D'Artagnan物語・三銃士T

第 9 章  第2部  二十年後   フロンド(Fronde)の乱 2004/07/23

フロンド(Fronde)の乱

1.背景とその前夜(王妃アンヌ・ドートリッシュの権力継承)

乱や暴動というものは、経済問題から発展することが多い。ルイ13世はその在位中に戦争を継続したために財政は赤字続きであった。……そのた理由もあったが。
そして、国王の死後マザランが摂政の諮問会議メンバー即ち宰相になったときから、色々な問題が噴出してきたのである。
国民や貴族、その他新興の法務貴族などの不満が表に出でくるというのは王権が弱まった証拠である。
国王ルイ13世はその死を悟ったときに、王国総代官は弟のガストン・ドレルアンとした上で死後の複数摂政体制を宣言した。
その宣言は高等法院(パルルマンParlement)の高官を王宮に呼び寄せ、王妃アンヌ・ドートリッシュと共に連署させたた上高等法院に登記させたのである。
わかりやすく言えば王妃アンヌ・ドートリッシュは摂政と言いながら摂政会議の1メンバーにすぎない事を宣言させてたのである。
……………………………………………
高等法院(パルルマンParlement)は以後色々な場面で登場してくるのでここで簡単に紹介する。
高等法院は、司法組織の最終審判を下す最高法院(クール・スヴレーヌ・その他租税法院、会計法院、通貨法院、大評定院)のひとつである。尚、この最高法院で下した判決には控訴が許されなかった。
部門としては7部門に別れていたが、「法律」「王示」「王令」等の記録を司り国王の命令はこの高等法院に登記する必要があった。
ここで大審部(グラン・シャンブル)のみを記載してみる。
成員は、
高等法院院長1名(大法官とともに売買されることのない官職)
裁判長9名以下
その他50名以上の上級司法官。
上級司法官は、評定官(判事相当)、法院検事、総代訴官等。
ちなみに、彼らは「国王陪食官・コマンソー ・デュ・ロウ」いう称号で王宮内延臣と共に呼ばれたと特権貴族階級である。正確には通称・法服貴族(noblesse do robeノーブレス・ドゥ・ローブ)という。
尚、従来からの出生貴族は「剣の貴族」(noblesse d'e'pe'e)と言う。
法服貴族とは、平民が売買された授爵官職(上級の司法官・行政官)を買いそれによって爵位を得て貴族になった新興の貴族である。(同僚との間で強固な社会集団を形成)

三銃士にもどってみると、アトスが司法権を持っていた旨が出てくるので少し説明する。
ルイ14世時代初頭まで、パリの半分以上は領主(セニュール)貴族らの管轄下にあった。
即ち、領主は自分の領内における司法権をもっていた。
従って、国王の裁判権域は高級裁判権を持つ(中級は民事及び軽犯罪・下級審は領主が口を挟む余地は不可能だった。)領主、教会領主その他の権力よりも小さかった。
尚、当時パリにおいて高級裁判権を持っていた領主は164街区をその管轄下に置いていたパリ大司教を筆頭にほぼ30名であることが判明している。
高級裁判権を有する領主の司法権は絶対的なものであり、「国王専決事件・カ・ロワイヨー」以外すべての民事および刑事事件の裁判権(領地内のすべての領民、他領民、国王の臣民)を有しいてた。

「国王専決事件・カ・ロワイヨー」
君主侮辱罪、君主特権に対する侵害、大逆罪、通貨偽造、国王に裁判権が留保された訴訟事件。

………………………………………………
1643年5月14日国王が崩御すると王妃アンヌ・ドートリッシュはその翌日5月15日(18日という説もあり)高等法院に出向き、親臨法廷で王の遺言(宣言)を取り消しその絶対権力の自由裁量権を宣言したのである。即ち事実上のクーデターである。



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