世界(インチキ)博物誌1
孤高のマンネリズム「TVドラマ、ハドリアヌス」を見る
「ご隠居、ちょっと待って下さいよぉ」
「おいハチ、いくらキサルピーナの名物が鱸団子だからって、一人で五皿も食う奴があるか」
「そんなぁ、ご隠居、何とかして下さいよぉ、あっしゃもう腹が痛くて痛くて…」
「ハッハッハ、仕方がありませんな。どこかで休む所を借りるとしましょうか」
「しかしご隠居、マッシリアの町はまだ先ですし、この辺りで休める所などありませんでしょう」
「ご隠居、あそこに見えるのは農場ではありませんか。あそこへ行って頼んでみましょう」
「止むを得ませんな。この際贅沢も言っておれません。これハチ、しっかりしなさい」
「ヘイ、あ痛たたたた…」
1976年、イタリアはローマ建国2750年祭で盛り上がっていた。官民を問わず様々なレベルで様々な催しが企画されたが、その中で在伊TV各局は「ローマの偉大さ」をテーマにしたTVドラマやドキュメントを続々制作した。
例えば国営TVで3日に亙って放映された「ロムルス・建国の物語」や、TVイタッロ制作による「スキピオ」と言った傑作が産み出された一方、箸にも棒にも掛からないレベルの作品がまた多かったのも事実である。
マカロニ・ウエスタンの新人、フランコ・チェミーノ監督はハンニバル戦争でローマ軍が全滅する会戦を描いた「カンナエ」と言う作品を手がけた。描き方によっては愛国心を奮い立たせる壮大な作品に仕上がった筈だが、如何せん予算が酷く不足していたらしく、各部に粗さが目立つ出来となった。
エキストラが全員カメラ目線。乗馬したインディアンのような格好をしたガリア騎兵が馬上から槍を投げるのではなく「そこに置く」。史実では双方合わせて十数万人が戦ったカンナエ会戦であるが、画面にはどう見ても百人位しか映り込んでいない、等、見方によっては中々味わいのある作品に仕上がっている。
ローマを意識したこれら一連のTV番組は、教養・愛国の色濃い物は失敗し、スリル・スペクタクルの要素の強い物が成功した。それは西欧人が学校で教えられるローマ史が英雄談と偉人伝に終始し、読んでいて決して面白くはないものだった事に由来する。視聴者は観客なのであって生徒ではない事に気がついた製作者は勝者となれたのである。
「帰っておくんなさい。ここじゃ旅の人の面倒なんぞ見る余裕は無いんだ」
「そんな、お父っつぁん」
「旦那様、このお方達は街道で難渋されていたんですよ、お嬢様のおっしゃる通り使用人の家で休んで頂いては」
「黙れレピドゥス! ガリア人の分際で主人に口答えするもんじゃない!」
「ご主人、ご迷惑はお掛けしません。供の者が良くなるまでで結構ですから場所をお貸し頂けませんかな」
「お父っつぁん」
「…まぁ、仕方が無い。屋敷の離れが空いているからそこで暫く休んで行くが良い。フリディア、案内してやんなさい」
「…ご隠居様、申し訳ありません。父フリディウスは本当は真直ぐな人なんですけど…」
「いやいや、ご厄介を申し出たのはこちらですから、どうか気になさらずにな」
ローマのRTVは当初この流れに消極的であったが、視聴者の要望に押される形で渋々「ローマ企画番組」に取り掛かった。
制作チーフにはフランスのTV局で長く娯楽番組を手掛けていたベテランのジョバンニ・ルチアーノが起用された。彼は「肩が凝らず、観た後充実感と爽快感を与える」番組造りにかけて定評があり、関係者はこの起用にRTVの本気を感じ取っていたと言う。
「フリディウスさん、どうだね、決心は付いたかね」
「何度も言うようだがパパゴスさん、オリーブ油には公定の値が付いているじゃぁないか。それを幾ら副総督様の仰せとは言え勝手に値を上げるなどと」
