[ 第11章 やだな ]
病室に再び戻り、タバコを吸う為に院外へ出て帰ってくると、彼女はいなかった。
執刀医のS先生から術式の説明を受けていたそうだ。

彼女の癌は、早期だが「たちが悪い」とのことだった。
よって、胃は全摘出するのだと云う。
また、転移の可能性が高い脾臓と、胃が存在しないことで体に
悪影響を及ぼす可能性がある胆のうも、併せて摘出するという。
臓器を3つも取る。術後の生活は通常に送れるのだろうか。

俺にそう説明してくれた彼女は、だんだん声が小さくなっていった。
きっと、不安が満ち満ちているのだろう。
早めに高崎の宿に行くつもりだったが、面会時間ギリギリまでそばに
いることにした。

しばらくの沈黙の後、彼女は、つ、と涙を流し、そして云った。


「やだな・・・」


手術への恐怖。
術後の心配。
楽しみにしていた、オーダーメイドのウエディングドレスの完成が
先延ばしになった悔しさ。
そして結婚式というイベントに耐え得るだけの体力を取り戻せるか
否かの不安。
それら全ての感情が、このひとことに込められていた。

重ね重ね情けないことに俺には何も返す言葉もなかったけど、
彼女の気持ちが深く染みた。
静かな静かな時間が流れ、再び彼女は口を開いた。

「ごめんね」

何を謝っているのかと訊くと、式が延びるかもしれないことや、
俺が会社を休まねばならないこと、そしていろいろな先行きを
不透明にしてしまったことなど、自分がもたらした結果について
俺に詫びているのだと云った。

小さく驚いた。

こんな状況になってまで、人を思いやっている。
そんなことは気にしなくていい、と伝えながら、
俺は思いを強くした。

こんな優しい人間に、悪い結果が待っていようはずはない。
そんなストーリーは、あってはいけない。

面会時間が終わって、病院を後にした。

きっとうまく行く。
成功する。
君の優しさがハッピーエンドを導くよ。

がんばれ。



明日、手術。




前へ  次へ