第一段階・「高等法院」のフロンド(Fronde parlementaire)……第1幕 2004/08/05 23:41:30 |
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「高等法院のフロンド(Fronde Parlementaire)」……第1幕
1648年7月下旬、高等法院を中心とする官僚保有者層(旧官僚)は27か条の宣言をマザランに要求した。
1.地方長官(アンタンダン)の廃止。
1.国王役人(オフィシェ)のみによるタイユ税(人頭税)の配分と徴収。
1.高等法院の同意なしの課税廃止。
1.タイユ税(人頭税)の減額。
1.徴税請負制の廃止。…間接税
1.国家財政の運用上の不正と乱用を王権の下に裁く特別法廷の開設。
これに対してマザランは
1.財務卿を更迭
1.国境地帯を除いて地方長官(アンタンダン)の廃止。
1.特別法廷の開設。
1.徴税請負制の契約の破棄。
ところが、高等法院の一部の司法官が納得せずマザラン枢機卿を批判した。
……と言っても大した苦情でもなかった。
ここで注意してもらいたいのは、高等法院の司法官というのは法服貴族といいながられっきとした利権貴族である。しかもフーケのように貴族になって4代目というような人々もいたのである。
即ち、利権貴族としての自分たちの利益を主張したと言うことである。
小説「三銃士」に書かれているとおり、
1648年8月26日国務会議は、高等法院の有力メンバーの評定官(判事)ブルーセル(Pierre Boroussel・当時72歳・伯爵相当)を逮捕したことからフロンドの乱が始まる。
(本来なら王令により逮捕されることはない…)
………2日後に釈放されるが以後歴史上には登場しない。
この辺は「三銃士」に良く書かれているところである。
逮捕から数時間の内に、パリ市民は地下の穴蔵からブドウ酒の空樽2000個を並べてバリケードbarricadeを構築した。バリケードの語源はこれによる。…大樽(バリック)を土で満たしたものを並べた。
27日の朝には約10万人もの武装した男達が街々を占拠したのである。
1648年9月13日朝、危険を感じたマザラン枢機卿は、摂政アンヌ・ドートリッシュと国王を連れてサン・ジェルマン・アン・レーに脱出。
1648年10月22日国王宣言を出し、7月末の譲歩を確約する。
1648年10月24日ウェストファリア条約締結。
この条約によってマザラン枢機卿は、自身の権威が高まったのを機にパリへ復帰した。
さて、三銃士にも登場するゴンディ神父(ポール・ド・ゴンディ)について書かなければならない。
尚今まで書いてきたとおり、一般の歴史書に書かれていることはなるべく書かないようにする方針なのでその他はフランスの歴史として調べて貰いたい。
今にして思うのであるが、デュマは当時の実在の人物の性格を正確に表現しいてることに対して驚きを感じざるをおえない。 |
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