D'Artagnan物語・三銃士T

第1章 貴族

 三銃士には、ダルタニアン(D'Artagnan)他アトス(Athos)、ポルトス(Pothos)、アラミス(Aramis)という主人公が登場する。いずれにせよ愛称、あだ名、偽名である。
 そして、物語の体裁として平民のような格好をしているが彼らは全て立派な貴族である。(ボナシュー夫人に対して自ら貴族と名乗っている)
 又、ダルタニアン(ダルタニャン)物語1の解説によると後年の研究によりいずれも実在の人物だったと証明されていると書かれている。
 ダルタニアンのモデルは、ルイ(Louis)14世時代国王の信任の厚いの親衛隊の隊長シャルル・ド・バッツ・カステルモール(伯爵)であった。小説では「ブラジュロンヌ子爵」で実際に近衛銃士隊隊長・伯爵・元帥(元帥杖を貰って戦死)として登場するが、実在の人物は1625年には2歳にしかなっていない。
 アトス(オリビエ・ド・ラ・フェール伯爵)のモデルは、アルマン・シレーグ・ダトス・ドートヴィル(銃士隊長トレヴィル(トロワヴィル伯爵ジャン・ド・ペレ)の親戚)といい1625年には10歳にしかなっていず、実際には1640頃銃士になっている。
 ポルトス(ブラシュー・ド・ピエールフォン・デュ・ヴァロン男爵)のモデルは、イザアク・ポルトーと言いプロテスタントで1643年に銃士なった。
 アラミスのモデルは、アンリ・ダラミツ(銃士隊長トレヴィルの甥)と言いプロテスタント信者で1640年に銃士。
 ルイ13世は1643年崩御しているため、いずれもルイ14世時代に活躍した人物である。
 小説で説明されているとおり近衛銃士隊には、地方貴族の次男、三男や食い詰めた貴族がなったようである。

 又、ご承知のように貴族の称号は人物でなく、土地につけられる。
 よって、たとえば侯爵領の所有者ならば女性であってもその爵位を名乗る。
 たとえば、古いところからガブリエル・デストレ(16世紀アンリ4世の愛妾)はボフォール(女)公爵夫人、モンソー夫人である。三銃士に出てくるルイ 14世の愛妾・ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールも(女)公爵夫人である。
 日本の明治時代に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という訳語がつけられたが実際とはかなり異なる。

 さて、日本では、貴族というと男爵(baron)を思い浮かべる。男爵芋もある。戦前の貴族は実際実業界では男爵までしか成れなかったからなのであろうか。
 しかし、実際EUROPE貴族では男爵・子爵が一番少なかったという。普通−貴族で爵位を持っていると言えば伯爵である。
 モンテクリスト伯爵、トルストイ(Tolstoy)も伯爵であるしその他歴史上に出でくる人物も伯爵が多い。このうちモンテクリスト伯爵は小説のなかでお金で爵位を買っている。(実際にはモンテクリスト島を伯爵領に指定してもらった。)
 物語の「ブラジュロンヌ子爵」はアトス(ラ・フェール伯爵)とシュヴルーズ公爵夫人との間の息子であるとしている。……ここでブラジュロンヌは地名(ブラジュロンヌ伯爵領)でここにアトスは住んでいることなっている。
 シュヴルーズ公爵夫人に子供に何か肩書きは必要かと聞かれて……不要とアトスは答えている。伯爵の長男は子爵(准伯爵)であり跡取り息子なら通称として伯爵と名乗ったから当然の会話である。だからブラジュロンヌ伯爵領のブラジュロンヌ子爵というのは正しい表現である。
「ロシア貴族」(ユーリー・ミハィロヴッチ・ロートマン著・筑摩書房1995年)と言う本がある。この本によると軍人の内「将校は皆貴族である」とある。…実際トルストイは砲兵中尉でCrimea(クリミヤ)戦争に参加している。
 要するに、軍人は皇帝から土地を貰いその後世襲となった。即ち荘園や、支配する土地を持っている者が貴族である。ダルタニアン物語でポルトスが男爵の爵位が欲しかった件(くだり)がある。(第3巻)
ポルトスは、その地方で実力(金力・兵力)も領地も広大だった。しかし、ある貴族の集まりでは爵位を持っている者の下に座らされるのに面白くなかった。…と言うことである。
 本来爵位は領地にくだされる。即ち伯爵領を持っていれば、伯爵。侯爵領を持っていれば侯爵である。しかし、ナポレオン(Napoleon)皇帝が与えた爵位は名目だけの物である。これを一般に帝国貴族という。
 侯爵領を持っていれば侯爵だからコンチーニは侯爵領を買って侯爵となった。
 ポルトスは功績により男爵領に領地を指定して貰ったと言うことになっているが、実際はお金を払って男爵領に領地を指定してもらう。いずれにせよ荘園、領地を持っているということが貴族である。

