辱的な発言は、国際間のコミュニケーションとして最悪レベルの「ののしり言葉」だが、半分当たっているから、日本政府の役人たちは怒ってはいけない。「日本はアメリカの一つの州にすぎない」というのも、当たっている。国際政治において日本がアメリカの言いなりになっていることはよく知られたことだ。しかし、日本は6カ国協議に参加すべきでないと結論付けるのは、言い過ぎであろう。それが事実だとしても、礼節に欠ける傲慢発言だろう。外交官の資質が問われるところだ。6カ国協議に拉致事件を持ち出してほしくないことを遠回しに表現したものだろう。(いちいち言葉尻を捕らえて、反論するのもよくないことかもしれないので、このぐらいに……。)

 

そもそも、日本政府が国際的な協議の場に、日本国内で数十年前に起きた拉致事件を持ち込もうとするのがピント外れなことなのだ、と私は思う。日本は拉致事件に固執しすぎているきらいがある。拉致事件の「一部」は解決したという認識で先に進まなければ、現在の国際的な問題は何も解決しないだろう。日本政府が拉致事件の全面解決は国民の総意であると考え、外交の最重要課題としているのには、私は首を傾げざるを得ない。日本には、拉致という過去に起きた犯罪(今日まで尾を引いていることは確かだが……)よりも国際的な安定や交流を望んでいる人も多くいるはずだから、「国民の総意」というのは誤りだろう。総意というより「同情」という感情的な面が強い。同情で政治が揺り動かされるようでは、「政治的に低能な者たち」といわれても仕方がないだろう。ゆきすぎた感情論では、何事にも判断を誤るものだ。あるいは、政府には、そんな感情的な国民の「同情票」を集めようとするような打算が働いて、拉致問題に取り組む姿勢を見せているのだろう。

警察は実行犯とされる工作員(特に日本に返された被害者の実行者)をその証言によって次々に国際指名手配しているし、最近になっても、拉致被害者を政府公認のリストにどんどん追加(11月18日現在、17人 *1)しようとする動きがある。

総務省は、NHK短波ラジオの国際放送に「拉致事件をもっと扱え」と命令を出し、中立であるべき報道機関に政治的圧力を露骨にかけている。

北朝鮮の誤算は、拉致事件に関して、一部を認めて拉致した人を何人か日本に返せば、真相究明の熱意が収まるだろうと考えたことだ。2002年の日朝平壌(ピョンヤン)宣言の「おまけ」のような形で北朝鮮が拉致を公式に認めたときに、解決方向に向かうどころか、そんな小出し的な行為で、火に油を注いだように日本では拉致被害に関する問題意識が高まってしまった。それまで拉致が憶測の範囲内にあったものが、事実として明らかになったことが大きなインパクトだった。日本のメディアは平壌宣言の本題の方はそっちのけで、拉致事件の当事者や家族の動向を大きく取り上げた。当然、日本政府もそれに引きずられる……。生存が判明した親族たちは日本にその被害者がもどって来たことで一応の解決を見たかもしれないが、収まらないのは、生死不明になっている多くの被害者の親族たちだ。返された5人以外は死亡したとされたが、そのあいまいな情報によって、逆に生存の望みがつながった……。その親族たちには、もっと多くのことが明らかにならなければ、納得できるものではない。

北朝鮮幹部は、拉致を認めて一部の生存者を日本に返したことを悔やんでいるのではないか。

拉致という悪事がばれたことは、大きな恥になったはずだ。プライドにも傷がついた。これ以上明らかにしたら、恥の上塗りになる……。日本に返した生存者たちが日本の政府関係者や警察に証言したことは、北朝鮮にとって不都合なことばかりだったろう。彼らの証言によって、北朝鮮組織の命令に忠実なだけの工作員が指名手配されたのも、いらだたしいことだろう。

あえて冷酷なことを言うと、北朝鮮が拉致を認めた被害者の多く(日本に返された以外の人々)の死亡は、彼らが北朝鮮にとってもはや不要になったか、あるいは意に沿わなくなったから、と解釈すべきだろう。その詳細については北朝鮮がもっとも秘密にしたいものだろう。これ以上悪事があばかれないように、北朝鮮としては、拉致事件はもう解決済みと言い張るしかないだろう。

 

*1. 1977年に失踪した鳥取県米子市の松本京子さんが北朝鮮による17人目の拉致被害者として、警察庁が2006年11月17日になって断定した。次の日、日本政府も認定した。

 

 

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