D'Artagnan物語・三銃士T

第 4 章   ラ・ ロシェル攻防戦 と (メゾン・デュ・ロウ(Maison du Roi))

ラ・ロシェル包囲戦の戦いの最終の火蓋が切られたのはイギリス軍によるレ島への侵攻である。
 1627年6月下旬、バッキンガム公爵が率いる97隻の艦隊(兵員2万人)がポーツマス港に集結しラ・ロシェルの沖の島(レ島)を急襲した。
 原因は、ラ・ロシェルで開かれたプロテスタント集会が武装蜂起を決議し、これを受けてイギリス亡命貴族のスービーズ公が国王チャールズ1世にプロテスタントの迫害・弾圧訴えたのである。
 こうしてプロテスタント大貴族であるロアン公とスービーズ公を指導者とするプロテスタント軍と国王・リシュリュー枢機卿の戦いが始まるのである。
 レ島急襲は不意をつかれた守備隊・トアラ伯爵(元帥)は、多勢無勢になすすべもなくサン・マルタン要塞とラ・ブレに撤退した。事前の情報から警戒を怠っていなかったが、3000名の守備隊では上陸阻止は難しかった。
 以後イギリス軍とレ島攻防戦が続くが、食料の欠乏、悪天候、熱病と悪条件が重なり士気が喪失。その上10月、11月と総攻撃を行ったが要塞は落ちず仕方なく撤退した。
 これ以後ラ・ロシェルの包囲戦が始まる。いわゆる兵糧責めである。
 街の周囲には全て塹壕が掘られ、それでも補給物資を運び込む港があるために港を封鎖することにした。
 即ち、港に船を沈めその上に石を積むという方法で、長さ1500m、高さ20m、幅8mの堤防が1627年12月から翌年3月までの4か月を費やされて作られたのである。
 堤防は要塞化され、堤防の内側には26隻もの戦艦(battleline)・砲艦を投錨させたのである。
 三銃士では、この包囲戦の中ダルダニアンは護衛士隊一員として最前線で戦うが、リシュリュー枢機卿の配慮により護衛士隊から近衛銃士隊に転属出来ることなった。
 一方国王は長引く包囲戦中に、健康問題を理由に一時パリに帰還する。この一行にダルダニアン達の銃士隊も加わりラ・ロシェルの包囲戦は小説の中では終わってしまう。
 このラ・ロシェルの包囲戦の最中、アラミスは「トゥールの織り子、マリー・ミション」にバッキンガム公爵暗殺の陰謀を知らせるのである。返事は「荒っぽい字で、綴りも出たらめ」とある。
 前述の通り「トゥールの織り子、マリー・ミション」ことシュヴルーズ公爵夫人はパリから見てトゥールの反対側のロレーヌ公領に亡命中である。又、初めにポワトゥーの城に幽閉される予定であったからポワトゥーならラ・ロシェルの目と鼻の先である。
 文句をつけると小説だから仕方がないと言うことになる。
 ここでミレディーがバッキンガム公爵暗殺に関わると言うことになるが、実際に殺害したのは清教徒のフェルトンという人物(中尉)である。昇進を公爵に却下されたのが暗殺の原因になったと言われている?。
 三銃士の小説では「大尉に昇進させるのを二度まで拒絶されたからです。」と書かれている。
 三銃士はその後コンスンス・ボナシュー夫人の救出に失敗し、国王と共にラ・ロシェルへ戻るところで終わる。
 最後に、ラ・ロシェルでリシュリュー枢機卿に呼び出され副隊長の辞令を受け取るのであるが、よく読むと副官とも書いてある。
  多くの歴史家達は、リシュリュー枢機卿がこのバッキンガム公爵暗殺の首謀者であると非難している。
 リシャール神父はカプチン僧(オラトリオ会神父の肩書きを密かに持つ)の仲介でフェルトンに決起するようにし向けた。「ジョゼフ神父の真実」1750年
ギー・ブルトン「フランスの歴史を作った女たち・第3巻・第21章・王妃アンヌにあうためにバッキンガム新教徒に手を貸す」
 ……とすると、小説・三銃士は結構史実に迫っていると見るべきだろうか。
 但し、ダイヤの首飾り事件は映画になっているように、ルイ16世の時代マリー・アントワネットの時代の事件を参考にしている。

 ここで近衛銃士隊(Mousquetairs de la Garde)について述べてみる。
 近衛銃士隊はメゾン・デュ・ロウ(Maison du Roi)と呼ばれた親衛隊である。
 ルイ13世の頃は、メゾン・デュ・ロウには護衛兵である近衛隊(Gardes du Corps)とこの近衛銃士隊があったようだ。
 ルイ13世の時のダルダニアン(小説)が活躍する近衛銃士隊は、1646年に解散させられ、その後ルイ14世の時代に新たに近衛銃士隊は第1中隊が1657年、第2中隊が1665年に再編成された。
 中隊は乗馬の色から「灰色」「黒色」銃士隊として知られていた。映画や漫画その他に登場する銃士の制服はこのころの物である。小説も制服とあるからこのころの制服を想定しているようである。
 一方、史実上のダルダニアンは1667年から第1中隊(中隊編成約250名)の隊長となり、1673年のマーストリヒト包囲戦で近衛銃士隊の隊長として戦死した。

 少々話がそれたので又戻してみる。
 ここでルイ13世下の初期の銃士隊において、小説の21歳のダルダニアンの副官とは、どんなものだったのか騎兵隊から想像してみる。
 中隊の指揮は、大尉、中尉、旗手(1684年以降は正式に大尉補)、そして副官(マレシャル・デ・ロジ〈marechal-des-logis〉)が取ったという。
 このことから、階級的には少尉程度ではないだろうか。(実際のところ少尉という階級がない軍隊が多くあった。)
 従って、少尉か中尉(ルテナント)と言ったところであろうと思われる。
 と思うと副官というのもあながち不自然ではない。いずれにせよ副隊長というのは誤訳に近いであろう。

 1720年頃フィリップ・ドレルアンのルイ14世死後の摂政時代。摂政が親衛隊の隊長であるアヴェルヌ男爵からフェランという目の覚めるような美貌の妻を買い愛妾にした。このとき、代償の一部として階級を一つ上げている。それは大尉任官で大隊長であると言うことである。

小説では、 エピローグでラ・ロシェル包囲戦が終わる。(2003_8_30-9_23修正)



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