D'Artagnan物語・三銃士T

          第 4 節  事    件 

 バッキンガム公爵は英・国王から、フランス王女アンリエットを英国に迎える役目を仰せつかった。

  アンリエットとバッキンガム公の一行を英仏海峡まで王妃と大后(母后マリ・ド・メディシス)は送ることなった。これには国務卿ブリエンヌが反対したが無視して6月5日に合流した。
 種種の事情から7日アミアンで一泊することになった夜、シュヴルーズ公爵夫人の提案で宿舎の大司教館からソーム川までの庭を散策することにした。
 公爵夫人はホーランド卿と腕を組んで歩き、王妃はバッキンガム公と一緒になった。
 当然公爵夫人とホーランド卿はどこかへ消え、王妃とバッキンガム公が暗闇の中で取り残された。
 「何かが起こった。王妃の叫び声で侍女たちが駆けつけると、バッキンガム公にそっぽを向いた王妃がいた。ある者は王妃の貞操はそこなわれたと言い、ある者は抵抗して守ったと言った。…真相は不明。」
 16日アンリエットとバッキンガム公はアミアンを発ち英仏海峡のブーローニュ・シュル・メールに向かった。街の出口まで馬車で見送った王妃に対してバッキンガム公はただただ涙したという。
 その夜アミアンに引き返したバッキンガム公は王妃と面会し、脚もとに「すがりつくようにして」泣いたという。ロンドンに向かったのは22日である。
 王妃一行がパリへ戻ってくると、ルイ13世はその件については何も言及しなかった。しかし、シュヴルーズ公爵夫人から、翌日にあのとき庭にいた侍臣の全てが宮廷から追放されたと言うことを王妃は聞くことになる。
 追放された者達は、腹いせに王妃はバッキンガム公に惚れていると言いふらした。

 1626年シュヴルーズ公爵夫人は、宰相リシュリュー枢機卿暗殺計画を立案する。
 国王夫妻の不仲がバッキンガム公爵不倫事件で決定的になると、皇太子がいなかったために王位継承者王弟ガストンの擁立を企てた。
 国王は、王弟ガストン・ダンジュー(後のオレルアン公)が王妃に接近し深入りしため結婚をさせようとした。相手はフランス一の財産家モンパンシェの娘である。
 ☆その後、結婚したモンパンシェ嬢は出産のためあっけなく亡くなる。この財産を受けついたのが後のグランド・マドモアゼル・ド・モンパンシェである。(フロンドの乱で活躍)

 しかし、まだ結婚したくない王弟ガストンは結婚を辞退し計画したリシュリューにたいして怒りを感じていた。
 シュヴルーズ公爵夫人はリシュリューに復讐するため宮廷内に結婚反対派・リシュリュー枢機卿打倒派を結成させた。
 丁度そのころ、シュヴルーズ公爵夫人はシャレー侯爵(アンリ・ド・タレラン)という国王の衣装係の長に付きまとわれていた。このシャレー侯爵は王弟の取り巻きの親友の一人であった。
 シュヴルーズ公爵夫人はこのシャレー侯爵を使って王弟ガストンを説得し、大貴族と共に国王廃位の前提として、宰相リシュリュー枢機卿暗殺計画を立案したのである。
 そして、シュヴルーズ公爵夫人は「首尾良くゆけば報酬がでますわ」とシャレー侯爵に報酬をも約束したのである。
 計画は成った。決行予定は1626年5月11日であった。あとはは実行するのみ。
 シャレー侯爵は、約束の報酬を受け取るためシュヴルーズ公爵夫人の元を訪れた。
 王妃の腹心の女・シュヴルーズ夫人は「その若者を寝床に招き入れ、その大胆な床技の評判が、まんざら過大評価でないことを、彼に実証して見せた。」
ギー・ブルトン「フランスの歴史を作った女たち・第3巻・第21章・王妃アンヌにあうためにバッキンガム新教徒に手を貸す」
 国王の衣装係であったシャレー侯爵は、《罪悪の部屋から・シュヴルーズ夫人》肉体的にも・精神的にも憔悴しきってしまった。そして何もかも判らなくなってしまい、つい叔父のヴァランセー騎士団長に陰謀をしゃべってしまった。
 冗談の通じない叔父はシャレー侯爵を説得し、リシュリュー枢機卿に計画の全容を暴露してしまった。

 共謀者は逃走した。残ったのはシャレー侯爵である。

「王妃が陰謀を画策していた。と言えば、おまえの命は救われるであろう」とリシュリュー枢機卿が獄中で言った。
シャレー侯爵はそう言った。シャレー侯爵は数日後死刑台に登るときに、「はい」と言ったことと「色香に惑わされたこと」を後悔した。シャレー侯爵首をはねられた。

王弟ガストンは、陰謀の責任をオルナーノ元帥、ヴァンドーム、シュヴルーズ公爵夫人、そして王妃になすりつけた。
 オルナーノ元帥、ヴァンドーム公爵とアレクサンドル大修道院長のヴァンドーム兄弟は逮捕された。
 シュヴルーズ公爵夫人は追放(幽閉)が決まったのを見て、ロレーヌ公領に亡命した。
(シュヴルーズ公爵夫人25歳)2003_10.09修正



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