良寛の人間像の「真髄」の再考

X良寛に関する私見

 このようにして見てくると、良寛というのは詩文などの中にしか存在しない人間である。
 しかし、現代でもそうである様に、生まれながら天分があり才能があったとしても、その文学・芸術を広めるコーディネーターが必要である。良寛は非常によいCoordinatorを得たと言えるのではないか。(良寛の場合…貞心尼)
 現に単なる高校生にすぎなかった青年が、早世後「‥‥」美術館が出来たために有名になった例もある。
 残した良寛文学や書等否定するものではないが、本人としては所詮暇つぶしである。
 又、良寛が毛嫌いしていたものは、「料理人が作る料理」、「歌詠みの歌」、「絵描きの絵」、「書家の書」等々であると言われている。
 所謂「パン画」と言われる、お金を稼ぎ生活するために作品を作る。
 しかし、当時皆それを職業として生活していたのであって、今残っている芸術作品はパン画そのものである。
 良寛は、要するにプロという人を毛嫌いしていた。プロであるから場合によっては営業活動もしなければならない。努力研鑽もしなければならない。正に良寛と全く相反する人物像である。
 良寛は、生活するための努力も人のために何か尽くすと言うことも何もしていない。
  又、良寛は種種人物とのの邂逅が合ったと言われているがそうとしても、容易に心を開くような人物ではない。
 現実から逃避し自分という殻に閉じこもった人間。他人の色々な不幸や災難にも見て見ぬ振りをしている人間。悪く言えば自分さえ守れればと言う人間である。
 そんな人間像しか見えてこない。
 何故か、戦後の「奴隷の平和」を嘱望した「Naive」な日本人と相似しているように思えてならない。
平成15年1月2日 【完】





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