国鉄(インチキ)列車名鑑-1(その2)


置換当日の下り1レ「つばめ号」編成側面図はこちら(117KB)
置換当日の下り3レ「はと号」編成側面図はこちら(115KB)

室内見取は右側が編成上前方となる。一部図面には回転した状態、背ずりを倒した状態も再現している。



マニ22(電源車)1~8


冷房、調理、照明等のサービス電源を賄う為に発電用ディーゼルエンジンを搭載し、一端に手小荷物室を備えた車両。編成の機関車寄りに必ず連結される。
「つばめ」「はと」の電車化後は一部が「はつかり」置換用に、他はカニ20に編入されて(50番代)九州に転じ「さくら」佐世保編成に用いられた。
昭和50年用途廃車。



オハフ23(3等座席緩急車)1~8



オハ22(3等座席車)1~30



スハ44に相当する3等座席車。
座席は2列+2列の転換式クロスシートで、オハフ22のデッキ側には車販準備室が設けられている。洗面所には26系(後の151系)に倣って温風乾燥機が設置されていた。

「つばめ」「はと」の電車化後、一時的に「はつかり」の3等座席車に用いられた。

尚、「はつかり」転用時、展望車を外す代わりにオハフが必要となったが、現用8両では不足する為、新たにオハ22を改造したオハフ23 1~2が登場して いる。
更に「はつかり」気動車化後、全車電暖化工事、2扉化工事を施し、夜行急行(「阿蘇」「銀河」「越前」「紀伊」等)の座席指定車として昭和50年頃まで使用された。

その後、オハ22 15、22、29は昭和48年、金沢工場にて便所・洗面所・デッキの撤去、窓のアルミサッシ化工事を施され、通勤用客車オハ41型に編入。



オハ41551~553と称して高松に配置され昭和59年まで一般型客車に交って使用されていた。22系客車では一番の長寿を保ったのである。



オロ22(2等座席車)1~26



ナロ11に相当する2等座席車。
座席は2列+1列のリクライニング回転式クロスシートを装備し、特急用として差別化を図っている。
外国人観光客を意識した為、便所は洋式で統一されている。運用開始日の報道では、未だに洋式便器に慣れている人が少なかった所為であろうか、大阪到着直前、3等車の各車に一ヶ所設けられている和式便所に人々が溢れ、収拾が附かなくなったとある。

「つばめ」「はと」電車化後、「はつかり」に転用され、後に一部を保留車として残置した他は全て廃車された。



オシ22(食堂車)1~6



オシ17の交替用。
車内レイアウトはナシ20と同一であるが、車内の色彩は昼行列車である事を意識して、木材の色調を活かした彩色を施されている。
厨房はナシ20同様完全に電化されており、新車落成時のお披露目の時、外国人関係者の耳目を引いた。殊にフランス紙の記者はいたく興味を持ったようで、国鉄の内装担当者を質問攻めにして辟易させたと言う話が残っている。

「つばめ」「はと」電車化、「はつかり」気動車化後、車内改装工事を行い、オシ22の名称のまま「きたぐに」「おが」「高千穂」等に連結されている。
昭和46年用途廃止。




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