柳町遊郭奇譚「金庫電車の遭難2」



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大正11年、金庫電車遭難事件が時効となり、世人も事件の噂を口にしなくなった頃、柳町仲町の「宵松楼」で枕探しの窃盗事件が発生した。

やがて捕縛された犯人は押田順五郎と言い、30代半ばの痩せた男だった。後に聞いた所では、この押田は「取り調べの刑事が彼の顔を直視するのを躊躇う程」の良い男前であったと言う。

その押田の取り調べ中、思わぬ余罪が露顕した。例の金庫電車遭難事件の犯人の主犯だったと自供したのだ。


「何モ困窮ノ末ノ物盗リジヤ御座ヒマセン。私共ハ窃盗ノ職能集團デ御座ヒマシテ、皆々生業ヲ持ツテ居ル者計リデ御座ヒマス」

「彼ノ時私共ハ、電車ヲ越前河岸ヘ棄テテ逃ゲタカノ様ニ見セ掛ケマシテ、其ノ實電車ガ車庫ヲ出發スル時ニハ、御宝ハ既ニ私共ノ手中ニ御座ヒマシタ。眩暈ノ術ヲ用ヰテ電車会社ノ者ニ成リ澄マシ、金凾ヲ瞬時ニスリ替ヘル事ハ造作モ無ヒ事デ御座ヒマス」

「何故カト申シマスルニ、人間ハ大概『十進法』ナリ『十二進法』ヲ基本トシテ暮ラシテ居ル者デ御座ヒマスガ、私共ハ物心附カヌ裡ヨリ『十七進法』ニテ物事ヲ考ヘ、行動致シテ居ルノデ御座ヒマス」

「御宝ヲ手ニ入レタ後ハ、待タセテ居リマシタ汚穢荷車ニ隠蔽シ、隠レ家ヘ運ンダノデ御座ヒマス」

「河舟ヲ準備シ、雇ヒ入レタ浮浪者ヲ下浦町ヘ逃ガシタノハ、逃走ノ時間ヲ稼グ為、ソシテ又捜査ノ混乱ヲ目論ンダ為ニ相違御座ヒマセヌ」


大正13年に出所した押田は、旧悪を見逃す代わりに警察の相談役となり、様々な窃盗の手口を伝授してその後の防犯に役立てたと聞く。

仄聞する所では、押田順五郎が収監中の大正12年頃、彼の絵姿やブロマイド写真が飛ぶように売れた事があった。これは流石に警察も放置出来ず、販売差し止め令が出されたと言う。



この文章は、ある才媛に捧げる。




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