山に想う 私の場合・・・
     

山に登りはじめるなんて・・・ 山の魅力
 HPの一番最初に、少し山に登りはじめたきっかけを書いています。でも意外と、山の本を見たりしたのは早くて、高校時代、なんとなく『山と渓谷』なんて雑誌を読んだのを覚えています。それに、高校から大学にかけて山を中心にしたあるエッセイを読み、登山ということについては少し憧れもあったのかもしれません。でもやっぱり山登りってきっかけがないとはじめられませんよね。いっしょに登ってくれる人もいないと恐いし・・・たまたま近くにken先輩という、『山登りのベテラン?』がいてくれたのも私を山に近づけた原因のひとつです。
 私にとって山の魅力はたくさんありますが、何でも自分で決めるというところに大きな魅力を感じてます。山に行くかどうか、どの山に行くか、どうやっていくかなど事前の計画もそうですし、自分の体調やその日の天候によって、登るか引っ返すか・・・私にとっては基本的に『自分で決める』ということに大きな魅力があります。(でも、まぁわたしの場合、ken先輩のいうことをきいてればいいという現状ですが)

 『自分で決める』ということは、ある意味当たり前のことなんですが、それは大変なことです。そのへんに山にのめり込んでいる原因があるのかもしれません。何人で登ろうが、基本的には自分の頭で考えないといけないのでしょう。頭を人にあずけてはいけないと考えさせられる一瞬です。
 
 

山に登る前に・・・・ 一歩踏み出さなきゃ!

 僕は小さな頃から病弱だったせいか、あまり外で遊ぶという経験がない。どちらかというと布団やベッドの中で本を読んだりすることが多かった。何かを始めようとすると、本を買ってきて読む。大好きな友人は『まず形からはいるタイプだからね〜』と私を笑う。
 私の欠点は、そう『恐がり』で『億劫がる』ところ。山に行くか行けないか最大の要因は、足を出すかどうかっていう言葉を聞いたことがあります。おまけにひとりで集団に参加するなんてことはすごく苦手。もしかしてそんな自分の殻を破れるかもしれない・・・私だけの山の魅力。


踏み出してしまっても・・・・ 引き返すのも自分だよ

 一歩踏み出すまでに時間がかかっても、踏み出してしまった物は仕方ないのか・・・歩き始めたら進むしかないのでは困ってしまう。途中で休憩することもあるでしょう?バテバテで仕方のない時には大休憩もありだし、途中で道に迷いそうになったら、わかるところまで戻った方が賢明かもしれません。
 何もなしに無事、お山のてっぺんまで登れるにこしたことはありませんが、そうでなくても『山に登ってる』ことに変わりありません。そんなふうに自分で決めたら、それが私なりの登山になるんでしょう。お山のてっぺんだけが登山じゃない気がします。山を想えばそれが『登山』かな?

山に登る体・・・健康について思う 

 今回は『山に登る体・・・健康について思う』と題しまして、またぶつぶつ言ってみたいと思います。
 小さな頃から私は体が弱かった。というよりも病弱児でして、病名は『ネフローゼ』 尿が出なくなり、おなかに尿がたまる。浮腫とひどい倦怠感。小学校の4年から中学校の3年まで学校はお昼までで、小5、小6、中1の1学期は入院していた。もっとも入院していたのはもっと昔からなので、小さい頃から入退院を繰り返す生活だった。親戚のある人は『二十歳までもたないだろう』とまことしやかにいっていたそうだ。
 そういう私は、大の運動オンチ。体育なんて授業は受けたことがないんだから、いろんなスポーツもルールさえも知りません。幼児期からのそんな経験は私に、『スポ根なんてだいっきらい!』というトラウマを与えたのです。
 そして大学生になり、主治医の先生から『軽いスポーツならしていいよ』といわれた私は、登山部に見学に行き、妙になかの良さそうな雰囲気に『いまさら仲良くスポーツでもないよなぁ』と、ボクシング部に入部したのでした。スポ根嫌いが選んだのはひとりでできるスポーツでした。
 ですから、山登りでも『一番高い山に登らないと登山じゃない』なんて考えはぜんぜんない私。低山でもどんな山でも、自分なりに『楽しく』登れたらそれでいいのです。誰に言われてきてるじゃなし、自分が気持ちよければいいのです。山の頂を前にして、ここまで来たからもういいかぁと引き返したことさえあります。
 そういう私の山行も、元気はつらつと登れた時もあれば、バテきってしまって一歩も前に出ないというような時もいろいろありました。
 せっかく好きで山に登るんだから、バテバテでもう二度と来たくないっていうような山行はやっぱり少なくしたいんです。中年になり『痩せてた』のが自慢だった体もいつしか70キロを超え、80キロ、そして90キロ台ともうすぐ0.1トンの世界にまでなってしまった自分の体。血圧やいろんな不具合も出てきました。
 そんなとき決定的に『ダイエット』を意識させられた山行がありました。09年の赤岳です。行者小屋を過ぎ、文三郎道で私はもう一歩も足の出ないほどバテてしまったのです。先輩たちには先に行ってもらいました。残された私は三歩歩いては休憩をしを繰り返し、やっとの思いで頂上に着いたのです。
 これはだめだな。これじゃぁ山を楽しめない。自分で自分の首を絞めるようじゃぁ不自由だとダイエットを始めました。
 これから年齢を重ねるにつれ、自分の思い通りに行かない体になっていくとは思いますが、不摂生はやっぱりこれから気をつけないと行けないんだと思いました。どうしようもなくどこかにがたが来るのと、がたを自分でつくってしまうのは違うと思うんですよね〜どうでしょうか?