D'Artagnan物語・三銃士T

三銃士Q&A まとめ1   2004/07/23

三銃士Q&A

Q1、ダルタニャンは、近衛銃士隊の副隊長(副官)に任命される。この時リシュリュー枢機卿が予め書いていた「任命状」は何か?
「枢機官はテーブルのそばにより、立ったまま、半分以上書きかけた羊皮紙の上になお2、3行書きたして、その上に判を押した。」

A1、リシュリュー枢機卿・親衛隊士官任命状。
理由・当時国軍の事実上の支配権は、フランス歩兵司令官である。従い将校の任命状を発行していたのは国王名でなく歩兵司令官である。


Q2、シュヴルーズ公爵夫人(公妃)が公爵夫人でなければならない訳は何か?
「愛しのダルタニャン」の中で伯爵夫人になっている。尚史実は公爵夫人。

A2、宮廷では国王や王妃の臨席の場で(折りたたみ)椅子に座れるのは公爵夫人以上。
又賭博の席では、1400年以前に家系を遡ることが出来る由緒正しい貴族は全員座って良いという様な規則があった。(正式にはルイ14世から)
従い、王妃アンヌ・ドートリッシュのナンバー1(お話相手・側近)であったシュヴルーズ公爵夫人は、公妃でなければならない。
後年ルイ16世の王妃マリー・アントワネットの「お話相手」ポリニャック伯爵夫人は「公爵夫人」の称号をもらっている。(教育係女官・年俸35,000リーヴル)


Q3、コンスタンス・ボナシュー(Constance Bonacieux)夫人の足を見てダルタニャンは貴族でないと判断したがその理由は?
「年のころは25か6くらい、なかなかの美人である。髪の色は栗色で、目は青く、鼻はやや仰向きだか、歯並みはきれいで、バラ色と乳白色の肌はまるで大理石のよう。だが貴婦人と見まがうばかりの特徴はそれでおしまいだった。手は白いには白いけれど華奢な感じがなく、足の形も身分のある婦人とはどう見ても受け取れない。……」

A3、当時の貴族の必修の心得は、音楽をとってみては優れた演奏家。そして、美しい舞踏家・踊り手であることである。
事実、王妃アンヌ・ドートリッシュはリュクサンブール宮殿で上演されたバレエに「女神」役で出演していたし、ルイ14世の愛妾・ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール公爵夫人もバレエの名手である。(アンリエット・ダングルテールの元侍女)
当然、王妃マリー・アントワネットはバレエの素養のすばらしいのが結婚の条件として入っていると言われている。
従い、レフェランス(お辞儀)の仕方、歩き方、姿勢の取り方全て舞踏(バレエ)のポジション(1番の形、2番の形、3…)で教えられたのである。
よって、コンスタンス・ボナシュー(Constance Bonacieux)の足はバレエシューズを履いてバレエで鍛えた足、変形した小さな足ではないと言うことから「貴族」でないと判断した。


Q4、ブラジュロンヌ伯爵領の相続人ブラジュロンヌ子爵は、何故子爵なのか。

A4、伯爵の長男は子爵(准伯爵)である。
長男(跡取り息子)なら通称として伯爵と名乗るのが通例。だからブラジュロンヌ伯爵領のブラジュロンヌ子爵というのは正しい表現であるが一般的ではない。
何故一般的ではないかと言うと「席次」の問題が出る。即ち伯爵から始めると……
伯爵
伯爵の次三男
子爵
子爵の次三男
男爵
男爵の次三男
(准男爵)
騎士
(エスクワイヤsquire)
勲爵士
ポルトス
即ち、本来伯爵と名乗らないために伯爵の次三男の次に席次がくる不都合が生ずる。
ポルトスは最下位である。


Q5、1625年、バッキンガム公爵がランブイエ公爵夫人(サロン)で開かれた歓迎舞踏会で10回も着替えたあげく、純白のベルベットにスターリング・ダイヤ(一説には真珠)がちりばめられていた。ダンスのステップごとにパラパラと床に落ちた。
さて、この宝石の金額はいくらか?

A5、およそ8万ポンド。尚ランブイエ公爵夫人のサロンのホスト役は、ヴァンサン・ヴォワチュール(元ガストン・ドルレアンの家臣)


Q6、コンスタンス・ボナシュー(Constance Bonacieux)夫人はなぜ貴族でないのか?

A6、小説の中では庶民の代表としてかヒロインとして、ボナシュー夫人が登場する。わざわざ、貴族でないと散々ことわっている。
このコンスタンスは、デュマと違って非常に清純な女性として描かれている。
当時の貴族というのは性的に乱れていたから「庶民」にしたのか不明。
デュマは第二帝政の時、即ちNapoleon3世の時代の人物である。
有名な逸話として、細君の間男と一緒に3人で一緒に寝たなどという話がある。
出掛ける予定を変更して帰ってくると下階の細君(美人の女優)の部屋に駆け込んだ。(部屋が暖まっていたので・仕事部屋は3階の3部屋)すると、間男を細君が連れ込んでいた。