「やれやれ、ご領内でそんな頑固を言うのはお前さん位なもんだ。他の農場主をご覧。皆副総督様の恩恵で裕福になっているじゃぁないか。そんな事じゃお前さん、可愛いフリデイアの持参金だって付けてやれないぞ」
「うるさい! ご政道に背いてまで持参金なんぞ持たせる積もりは無い!」
「フン、そんな事じゃ例のガリア人の色男位しか貰い手が…」
「貴様ぁ、帰れ、帰れ!」
「フリディウス、言っとくが、この私を追い返した事を後悔する事になるよ。何しろこっちにゃ副総督様が付いていなさるんでな」
「やかましい、こっちにゃメルクリウス神様が付いているんだ。全うに世を渡っている者がそうそう泣きを見るもんか」
「フリディウスさん」
「…あぁ、あんたか」
「何か子細がお有りのようですな。よろしかったら話して頂けませんかな。力になれるかもしれませんぞ」
「ご隠居さん、あんたは旅のお人だ。余計な口は挟まないで貰いたい」
「ハドリアヌス」。ルチアーノは番組の題材をこう規定した。
ハドリアヌス皇帝は、ローマ極盛期、五賢帝時代の半ばに統治した実在の人物である。彼の長い統治期間中、帝国には内紛も外征も無く市民はローマ発足以来最も平和を楽しんだと言う。
その時代を想う気持ちは、イギリス人がビクトリア朝時代を想うのと同様、平和と繁栄への憧憬から出来する。だから「売れる」と踏んだのだ。
娯楽指向も高い。ハドリアヌスは治世の前半に、高度な官僚支配体制を確立させた。理由は「自分が旅をしたい」からである。
彼の日常を支配する些末な業務から解放されて、ローマ帝国中を漫遊したいと言うのが彼の野望であった。実に洒脱な人物ではないか。彼の野望がもし、ペルシャやゲルマン諸民族の討滅ででもあったならば、歴史は彼を歓迎しても庶民は決して歓迎しなかったであろう。ハンニバル以降、ローマ/イタリア人は戦争向きでは無くなってしまったのだ。
彼は数人の供を連れて粗末な格好で帝国中を歩き回り、必要な時には現地の総督や造営官、果ては一軍団兵に至るまで直接指示を出した。彼と接触した市民や奴隷の中には、最後まで彼の正体が判らなかった人も多くあったと言う。
「ご隠居様」
「あぁ、フリディアさん、それにレピドゥスさんでしたな」
「ご隠居様。旦那様はああ申しましたが、実はご領内でおかしな事が持ち上がっているんです」
「それをお父っつぁんは全部一人で背負い込もうとして」
「ご隠居様。どうか旦那様の力になって下さいまし」
「このままではお父っつぁんはミロの凶刃に掛かってしまうかも知れません」
「フリディアさん、ミロとは」
「あの悪徳商人パパゴスの飼っているならず者の事です。ご領内で副総督やパパゴスに刃向かった農場主は何人もミロに殺されてしまいました」
「で、ご公儀に訴え出たのですかな」
「いえ、何も証拠がないのです」
ルチアーノはそんなハドリアヌスを、年齢50代中盤、頭がそろそろ禿げ上がって来た中肉中背の農夫のような顔をした、「枯れた」男と想定した。
演者は当初ギャング映画の悪役、ジロドー・ベルモンを充てようとしたが、モナコ人の彼を敬遠する空気があり、結局銀幕の名脇役、エディーロ・ティーノが登用された。戦後間も無くのネオ・リアリズム映画で靴磨きやチンピラ役を演じたベテランである。
供の者は二人。リクトル(警吏)出身のスヘルディクス(ゴダルノ・サティーニ)、アフリカ(カルタゴ)出身の元軍団長カクヌス(ジュリオ・シニオラ・オベッダ)。
「パパゴスよ、どうだったフリディウスの所は」
「いえそれがヴァッロ様、あの親爺は大変な堅物でして、とうとう首を縦に振りませんでした」
「まぁ良い。この属州マッシリアで誰が一番力を持っているか判らせてやらねばな。それは無論副総督のこのわしだ。フッフッフ」
「ヴァッロ様、フリディウスめがその筋に訴える事はありませんか」
「それはまさかあるまい。たかが田舎農場の親爺の言と、さきの執政官マリウス様の信任厚いこのわしの言とどちらを信ずるか明白だろうて。だがしかし、もしそんな素振りを見せたら…」