 司馬遼太郎の日露戦争舞台にした「坂の上の雲」は有名な小説である。しかし、司馬氏は侍従武官長(海軍提督中将)ロジェストヴェンスキーをしきりに貴族出身ではないがと断っている。しかし、常識から言えば皇帝の侍従武官が貴族で無いはずはなく、「ロシア貴族」の本からみれば明らかに貴族である。正確には、軍医(将校)の息子であるから(軍人)貴族出身である。又、司馬遼太郎は、ロジェストヴェンスキーを無能な侍従武官長と言ってる。しかし、ロシア随一の砲術士官であり(士官学校5番)軍令部長である。
同様に旅順要塞の一角を守った陸軍の少将を同じように「貴族出身ではないが」と注釈をつけている。しかし、軍人貴族と言うことを忘れている。従って、この辺のところが戦ったロシア軍のイメージを貧弱にしている様に思える。
 ロシアの将軍・司令官は大貴族であり当時の日本の一般社会の生活とは生活のレベルで隔絶していたのである。(ロシアの司令官が撤退した後巨大な豪華な寝台に驚いたなど)
 ロジェストヴェンスキーは戦艦の艦隊行動が気に入らないとツァイス双眼鏡を海に投げ捨てる癖があった。
 ツァイス双眼鏡……当時どのくらい高価な物であったかは想像を絶する。…バルチック艦隊では50個では足りなかったと言われている。
 旅順港閉塞に向かった元ロシア駐在武官広瀬大尉は、駐在武官のときに当時の白系ロシア貴族社会で絶世の美女と唄われた娘に惚れられると言うことになっている。ロシア貴族から見れば、駐在武官の将校であれば伯爵が侯爵であると思ったのであろう。その他、騎兵隊の秋山好古将軍の態度は外国人の将校から見れば大貴族そのままである。(外見も日本人離れしていたが)
 以上戦後の平民の感覚からいえは、分からない様なことである。同様なことがこのダルタニアン物語でも起きている。
ボナシュー夫人(Constance Bonacieux)は平民・町民で小間物屋の細君である。王妃アンヌ・ドートリッシュ(スペイン王女)の肌着係という設定である。それもかなりの側近であり種種の貴族にも交渉をするような強力な側近の侍女である。
 しかし、王妃の衣装を担当するのは貴族階級の婦人にのみ与えられる称号であり、平民出身のボナシュー夫人(Constance Bonacieux)が担当することは普通あり得ないことである。
……あったとすればその貴族の婦人の下の配下であり、尚かつ王妃と言葉も交わすことは許されない立場なのが当然である。第一貴族でない夫人が王宮に入ることはまずあり得ない。以下に示すように人口の1%しか貴族がいないとしても王宮に入るには十分すぎるほどいるはずなのである。
 1897年に行われたロシアの全国国勢調査によると総人口は1億2564万人であった。
身分別の内訳は世襲貴族1%、一代貴族・非貴族官吏0.5%、聖職者0.47%、町人10.7%、農民77.1%、異民族(ユダヤ人など)6.6%である。
世襲貴族は125万人ということか。
 そして所謂インテリというのは貴族以外いなかった。
 ボリシェビキによるロシア革命の革命家も世襲貴族か一大貴族・非貴族官吏などの大学卒のインテリである。
 決して農民や労働者階級の指導者はほとんどいなかった。「人物ロシア革命史・鈴木肇・恵雅堂出版2003」
 ちなみに、貴族出身と言われるのは、プレハーノフ、ツェレテリ、チヘイゼ、ポトレソフ、ジェルジンスキー、ルチャルスキー、レーニンなどである。トロッキーはユダヤ人の大地主で貴族の仲間である。
 そしてロシア革命政府は、粛正のもとに地主階級を根絶した。最後には小さな自作農まで広げて根絶した。
 今までの理論から言えば地主階級というのは知識階級であり、貴族である。
 中国共産党革命の時に地主階級を目の敵にし、日本の戦後農地解放や都市部の財産税の思想は、これに由来する。修正2003_10_09



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