柳町遊郭奇譚「金庫電車の遭難1」



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柳町の遊郭組合の要請で、「柳町特発」、所謂「金庫電車」「泥箱電車」が走り出したのは、大正2年の事だった。

当時市電は、柳町総門前を通り過ぎた先の、現在は神山公園となっている「富士屋紡績」が終点で、車庫もそこにあった。その車庫は柳町の境に入り込んでいて、裏口からは柳町の各楼に通ずる裏道に通じていた。

毎月の晦日、各楼の主人が、その月の売り上げを持って車庫に来る。深夜、終電車が車庫まで来ると、窓に幕を張って車内に売上金を積み上げ、警備の巡査がデッキで物々しく立ち番をする。電車は徹町の百五十四銀行裏で停車し、夜間預入係が総出で金を銀行に移すのであった。

大体当時は、柳町のような盛り場を別にすれば夜9時にもなると寝静まるもので、大方の市民はそんな「金庫電車」が走っているなど、夢想だにしなかったに違いない。



事件は大正4年4月1日未明に起きた。

午前1時過ぎ、徹町に派出していた電車会社の社員から柳町車庫に対し、「柳特」が未だ着かないが、柳町を予定通り発車したかどうかと言う電話連絡が入った。

柳町車庫では、慌てて警察へ連絡を入れると共に、手すきの社員を動員して、線路に沿って探し回った。

すると午前2時20分頃、当該電車は意外な所で発見された。柳町から幾らも先へ行かない「越前河岸」の引き込み線にいたのである。普段は小さな汽車が紡績からの荷を積んだ貨車を牽いて来て、艀に積み替える所だ。電車はそこにいた。

車内に入ると、運転手、車掌、それに警備役の巡査が気絶していた。怪我はしていないものの、預かっていた遊郭の売上金六千円余は煙と消えていたのである。

警察署での取り調べで重要な事が判明した。警備担当の巡査だけは、気絶したふりをし犯人の行動をつぶさに目撃していたと言うのである。


「朔日午前一時一〇分頃、電車ガ越前町ノ交差轉ニ進入シタ時、右へ曲ル筈ガ直進シテ河岸ヘ向カヒマスカラ面妖シイト思ヒマシテ、直チニ停車ヲ命ジ、本官ハ下車シテ周囲ヲ伺ヒ居リマシタ処、突然後頭部ニ激シイ打撃ヲ受ケタノデス」

「同様ニ電車運轉手諸君モ何者カニ殴打セラレ昏倒致シマシタ。本官ハ體ノ自由ハ利キマセンデシタガ意識ガ御座ヒマシタカラ氣絶シタ眞似ヲ致シマシテ、犯人ノ行動ヲ觀視シタノデアリマス」

「犯人ハ金凾ヲ電車カラ取下スト、河岸ニ着ケタ小舟ニ其ヲ移シ居ル様ニ見ヘマシタ。数名ハ舟ニ乗リ込ンダモノト見ヘ、残余ノ者ハ徒歩デ立チ去ツタト思ヒマス」

「犯人ノ服装ハ暗クテ不明確デアリマシタガ、数名ノ者ハ印半纏ヲ着シテ頬被リヲシテ居タノハ確實デアリマス」


この貴重な供述に基づいて早速捜査が開始されると、早くも1日昼頃には、下流の下浦町の岸辺に不審な舟が乗捨ててあるとの情報が入った。更に下浦町の搗米屋で、1日3時頃、数人の男たちが無言で足早に表を通って行ったと言う情報が取れ、また下浦の当直駅員から、1日朝5時頃、5人の男が鱒沢までの二等切符を買ったが、誰も一言も口を聞かず気味が悪かった、二人は頬被りをしていた、と言う証言も入った。

そこで鱒沢警察署の応援を受けて駅周辺を徹底的に捜査したが、その後の足取りは2日になっても3日になっても一向に現れない。遊郭の売上金とは言え、例外的に巡査が警備に当たっていた上で手もなく奪い取られてしまった事実を、警察は非常に重く見た。捜査はその後も長く地道に続けられた。




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