「えぇ、判っておりますとも。なぁミロ」
「ヘイ」
「しかしヴァッロ様も悪ですなぁ。財務官の不備を突いてオリーブ油の値段を釣り上げ、それを全部総督アエティアヌス様の所為にしてご自分が総督の地位に座ろうなどとは…」
「申すな申すな。お主こそ上前を掠めておるであろう。フフ知らぬとは申さぬぞ。お主の悪知恵には呆れ果てて物も言えんわ。まぁ良い。これで晴れて属州総督になれた暁には」
「是非手前もお役に立ちましょうとも。勿論それなりの見返りの方は…」
「クックック、判っておるわ」
「なぁるほど、そう言う事だったのかい…」
「おっ、ご隠居」
「あっ親分だ」
「ヤヒトゥスですな」
「…ご隠居、これは」
「うむ、由々しき事です。調べてみる必要がありますな」
当初この番組は120分単発物として企図され、1976年10月1日に放映された。
ローマで平穏な日を送っていた皇帝の許に属州リビアから急報が入る。前帝の隠し子が偽勅を発して帝国に叛旗を翻そうとしていると言う。市民の動揺を憂えた皇帝は供を二人連れただけでリビアに旅立つ。前帝の子に反心は無く彼を唆した元老院議員を成敗して大団円と言う話である。
ルチアーノの作品らしく軽快な筋運びで、視点もローマからカプア、シラクサイ、キュレーネと物語の運びに応じてテンポ良く移り変わる。
そして皇帝の言わんとする事、何民族出身でもローマ市民権を持っている限り法の前では平等なのだと言う、如何にも現実主義者であったハドリアヌス本人が言いそうな台詞が、何だか安っぽい芝居だな、等と言いながら観ている者の心を掴んだ。
実際ルチアーノが主張したい事とは、法、若しくは善意の前での平等と言う一点であった。画面の中において皇帝は事ある毎にこれを主張する。ガリア人もゲルマニア人も、ヌミディア人もパルティア人も、ローマ体制の中にあっては平等なのだ、と。更にその体制(パクス・ロマーナ)を造り上げたのは我々イタリア人の祖先であるローマ人なのだと、だからイタリア人よ、自信を持てと言う主張が、識らず識らずの内に観客に伝わるのだ。
放映の結果は大評判で、TV局側は早速連続ドラマ化を企図した。
「お嬢様、旦那様はどうしても」
「えぇ、レピドゥス、どうしても駄目だって」
「確かに私はガリア人の使用人です。お嬢様とは身分が違い過ぎます。でも今ではれっきとしたローマ市民権を」
「レピドゥス、こうなったら私と一緒に…」
「いえ、お嬢様、幾ら何でもそれはいけません。旦那様は今大変な時ではありませんか。大恩ある旦那様を捨ててまで…」
「おう、おめぇはフリディウス農場のガリア人だな。おぉこれはこれは掃き溜めに鶴のヴェヌス神、フリディア様もご一緒ですな」
「何をするの」
「ミロ、お嬢様を放せ」
「へっ、いけ好かねぇガリア坊主め、フリディウスは何処へ行った」
「放せ。旦那様は今日はいない」
「嘘をつくと為にならねぇぞ。知らなきゃ手前の体に聞いてやる。俺と一緒に来な。おう、野郎共」
「レピドゥス!」
「よせ、何をする、放せ」
「良く来た、フリディウス。こっちへ来て座れ」
「副総督様、参りましたが何用でしょうか」
「フフ、まぁそう怖い顔をするな。パパゴスより聞いておろうが、オリーブ油の値の事だ」
「その事でしたらもうお断り致しました筈」
「いや、そなたは断れぬ。あれを見よ」
「旦那様」
「お父っつぁん」
「…フリディア、レピドゥス、お前達、一体どうして」
「もう判ったであろう。ガリア人めは強情でな、どうしても捺印しないのだ。そなたのする事はこの書面に印を押すだけだ。そうすればあの二人は無事返してやろう」
「く…き、汚い奴め」
「いやと申すか。ならば仕方あるまい、そなたら三人共死んで貰うまでよ」
