良寛の人間像の「真髄」の再考

V良寛の心の原型・良寛の人間像

 ものの本によると、良寛の「心の原型」は
1)「自他を差別しない心」
2)「筋金入りの自戒の心」
3)「生涯を通して耐えた厳しい修行の心」
 即ち、「思いやりの心」、「自制心」という。
 それに加えて「学問への下向きな向上心」を加えるとしている。

 さて、実際そうなのであろうか。良寛の生い立ちを書いてきた通り良寛は39歳で帰郷した後、完全な世捨て人になってしまう。しかも、僧としての務めもするでなく単に、「僧の資格」を持っている浮浪者でしかない。今で言う「ホームレス」である。
当然一生何もしなかったのである。
 良寛は、道元の禅の思想に帰するものではあったが、実際「心の原型」に書かれていることは、結果としてそのように見えたのであって、そうではなかったであろうと思われる。
 良寛は非常に弱い人間である。円通寺で学んだ事は「道元」の絶対的な正統意識である。 道元は「正法眼蔵」の中で「詩文」などに淫する事は堕落であり、又「老荘思想」を避けている。しかし、良寛は自分の性格【性格悲劇】から「道元の禅」には耐えられないと悟り、道元の正統的な思想から許すべからざる「詩文」「老荘思想」へひた走り、本当に隠棲を始め「老子」や「荘子」の様に天地自然の中に入ってしまう。
 良寛は、修行する事によって「心」強くなるかと思ったようである。
 しかし、「三つ子の魂百までも」で山本家を出奔して突然出家した時の「心」はそのまま変わることはなかったのである。
 即ち、良寛は現実社会の責任を放棄して、僧籍に逃げ込み又その責をも放棄して自然の中に逃げ込んでいるのである。良寛に言わせれば、「良寛の『心の原型』は買いかぶり」であるというかもしれない。
 そして、ここで一つ付け加えておくのは良寛は一生「豪商・名主山本家出身」と言うことはついてまわっていると言うことであろう。表だっての援助は出来なかったであろうし、良寛も要請しなかったであろう。当然質素で貧しい生活をしていた…。働いてもいないのである。当時の一般庶民としては考えられない、普通なら餓死しても当たり前である。良家の出身の「お坊ちゃん」の発想から抜け出せない良寛であったのであろうと思う。
  その上、良寛の人生は良寛の詩文などから推察されるものばかりである。
 良寛を作家と見れば、本当のことを書かなかったかも知れない。しかし、後で述べる通り良寛はプロの仕事・芸術家は毛嫌いしている。従い、良寛は多量の詩や書を残しているが、これらは暇つぶしに過ぎなかったと思われるのである。
 帰郷後の最初の10年程度、空庵を求めて各地を転々としたが 「通うところ便なれば即ち休す、何ぞ必しも丘山を尊とばん」である。
 国上寺中腹の五合庵も、単に便益があったからに過ぎず自分の意志で「こうしよう」とかの意志は一切感じられない。
 良寛は、「子供が好きで…いつも子供と遊んでいた」のであろうか。事実そう言うこともあったかもしれないが、多分遠くから見ていたのではないかと思う。
 子供というのは、人間の基本的な本心、動物的本能を強く持っている。弱いと見れば、集団で襲いかかったりするのは昨今の「ホームレス狩り」をみれば良く分かることである。
 しかし、多分そんなことはなかったで有ろう。豪商・名主山本家出身のその地方の有名人である。子供はそんなことは重々知っている。良寛は、議論をふきかけない子供には接する事は出来たが、分別ある大人とは接することも出来なかった思わせるものである。
 晩年には、40歳の離れた若い美貌の貞心尼と恋に落ちている。良寛は本音で行動し、行き当たりばったりで安直生きたのである。



W 序論への反論

@長い生涯で、どの一部を取っても、安心して子供に話してやれるのは歴史上の人物で良寛のみ
⇒自分の責任から逃げて逃げおおせたのが良寛。人付き合いも悪く、一生何もしなかった人生。どこを安心して話しいやれるであろうか。

A抗争に明け暮れる現代あって、特に見直さなければならないのは、良寛の自他を区別しない愛情(人間愛)
⇒抗争に明け暮れる現代……抗争などどこにあるのであろうか、有るのは取立屋と化した金融機関との抗争か。この50年間どことも戦争〈hot戦争〉はしていない。代わりに金を湯水の様に払っているが。
良寛は誰が考えても、人間愛として人に奉仕すると言うことは無い。性格悲劇としても、老荘生活にのめり込むというのは疑問である。人間愛があれは人に奉仕したはず。

B禅修行により、自己を律し自己をつくった。弱い自分を強くした。
⇒「三つ子の魂百までも」で山本家を出奔して突然出家した時の「心」はそのまま変わることはなかった。人間基本は変わらないもので「弱い自分を強く」出来なかったために悩んでいる所もある。

C心と言葉と行動が一致していた。(自己に偽りがない)
⇒本来話をしないような人間である。言葉とは詩文の中の言葉有ろう。行動と一致したかどうかは疑問。

D清貧に徹した生活(無欲)
⇒隠遁生活をしたため結果としてそうなっただけ。寺に逃げ込み、出家するというのは世を捨てたもの。無欲である必要があった。

G子供のような純真さ(天真爛漫)
⇒詩文の中だけであろう、「純真さ(天真爛漫)」というのは成長出来なかった証拠ではないか。大業を成し遂げて、「純真さ(天真爛漫)」と言うのも嫌みであるし、難しいものである。

H芸術の本質を示した(和歌・漢詩・書)
⇒元々天分があったのであろうが、所詮暇つぶしのものである。

I教育者・親のあり方を示している。(理性的な厳しさ、真に静かに見守る心)
⇒本当にそうであろうか、自由放任主義、ゆとり教育、多様性を求める教育。
米国の富裕な家庭の子がタリバン兵になった例もあり、今はあまり考えられない。

良寛は世の中を逃れ、現実問題から逃れて隠遁生活をした人間である。
確かに詩文などには、才があったろうと思われるが「手慰み」である。
何か戦後の日本の「奴隷の平和」と二重写しになってしまうのは、現実に目覚めてきた証拠であろうか。





トップへ
トップへ
戻る
戻る
前へ
前へ
次へ
次へ