98年のパスネット


日清戦争が大勝利に終わり、三国干渉を経て日露戦争へと向かう戦間期の事です。東京にターミナルを持つ大規模民鉄は、揃ってこのような危惧を感じていました。
即ち「総力戦となる日露戦役に臨んで、政府は兼ねての検案であった鉄道国有化に踏み切るであろう」。
そこで民鉄同志でスクラムを組み、少しでも国に自らの立場を判らせようとしてでしょうが(恐らく利用者の便等は言い訳程度の物でしょう)、在京民鉄共通乗車カードを発売したのが、明治31(1898)年の事です。
これは「東京鉄道乗車通帖(かよいちょう)」と称し、中等と下等が対象となっていました。
下図を見てお分かりのように、通用区間に官設鉄道は含まれません。

・日本鉄道:上野―小山、上野―熊谷、上野―我孫子、それに山手線の赤羽―品川間
・総武鉄道:両国橋―千葉
・甲武鉄道:飯田町―立川
・成田鉄道:我孫子―成田
・川越鉄道:国分寺―川越

この区間を見るに、この通帖の想定旅客は商人であったのでしょう。当時清国からの賠償金を元手に産業界は湧き返り、実業家や資本家は忙しく立ち回っていた事でしょう。実際これを購入した者は大抵は大店と呼ばれる豪商の旦那衆であったと言います。



 原寸




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