さて、コンスタンスはラ・ポルト氏が名付け親で、その紹介で宮殿に入った事になっている。
ここでまず不思議なことがある。

1.ラ・ポルト(1652年、国王ルイ14世に対する事件の責任をとらされ罷免・追放)は、良く知られているとおり王妃アンヌ・ドートリッシュの執事である。要するに非常に高官であると言うことである。当然貴族であり誰彼の名付け親になるような人物ではない。…となるとコンスタンスはラ・ポルトの縁者即ち貴族と言うことになる。後年このクラスの侍従貴族はシュヴァリエ・chivalerが勤めた。

2.王妃アンヌ・ドートリッシュの女官というのは、貴族の夫人であることは決まっているから「時代考証」上問題がある。(後年出生貴族の血筋の法服貴族の夫人も勤めた)

3.女官の年収はおおよそ最低でも1万ルーブルである。今の金にして1,000万円の年収である。(無税)一般庶民の80%は年収50万円程度であり、そのうち18%は家賃であったから破格の収入である。
もっとも、女官長・「お話相手・側近」ともなると天井知らずでシュヴルーズ公爵夫人はおおよそ5万ルーブルは貰っていたであろうと思われる但し、これは想像。
ちなみに、王妃マリー・アントワネットの「お話相手」ポリニャック公爵夫人は「教育係女官」年俸35,000リーヴル+αで総額50万ルーブル。
女官長・ランバル大公妃は15万リーブル。
……と言うわけで、庶民がなれる職ではない。

4.コンスタンスが庶民の出であるとするとバレエの素養は期待できない。しかし、宮廷のおける王妃アンヌ・ドートリッシュは「王妃アンヌ・ドートリッシュ・バレエ団」の団長の様な立場であるから「バレエの素養」がなければ女官になれない。
第一、レフェランス(お辞儀)の仕方一つ取ってみても庶民とは大違いである。

藤本ひとみ「愛しのダルタニャン」でコンスタンスが王妃アンヌ・ドートリッシュのお気に入りナンバー1(ナンバー1は、公爵夫人と決まっている)になる夢などを考える場面がある。
しかし、宮廷の席次というのは厳しく決められていて、席次の下の者は席次の上者に話しかけてはならないと言う不文律があった。
従い、貴族でないコンスタンスはナンバー1になると言う様なことはあり得ない。

藤本ひとみ「愛しのダルタニャン」では……
「コンスタンスは、シュヴルーズ伯爵夫人が以前に使っていた侍女で、紹介者は、彼女の名付け親のラ・ポルトだった。身分は低かったが、なかなか賢く、気転の利くコンスタンスを、シュヴルーズ伯爵夫人は王妃アンヌに推薦した。」

「コンスタンス、あなたが王妃様の下着係になれたのも、私のおかげでしたよね。さぞ私に感謝していることでしょうし、今回のことを心配してくれてもいることでしょう」

とあるが、侍女でなく小間使いだろう。侍女なら貴族出身の筈だからである。

「この者が、今日から、ボナシュウ夫人と一緒に下着係を務めることになりました。名前は、ミラディ・ウィンターと申し、歳は、今年で二十歳でございます」
とミラディ・ウィンター夫人が登場するがこれも時代考証上はあり得ない。今まで述べているとおり未亡人だからであり、嫡子がいなければ男爵夫人も名乗れない事もある。
ミラディ・ウィンター夫人は、貴族出身ではないはずだが、19世紀まで各国宮廷人の座右の書として読まれた「宮廷人論」(1528年刊・ウルビーノの宮廷とカスティリオーネ)を実践するには生まれながらにして貴族教育を受けないと無理な話であると言われている。
即ち、貴族階級や上級ブルジョワ階級は子弟、子女に生まれながら貴族教育をするのである。
この点ミラディは失格。

又、「31・ベチューヌのカルメル会の修道院」にケティの名でコンスタンスはかくまわれているが、これも貴族でないとあり得ない話である。
以上からコンスタンスは、「バレエの素養」がないとしても貴族にしないとどうも辻褄が合わないのである。

Q7、ダルタニャンは何故すぐに近衛銃士隊(Mousquetairs de la Garde)に入れなかったのか。

A7、メゾン・デュ・ロウ(Maison du Roi)と呼ばれた親衛隊は、平時には将校を確保するために設置されている。即ち貴族出身で将校の資格のある実績ある軍歴が必要だった。
従い、親衛隊員は国軍に入ればlieutenant(リューテナント・中尉)の資格があったと思われる。一般に親衛隊員の将校の階級は国軍に対して二階級上に見るのが常識である。
即ち、近衛銃士隊長・大尉・Captainは、国軍では将軍の扱いになる。
参考・将校の階級→lieutenant→Captain→Colonel(カーナル)→General。
ダルタニャン伯爵が、晩年元帥になっているのはこの理由によるものと思われる。
将軍→元帥(国王任命の名誉職)


Q8、ポルトスは何故男爵位を望んだのか。

A8、貴族と言えば普通伯爵で、爵位を買うとしても実際買いやすかった。
子爵は、伯爵の子に決まっていたから、子爵、男爵というのは貴族では少なかった。
王妃マリー・アントワネットの首飾り事件(The Affair of the Necklace)の首謀者ラ・モット伯爵夫人(ジャンヌ・ド・ヴァロア)も、元は名門ヴァロア家の末裔と言いながら偽貴族即ち、爵位を買った夫の夫人になった。
(王妃の首飾り上・下・アレクサンドル・デュマ著/ 大久保和郎訳 東京創元社 創元推理文庫シリーズ )
よって 実は不明。



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