日本に憲法裁判所がないから                                                              岡森利幸   2006.4.19

R1-2006.4.29

日本国憲法が空文化している現状は、なぜだろう。空文化とは、書かれているルールが実際には効力をもたず、守られていない、あるいは無視されていることを言う。あってないようなものである。憲法が拡大解釈されていることは、よく知られていることである。一般に、そういう法律や法規を「ザル法」という。

その原因は、法律が作られても、憲法に合致するかの審議が実質的に行われていないことにあることだろう。それは本来司法が行うべきものだろうが、これまで司法が憲法判断した例は少ない。問題が起きて提訴されてから判決の際の理由として憲法が引用されるだけであろう。特に、「ある法律自体が、憲法に違反する」と決定したのはまれであろう。

国会で法律を制定するとき、衆議院と参議院のそれぞれの議員の議決によって決まる。かなり怪しい法律でも、今まで成立してきた。多数派の与党が野党の反対を押し切って強引に通したような法律もあった。憲法違反にならないと勝手に解釈して怪しい法律が作られてしまっている。しかし、そんな法律も、時が経てば、慣れてしまい、いつの間にか、憲法の方を直そうという議論になっている。もしも、憲法に不都合があるなら、憲法を直してから、誰が解釈してもそれに反しないような法律を作るべきだ。

私は、憲法裁判所が必要だと考える。世界には、憲法裁判所をもっている国がいくつかある。例えば、ドイツ、タイ、韓国、旧ソ連・東欧諸国(ウクライナ、ポーランド、オーストリアなど)には、憲法裁判所がある。フランスには、同様な役目を果たしている憲法評議会がある。そこで、法律が国会で議決されたら、すぐに憲法に合致するか否かの審議が行われる。この法律が施行される前に審査されるから、憲法違反の法律が施行されるような恐れはないし、その法律が後で問題になるようなことはない。

憲法裁判所が設けられると、国会議員、特に与党にとっては自分たちの都合のよい法律を作ることができなくなるから、邪魔な存在になるだろう。国の最高決議機関としての国会の権威が揺らぐかもしれない。しかし、憲法は、勝手な法律を作らせないための、最期の歯止めとしての役割があるはずだ。建前の立派な憲法をもっていても、その憲法の審査がない法律が数の論理で(多数派の党によって)どんどん作られているのでは、ザル法と言われても仕方がない。

国会議員(特に、憲法を拡大解釈してきた自由民主党の議員)が自発的に憲法裁判所などを作ろうとはしないだろうから、世論が盛り上がって政治家に強く要求しないとだめだろう。

具体的には、存在価値の薄れている参議院を憲法裁判所にすることが、一番よい方法だと私は思う。その参議院で、衆議院を通過したばかりの新しい法案の合否だけを、政党の党利党略に無関係に、憲法に照らし合わせて集中的に審判する。違反することがあれば、当然、法案を衆議院に差し戻すなり、無効にすることになる。新しい法案だけでなく、既存の法律についても、違憲の疑いのあるものを審判の対象にすべきだろう。これらを審判する人々は政党に属さないような、中立性を保っていることが求められるが、選挙で憲法裁判所の「審判員」を選ぶとなると、政党に偏った人々が選ばれてしまうかもしれないので、人選(選挙制度)には課題が残りそうだ。

 

 

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