外交機密の暗闇                                                                                      岡森 利幸 2006.4.29

 

外務省が、国民には知らせないで、(かげ)でこそこそやっているのは本当に国益を守ることになるのだろうか。外交交渉では、一体何が議論されているのか、一般国民にはさっぱりわからないものだ。相手に手の内を見せないことが一つの交渉の常道手段であるにしても、世論に解離した隠蔽(いんぺい)体質になってしまっていることが問題だ。それでは国際社会の一員としての責任が果たせないだけでなく、国民を欺くことにもなる。外務省が守っているのは、省益だけだろう。

膨大なODA(政府開発援助)予算や、何に使われたかわからない外交機密費など、外務省に関する問題点は多いが、ここでは以下の2点について言及しよう。

 

@ 人質事件の解決方法

海外での人質事件で人質が無事に帰されたとき、身代金がいくら支払われたかはほとんど公表されないが、犯人側がただで返すわけがないのは自明の理だろう。身代金が支払われたという情報が公然と一部のメディアからわれわれの耳に入ってくることがある。そんな事件のあと、犯人が捕ったというようなニュースは一向に伝わってこない。犯人を捕まえないことも、交渉の条件に入っているのだろう。

日本政府は多くの例で犯人側のいいなりの身代金を支払っているのが現状のようだ。それが「平和的解決」というものだろう。これでは、人質事件は後を絶たないだろう。

2002年10月、北朝鮮から拉致されていた五人が、日本に帰ってきたとき、北朝鮮には、二週間ほどで北朝鮮に返すという約束をしておきながら、結局返さなかった。それで北朝鮮には、約束違反だ、日本人はうそつきだと言われ続けた。その重大な約束があった事実が、日本国民には、はっきりと示されなかった。国会答弁でも、あいまいにされていた。拉致された五人を帰さなかったことは、人道上正しかったかもしれないが、外交上、問題をこじらせたデメリットも大きかった。事件がいまだに解決せず、日朝交渉がまったく進まない一因だろう。

2004年11月3日の新聞報道では、イラク・イスラム過激派が香田さん殺害に関してネットで声明を出した。その中で、「日本政府が数百ドルの身代金を提示した」ことを明らかにした。その犯人グループはインターネットで殺害の模様を撮影したビデオを流した。金目当ての誘拐ではないことを示したかったのだろう。

 

A 外交機密文書の公開

外交文書の公開については、外務省では30年経過を原則として公開することになっている(1976年に始まった外務省内規による制度)が、これが守られていない。公開に当って、外務省関係者約20人によって選定されている(*1)からだ。毎年公開されるのは、取るに足らない文書ばかり。多くの重要文書は、『国益』の保護を理由に隠されている。文書の存在も明らかにされない。歴史に学ぶ意味でも、外交交渉の課程や何が議論の主題になったか、明らかにすることは必要だろう。隠したままでは、国民を代表しての責務を果たしたことにならない。密約に関することや安易な妥協、外務省官僚の自分たちの不正(機密費の流用など)が暴かれるのは、イヤかもしれないけれど……。

30年という年月が早すぎるのならば、一歩譲って50年にして、それを経過したものは、国民の知る権利の(もと)に、選定せずにすべて公開するように、内規でなく法律で定めるべきだろう。

 

*1.参照、毎日新聞朝刊2005年2月25日の政治欄

 

 

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