「私の経験したこと」
氏田恭子 (七十七才)
四月の上旬、家の中でよろけて、右胸を痛め三日ほど成形外科に通いました。
他にはこれといった変化はなかったと思います。
もう通院しなくても良いかなと思いつつ「お天気が良いから行って来よう。」と車にキーを差した時、いつもと違うものを感じました。晴天の空がいつもよりさらに明るくオレンジ色のように見えました。 今日はやめよう、と家に戻りました。
回覧板が来ていたので読もうとしたとき「これは駄目だ」と思いました。字が読めないのです。取りあえず自分の分はコピーで残して、次のお宅に回そうと思いました。ところがコピー機が通常のように見えなくて、コピーのとり方がわかりません。困ったなと思いながらも、あわてずに、回覧板をお隣に届けました。
夕方、自宅に帰った娘から電話があり、この状況を話始めたら、娘は私の変化にすぐ気付き、病院を探してくれて、一緒に向かいました。時間外の診察の結果即入院となりました。夕方でしたが、脳専門の院長先生がいらっしゃったことも幸いでした。
翌朝、入院が暫く続くことが伝えられ、入院申込書の署名を求められました。おぼつかないながら自署できたことは、始めの山は越えたということだったのでしょうか。
以後検査が続きました。眼科、MRI、腹部エコー、心電図ホルダー、高圧酸素釜等です。
国立リハビリテーションで言語聴覚士として働いている娘から早期に心がけることを教えてもらいました。
○ 体はなるべく起こし、足は下に下ろす。
○ 本を読み、会話に努める。目と脳を使う。
また娘が仕事でも使っている簡単なテストを重ねて行うと、日常会話だけでは自覚出来ない欠落しているものがわかってきました。
入院中の記録をつけておきたくても記憶できなかったこともあったと思います。
病院の中は狭くて、とても良い環境とは言えませんが、看護士さん他、皆さん明るい応対でありがたいと思いました。
この病気は現れ方が全く別々であり、どなたにも当てはまると言う事は少ないと思っております。お含み下さい。
「利用会員の氏田恭子様に、ご自身の体験から「脳梗塞」をテーマにお話をしていただきました。」