D'Artagnan物語・三銃士T

          第 3 節    事 の 次 第   (Marie de Rohan-Montbazon)

 ミレディー(Milady)は架空の人物であるが、モデルとしてはカーライル伯爵夫人である。カーライル伯爵夫人は、バッキンガム公爵(チャールズ1世の寵臣でイギリス宰相)の愛人で自分の愛人が王妃アンヌ・ドートリッシュと深い仲になるのが許せずリシュリュー枢機卿のスパイになったと言われている。
 しかし、実際はこのミレディー(Milady)とボナシュー夫人(Constance Bonacieux)とを足して2で割ったようなと言うより何倍もしたような人物がいたのである。
 その人物とは、マリ・ド・ロアン(Marie de Rohan-Montbazon)である。
 当時、宮廷を代表する美貌の女性(美姫)と言えばマリオン・ド・ロルム(高級娼婦)である。マリオン・ド・ロルムは、サン・マール侯爵(国王ルイ13世の男妾)の愛人や、コンデ侯爵、リシュリュー枢機卿の愛人にもなったという。(後にフロンドの乱の時服毒自殺)
 しかし、このマリ・ド・ロアンはこのロルムに負けず劣らずの美貌の女性だったのである。
 ちなみに、王妃アンヌ・ドートリッシュは稀に見る美女でバッキンガム公爵が一目惚れしてしまったような女性であるが、話す言葉がキーキー声だったという。尚、リシュリュー枢機卿は王妃アンヌ・ドートリッシュが好きだったと当時の人物は述べている。
 さて、マリ・ド・ロアンとはどんな女性かと言えば、モンバソン公爵の娘でルイ13世の宰相リュィーヌ公爵の妻であった。そして、王妃アンヌ・ドートリッシュの大のお気に入りの腹心(取り巻き)であった。それだけでなく政治的な策動に力を貸した陰謀家であり、色恋の道も達人であったのである。
 即ち、シュヴルーズ公爵夫人である。
 小説の中でたびたび名前だけ登場する。アラミス(Aramis)のあこがれの女性。
 一夜の戯れからアトス(Athos)と関係を持ちアトスの隠し子の息子ラウル(Raoul)(オーギュスト・ジュール・ラウル・ド・ブラジュロンヌ子爵)を生む女性である。

 1622年4月、政略結婚した王妃アンヌ・ドートリッシュを嫌っていた国王ルイ13世は、色々策謀を巡らす取り巻きどもを排除することに決定し、マリを含めた取り巻きの貴族を宮廷から追放した。
 小説の中では、国王ルイ13世は「気の弱い大人しい国王」という設定であるが実際のルイ13世は、「気性の激しい軍人肌」の人物である。
 1621年12月にマリ・ド・ロアンは夫リュィーヌと死別したが、愛人は数え切れないと言う稀代の男狂いと言われ……その内の一人の愛人であったシュヴルーズ公爵に迫って正式に結婚した。シュヴルーズ公爵夫人の誕生である。
 シュヴルーズ公爵夫人になるとその力を利用して宮廷復帰を果たした。
 そのシュヴルーズ公爵は、国王ルイ13世のお気に入りの貴族の一人だったのである。
 ところがこの陰謀家のシュヴルーズ公爵夫人は復讐を企てる。

 1624年、国王の妹アンリエット王女と英国皇太子の婚姻の交渉のため、英国はホーランド伯爵をパリ大使とした。
 グルガンディーヌ(尻軽女)のマリ(シュヴルーズ公爵夫人)は、たちまちホーランド卿の愛人となり陰謀を練った。
 1625年、英国王ジェームズ1世が崩御し、皇太子がチャールズ1世として即位。5月結婚式がパリで行われた。英国王の代理は、結婚を進める代理者・実務者として活躍したシュヴルーズ公爵が行った。
 この婚礼の儀式の席次は、国王・王妃・シュヴルーズ公・マリと4番目の席に座り名誉と勝利感を味わったが、執念は収まらずより陰謀を巡らした。

