戦時下のパスネット


戦争が大陸で、太平洋で激化の度合いを強めて来ると、市民生活は極端なまでに統制の網に絡め取られました。元々資源に恵まれないわが国では、所謂「総力戦」を行えるだけの体力が無かったと言っても間違いでは無いでしょう。
パスネットも例外ではありません。私鉄は次第に整理され、前出の38年頃の賑やかなそれと比べて何とも言えない寂しさを感じさせます。
例えば昭和15年に「武蔵野」は「多摩湖」を併合し、昭和20年には「旧西武」を併せます。同じく小田急・京王・京急等は東急に、総武・東上は東武に合併し、カード表面を飾る電車の絵は、この時点で五社にまで減少している事が判ります。
この時代のパスネットは「帝都共通乗車票(帝都共乗票)」と改称され、戦時標語を刷り出していました。紙質は悪く印刷も黒・赤の3色。良く見ると電車のイラストは戦前のそれを手抜きリメイクした物と知れます。
当時のポスターを見ると、この「共乗票」のセールストークに微苦笑をせずにはいられません。

「例へば帝都に通う國民一万人が此の共乗票を利用したとする。其事で毎年五千石もの木材が節約出来る。五千石の木材で大發を造れば百艘分にも相當するのである。百艘の大發は即はち一箇(ママ)旅團の勇士を敵前に送る事が出夾るのである。賤しくも帝国臣民であれば宜敷く共乗票を求め、以て聖戦の遂行に協力せよ!」

何とまぁ随分と風を吹かして桶屋を設けさせているようです。



 原寸




98年のパスネットへ
目次へ