戦前のパスネット
昭和13年と言えば、中国大陸での戦争が泥沼化して久しく、その一方で現在と然程変りの無い市民生活が併存した奇妙な時代でした。「戦前」と一括りにするのが躊躇われる程多様性に富み、色彩鮮やかな時代と言えるでしょう。
当時の「アサヒフラグ」等の写真週刊誌を見ると、当時の市民が何を心配し、何を羨んでいたのかが克明に判ります。また石川達蔵の小説をドキュメンタリーの一種として読むと(それは容易に可能です)、今と何ら変わりない現代的な登場人物が現れ、今の人々と変る事無い細々した日常の憂いを描き出しています。その背景に戦雲が立ち上っているかどうかが決定的な違いではありますが。
そんな時代に、在京の民鉄(一部軌道会社も含む)が一致団結して発売に漕ぎ付けた「頗る至便、素敵に快適」な共通乗車カード、それが「パスネット」です。
国家総動員体制の敷かれる前夜の事です。この時代は都市生活者の間に米国的価値観が相当流入して来ており(奇妙な事に昭和初年代よりも10年代に一層顕著となります。だから日米開戦後に「米国かぶれは止めましょう」等と言う妙な標語が現れたりするのも首肯出来る事です)、現世的・享楽的生活を肯定する空気が醸成されていた時代でもありました。人々は生活に迫られる以外の理由で電車に乗り、街へ楽しさを見つけに出掛け始めた時代です。
絵を見てみると、私鉄の戦時統合以前の事とて、「帝都」「総武」「多摩湖」等の鉄道会社が見受けられます。玉電や西武軌道、江ノ電等は「完全な路面交通」であるとしてこの仲間には入っていませんでした。その代り東京市が発売していた、市電・市バス乗り放題の「東京自由券」には、玉電と西武軌道の一部区間が利用可能であったと聞いています。因みに「東京自由券」は昭和16年に「東京通用切符」と改名します。どうやら「自由」と言う言葉が当局の癇に触ったようです。
原寸
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