 マリ(シュヴルーズ公爵夫人)は、愛人・ホーランド卿をそそのかし、英国王の寵臣バッキンガム公・ジョージ・ヴィリエ(ヴィリヤーズ)と王妃アンヌ・ドートリッシュを愛人関係にしようとたくらんだ。愛人・ホーランド卿もこの計画が英国の利益になると考え計画に乗ることにした。即ちイギリスは、ユグノー(プロテスタント)勢力を保護する一派をフランス内に作り上げる計画を持っていたからである。

 国王に冷たくあしらわれている王妃に同情しているマリは、禁断の愛の喜びを教えようと企んだのである。
 マリ(シュヴルーズ公爵夫人)は、王妃に自分のホーランド卿との恋愛関係・愛人関係を打ち明け手助けを求めると共に、バッキンガム公爵の魅力を吹き込んでいった。

《この一件におけるシュヴルーズ夫人は、バッキンガムの保護者の役割を果たし、ルイ13世が与えようとしない肉体の喜びを、アンヌ・ドートリッシュに味わってもらいたいと、真剣に望んでいた》 
 オギュスト・バイイ「リシュリュー」
 ギーブルトン「フランスの歴史を作った女たち・第3巻・第20章・国王妃に手を出したがるイギリス大使」

 ホーランド卿は帰国した後、バッキンガム公爵にアンヌ・ドートリッシュの美しさと、不幸さ、貞節さを吹き込んだ。
 公爵は、元々パリで王妃アンヌ・ドートリッシュの美貌に目を見張っていたため直ぐにのぼせ上がって行動を起こすこととした。

  さて、このころの貴族社会と言うものは現代と大部違う。

 一つは決闘である。貴族は何よりも名誉を重んじた。その名誉を回復するものとして決闘がある。
 実際、決闘により多くの有益な人材が失われた。
 たとえば、リシュリュー枢機卿の長兄アンリ・ド・リシュリュー侯爵は、アンジュの司令官の時マリ・ド・メディシスの親衛隊長テミーヌ侯爵と決闘し死亡している。
 小説の三銃士の時代、銃士隊はマスケット銃を持った精鋭であったが非番の時、ケンカや決闘が絶えずリシュリュー枢機卿は決闘を禁止していた。
 実際厳しい懲罰即ち決闘を行った貴族(大貴族・武闘派)を見せしめに死刑にした例がある。

 尚、三銃士のなかの38エピローグで「三度ローシュフォールと決闘して三度相手を傷つけた。」と書かれている。
 実際はこんな事は嘘である。決闘では相手を必ず止め(トドメ)を差して殺す。名誉が掛かっているから殺さなければ殺されるし、手加減すると言うことも不名誉。殺せなかったと言うことも不名誉である。ピストルで決闘したときに、弾丸は二発装填する。当然二発目は止め用である。
 小説・モンテクリスト伯でも「元恋人の息子」と決闘をする時、元恋人が命乞いにくる場面がある。モンテクリスト伯は恐るべき殺人者で、未だかって決闘において後れを取ったことがないと言う。「命乞いは死ねと言うことか」と述べている。

 一方、妙なことではあるがカソリック教の社会であったのにも関わらず、貴族社会はフリーセックスであったのである。
 国王の晩餐館で貴族の女性が乳房を露わにし挑発するなどと言うことは実際にあったことであり、映画にも登場する。当然貴族は美貌の夫人を寝取り、名誉さえ傷つかなければ何でもしたのである。又ブランコは性遊具であるし、聖職者であるリシュリュー枢機卿にも愛人は複数いたし、姪のエギュイヨン侯爵夫人(リシュリュー枢機卿の代理として活躍した)に二人の子供を産ませたとも言われているのである。

又、アンリ4世の時代・ユグノー戦争の時代、女子修道院の修道女は修道院長自ら進んで侵攻してきた兵士に欲望を満たさせた。これは、村々を襲って陵辱を繰り返す兵士の暴走を防ぐためであったのたが。処女であった聖フランチェスカが生きていれば仰天したであろう。

2003_10_09修正



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