「それまでじゃ」
「ぬ、何奴」
「あ、ご隠居様」
「あぁ、ヴァッロ様、私の周りを嗅ぎ回ってた奴等はこいつらですよ」
「副総督コルネリウス・ヴァッロ。そなたの悪事、この目でしかと見届けましたぞ」
「ぅおのれ、むさい爺め言わせて置けば。斬れ、斬って捨てい」
翌1977年2月から「ハドリアヌス漫遊記」は毎週月曜の夜8時から放映されている。放映開始以来、安っぽい、御都合主義、マンネリズム等と批評されながらも安定した高視聴率を保っているのは流石である。
配役は前回と変らないが、狂言回しの役所として平民のハチウス(ジェンテーロ・カディージ)と皇帝一行を陰ながら守護する隠密、ヤヒトゥス(イタッロ・ナッキオ)を追加した。特にハチウスは、高貴なハドリアヌスと観客の間を取り持つ重要な役目と位置付け、主役ティーノよりも格上のカディージに依頼したと言う事だ。唯の道化ではない。
「えぇい、鎮まれ鎮まれぃ、鎮まれぃ」
「このファスケスが目に入らぬか」
「お…おぉっ」
「こちらにおわすお方をどなたと心得る。畏れ多くもローマ帝国第一市民、アウグストゥス・ハドリアヌス皇帝陛下にあらせらるるぞ」
「一同の者、皇帝陛下の御前である。頭が高い、控えぃ、控えおろう」
「は、ははぁーっ」
「マッシリア副総督、コルネリウス・ヴァッロ」
「ははぁー」
「その方、総督ガイウス・アエティアヌスの病身を良い事に、それなるアカエアの商人パパゴスと結託し、特産のオリーブ油の値を吊り上げ私腹を肥やさんとした事既に明白。余つさえその罪を総督に着せんが如き振舞、断じて許し難いっ」
「お、懼れながら申し上げます。陛下におかれては、何を証拠にそのような事を仰せでございましょうか。法を重んずる皇帝陛下のお言葉とも思えませぬ」
「そ、そうですよ。しょ、証拠を見せて下さい」
「証拠ならここにあるぜ」
「お、おぉ」
「こいつが皆喋っちまったよ」
「ミロ、しくじったか…」
「ヤヒトゥス、ご苦労でした。どうじゃ、これでもまだしらを切るかっ」
「お、懼れ入りましてございます」
「さて、フリディウスさんや」
「こっ、皇帝陛下とは存じませず、数々の無礼。平に、平にご容赦下さいまし」
「いやいや、お前さんの正義感が、たった今マッシリアを救いましたぞ」
「それにフリディウスさん、使用人のレピドゥスさんは最後まであなたやお嬢さんを庇っていましたよ」
「どうなさいますかな、フリディウスさん。あの二人を」
「は、はぁ、陛下の仰せでは、仕方がありません。無論喜んで」
「レピドゥス!」
「お嬢様! だ、旦那様」
「うんうん、ハッハッハ、アッハッハッハ…」
毎回ドラマの終盤に流れるナレーター(アントニオ・アディス・アクターグ)の渋いモノローグのファンもまた多いと聞く。
「陛下、本当に何から何までありがとうございました」
「いえいえ、世話になったほんのお礼です」
「ねぇフリディウスさん、ご覧なさい。あの二人良い夫婦になりそうじゃないですか」
「陛下。実はあのレピドゥスですが、総督閣下に子が無いので、養子縁組みをして欲しいと頼まれまして」
「ほう、それは良かった。アエティアヌスは清廉潔白な人です。必ずや良い事があるでしょう。では、参りましょうかな」
「皆さんお元気で」
「ご隠居、良かったですねぇ。フリディアさんの幸せそうだった事と言ったら」
「あれ、ハチ。お前が食い物以外の事を話すとは思わなかったよ」
「ひでぇなぁ。ご隠居、何とか言って下さいよ」
「いやこれは珍しいですな。雨にならなければ良いのですが」
「あぁ、もうご隠居まで」
「ハッハッハ、アッハッハッハ…」
―強情親爺困らせた、種族を越えた愛縁を、見事結んだ皇帝に、ローマは今日も日本晴れ。
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